この春、ゲゲゲの鬼太郎で有名な妖怪作家のふるさと、境港市の水木しげるロードに行きました。神戸から高速道路の中国縦貫道を経由して、米子道を一路北に向かい右手に大山を見、2時間で米子市に到着します。そこからさらに北に20分で日本海につながる境水道の岸壁に到着、漁船や、海上保安庁の船の停泊する岸壁の駐車場に車を置いて、一歩入ったところが水木しげるロードです。1996年にできた人口3万人の街のレトロな商店街がそのまま妖怪のオブジェが立ち並ぶ妖怪ロードとなっていて、ネズミ男の銅像にこども達が手をつないで記念写真をとっていました。
水木しげるの年代記は昭和史そのものです。大正11年(1922年)生まれ、少年期はのんのんばあに地獄や妖怪の話を聞き育てられ、昭和初期の比較的平和な時代をすごしました。
その後、日本は国内の混乱から戦争に突入、昭和18年(1943年)召集されラバウルに出兵、戦場の爆撃で左腕を失うも無事に昭和21年(1946年)に帰国。
戦後の混乱期は、紙芝居作家や貸本漫画家の貧乏な生活を送る。その後、連載漫画がカムイ外伝で有名な『ガロ』や『別冊少年マガジン』に掲載されるようになりました。
昭和43年(1968年)日本はしだいに豊かになり、学園紛争の年を迎え、ちょうどこの年にはじめて『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメが放送され、テレビが家庭の娯楽の中心になり、日本経済が発展するにつれ、5回にわたりこのシリーズは放送され、有名漫画家の1人となりました。
昭和45年(1970年)『水木しげる妖怪画集』を出版し、マイナーな妖怪世界をしだいに奥深い水木ワールドとして発展させてきました。1980年以降は合理主義、近代化の高度成長路線が陰りを見せ、明るい世界から追いやられた妖怪が再認識され、「なまけものになりなさい」の水木精神が時代に受け入れられ、しだいにおおくの人たちの興味をひくように時代は変化してきました。
その後アフリカのドゴン族、マレーシアのセノイ族、オーストラリアのアポリジニ、メキシコのインディォ、アメリカのホビ族などの文化を聞き妖怪世界を広げて行き世界妖怪会議まで開いています。
今では、境港市は最も有名な観光地として、水木しげるロードが定着し、米子駅の霊番ホームからは、鬼太郎列車が漫画キャラクターで彩色され、JR境線も妖怪鉄道となっていました。
漫画の威力恐るべし。