日本には、1000年以上前から受け継がれてきた祭りや、地域の伝統文化が今なお各地に残されている。伊勢のお木曳、木曽の木を伊勢神宮の建て替えのために20年に一度行われる全市を挙げての行事が今年6月に行われ、毎年7月に京都の祇園祭、東北の3大夏祭りをはじめ全国各地の祭りが続いている。
人々が同じ綱を曳き、同じ神輿を担ぎ、世代を超えて一つの共同体の一員として参加する。祭りは単なる観光資源ではなく、人と人とのつながりを再確認し、地域への帰属意識を育む文化的な営みである。しかし、人口減少や少子高齢化が進む現在、このような地域共同体は各地で弱まりつつある。地方では若者が都市へ流出し、祭りや伝統文化の担い手も減少している。人々のつながりは希薄になり、都市部でも孤立や将来への不安を抱える人が増えている。
戦後日本のリベラリズムは、日本国憲法の下で平和主義、基本的人権の尊重、法の下の平等、福祉国家の実現を理念として発展してきた。戦前の国家主義への反省を背景に、権力を抑制し、個人の自由と権利を守ることが重要な使命であった。戦後民主主義と呼ばれるこの理念のもとで、生まれや男女で差別しない平等主義、平和国家、福祉社会の実現を目指した教育が始まった。
政治の世界では保守派の自由民主党に対して、革新派の社会党が対抗していた。ソ連崩壊の2年後1993年自民党政権に変わって非自民連立政権ができ、政権再編の後自民党と社会党とさきがけ政権が生まれ、社会党は安保容認に政策を変更し、社会党は社会民主党的リベラル政党を標榜する。その後のリベラル派は鳩山由紀夫元首相の民主リベラルを主張する民主党に受け継がれる。2009年民主党が政権についた。当時リベラル派は国民の多数の支持を受けていた。その民主党が消滅し、2017年に立憲民主党が結成された。その柱は護憲と平和主義と、多文化主義を認め、ジェンダー平等を推進し、LGBTQの権利を主張するものであった。リベラル政党の支持は政権を失ってから、増えることはなく、2013年頃から若者を中心にその支持は急速に低下していった。
戦後日本は民主主義と市場経済を基盤として発展を遂げた。2000年代世界のグローバリズの波を受けて、自由民主党の公共部門の民営化や、グローバリズムに経済政策に対応する政策を進めていった。それに対して日本のリベラル派は、『新自由主義』のレッテルを貼って、全てを否定する方向に進んでいった。
日本は、この30年間で、アメリカなどの極端な富の偏在は起こらず、社会全体が貧しくなってきた。上位の1%の層を除くと、日本全体の所得格差は30年間でほとんど変化なく、平均所得の中間値はむしろ減っている。極端な貧困だけでなく、中間層の生活不安も起きてきた。
安全保障をめぐる国際環境も大きく変化した。ロシアによるウクライナ侵攻や、中国の軍事的台頭など、戦後とは異なる現実が広がっている。平和主義は日本が守るべき重要な理念である。しかし、リベラル派として、それを現実の安全保障政策にどう反影させるかについて明確な政策が打ち出されていない。
高度経済成長を支えた会社や地域社会も変化し、多くの地域社会では人口の高齢化と、都会、とりわけ東京への人口流失により、大家族の家は減り、伝統文化の支え手も減り、地域でも人々の関わりは次第に小さくなり、多くの人が孤立や将来への不安を抱える社会となっている。これは人口の集中した大都市の中心部やニュータウンでも同じように高齢化し、孤独化は進んでいった。日本型のリベラリズムはこの現実に対応できないでいる。
福祉国家の理想を掲げ、誰も取り残さないという従来の社会的な弱者、貧困層は対策では、一部の層は救済されても、経済的に苦しくなる中間層はリベラル派の視野には入っていなかった。
科学技術やAIを主要な政策テーマとして前面に掲げてきた印象は弱かった。しかし技術は進む、それに対して個人の自由を守る,人権を守るAI政策を進める必要性が生まれてきた。AIによる産業革命をリベラリズム、個人の自由を損なわず進める政策が必要となる。 そしてリベラル派こそ地方再生を福祉政策だけでなく、国家が富の配分を変えて家族や地域を支え、地方再生を推し進めるための骨太の方針として出すことが必要なのかもしれません。地方の衰退は文化の問題だけではなく、リベラリズム(自由と民主主義)を支える基盤をも危うくするかもしれません。