2026/09/06

チンパンジーからホモサピエンスに




  チンパンジーと人類は700万年前に共通の祖先から枝別れして生まれる。チンパンジーはコモンチンパンジーとピグミーチンパンジー(ボノボ)の2種類が、その後生き残った。この二種類のチンパンジーの間では99.3%の遺伝子は共通で、わずか0.7%の違いのみである。チンパンジーと人間は98.4%共通の遺伝子を持ち、違いは1.6%である。人類の祖先は700万年前にチンパンジーの系統と別れ、体毛を失い、地上生活の2足歩行になった。この間様々な人類種が生まれた。、


 未開社会の人類の戦争は、チンパンジーの攻撃に似ている。未開社会のレベルでは、集団虐殺は稀な出来事だった。チンパンジーは消耗戦を仕掛けて、勝利を目指したり、緩衝地帯を作ったり、奇襲作戦をしたりして縄張りを守る。人と違うところは家族を形成することなくオスとメスは、別個の階層社会を作る。この階層社会は生まれつきではなく、子分を作り、集団を作り上げて地位を獲得する。体格が大きく強い事は重要だが、最終的には他のチンパンジーと協力する能力が支配権獲得の決め手となる。

 チンパンジーの社会は競争的で、政治的で、集団の間に順位が定まっていて、仲間と協力して同盟を作り、他者と競争する。他者との関係を利用して立場を強くし、食糧や繁殖をめぐって争う、といった人間社会によく見られる行動パターンが見られる。



 一方、ピグミーチンパンジ(ボノボ)は相手との関係をうまく保ち、争いを避ける能力が長けている。人間の友人関係、仲間同士の助け合い、争いを話し合いで解決するといった面をもっている。人間ではこれは文化や環境に規定されるものの、人類の頭脳には、様々な形の社会的協力を促進する能力が生まれつき備わっていて、共同体を組織することが自然なことで、協力して共同体を守る社会を築き上げてきた。


 チンパンジーは森の中で暮らしアフリカ大陸で現在まで生息している。人類は森の生活に別れを告げ二足歩行でサバンナで生活を始めた。様々な種類の人類が生まれ消滅していくうちに30万年前に、アフリカにホモサピエンスが誕生した。現在の人類とほぼ同様の骨格を持ち、その後アフリカを出て、ヨーロッパではその土地に古くから住んでいたネアンデルタール人と交雑し生き残った。現人類の遺伝子にはネアンデルタール人の遺伝子が数%含まれている。さらにユーラシア大陸の東のアジアではデ二ソワ人と交雑し、ホモサピエンス サピエンスとして生き残った。今でもパプア ニューギニア人は3%のデニソワ遺伝子を持ち多くのアジア人にも少量のデニソア遺伝子が含まれている。そのほかの多くの人類種は地球上でしばらく生存しその後消滅しした。


 人間の自然状態についてホッブスはリヴァイアサンの中で書いている。もっとも奥深い感情は、死の恐怖で、この死の恐怖すなわち生命を失わないようにするために、各人が持つ自由が重要である。人間の本性の中で競争と恐れと誇りの3つが争いの原因を作る。第一に、人々は利権を求めて侵入を行わせ、第二には安全を求めて活動し、第三は評判を求めて行動させる。そのようにして自然状態では、万人に対する万人の戦によって特徴ずけられる。


 ジョン ロックは自然状態のまま自由に規律を与えないと戦争状態になってしまうので、ホッブスが言うように自然的自由と財産を守るため社会契約が必要である。そこで国家が必要である。自然状態でも、人間には理性があり、他人の生命・自由・財産を侵害してはいけない、という自然法を理解できると考えた。ただし問題は、権利を侵害された時、それを公平に裁き、処罰する共通の機関がないことで、そのため人々は政府を作る。しかしその国家が自然権を否定して、権利を守らず侵害するなら、人々は、それに反抗する権利も必要となると考えた。


 ルソーはさらに違った考えで、ルソーの自然状態にいる人間は、ホッブズが描いたような他人と争い続ける人間ではなく、比較的孤独に生き、自己愛と哀れみの情を持っていると考えた。ところが、人間が社会を形成し私有財産が発生すると、これは私のものだという意識が生まれる。そこから比較、競争、嫉妬、支配・従属関係などが発生し、人間の不平等が拡大していく、とルソーは考えた。社会によって人間は不平等になった。だから人民自身が自由な政治を作り直す必要があると結論づけた。


 これは生物学的には人間の持つチンパンジー的要素とボノボ的要素が状況によって現れるためと推測される。そして人間は集団を作り、集団の間の対立の解消に外交による協力と互恵関係の平和な秩序が作られる、これが崩れると対立する集団に勝つための武力が用意される。集団の支配者の感情、状況の判断によってこれが実行されると戦争になる。

 このチンパンジーから進化した人類の遺伝子の変化が知能や創造力、攻撃性、哀れみの心といった感情に及ぼす影響はまだ完全にはわかっていない。



 1969年ジョンレノンはベトナム戦争に反対して愛と平和(Love And Peace)の曲 Imagine, Give peace a Chance, War is over,を発表し、ボノボになった。

2026/08/30

止まらない温暖化止まらない戦争

 





                              




 鶏(とり)たちにカンナは見えぬかもしれぬ 

                             渡邊 白泉


 地球温暖化のためか晩夏の中、薔薇とハイビスカスやカンナが一斉に庭に咲き誇っている。日本各地でこの夏は猛暑と、線状降水帯による豪雨がおき、台風が8月中で最も多く発生した。世界中でこの温暖化の影響が目に見え始め、8月26日には中国とネパールの国境地帯の山岳で氷河が大量に崩落し、またたくまに街々を飲み込み、多くの死者を出した。 まさに地球は沸騰し、誰にも止められない


 日本の気候は平安時代や江戸時代そして昭和の時代までは比較的安定していた。それが急速に変化し、特に令和に入ると、夏は熱帯気候になって、熱帯のバンコクやシンガポールそしてタゴールの詩に読まれたベンガルの夏と変わりなくなった。植生も変化し、花の咲き方も変化した。日々の生活も変わり、日中は40度を超えるのも当たり前になり、日本より緯度の高いヨーロッパでも、クーラーなしでは過ごせないようになった。そして雨も降れば日本の夕立や南方のスコールとは全く違った線状降水帯と名づけられる猛烈なる雨量がいっきに降り注ぐようになった。


 平安時代の和歌「秋きぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」 の風情は無くなった。季語は安定した日本の四季がある。それを定型化して生まれた。俳句では昔から季語は重要視されていた。その自然を読む俳句に対して、社会の変動、時代を読む俳句の必要性が生まれ、秋桜子は「俳句は景と情が渾然一致して象徴的に表現される抒情詩だ。」として俳句の改革を進めた。その頃、昭和初期に渡部 白泉は高屋 窓秋 の抒情的な新しい俳句に出会う。


      頭の中で白い夏野となっている            昭和7年


      ちるさくら海あをければ海へちる           昭和8年


 俳句に、季語のない無季の俳句が新興の俳句として1930年代に再興した。1931年(昭和6年)満州事変が起こる。時代は戦争に向かい、社会は激動し、人々の生活は変わり、自然のみを重視する季語の必要性が薄れた。白泉は鶏(とり)たちにカンナは見えぬかもしれぬ を昭和10年に発表し、時代情況を描写した句は季語はあってもなくても、二次的なこととして俳句の暗喩する詩性にかけた


 真っ赤なカンナは人の目には、鮮やかに毒々しく映るが、真っ赤な鶏冠を持つ鶏にはかえって見えない。そして当時、人々は時代の先を見通すことができなかった。


     赤き犬ゆきたる夏の日の怖れ             昭和10年



     三宅坂黄套わが背より降車              昭和10年


 三宅坂は陸軍参謀本部のある場所で、カーキ色の外套(黄套)を着た陸軍将校が背後から下車した。その夏の日の不安と恐れ。国内の、統制は次第に厳しくなり、人々に恐れを感じさせる世の中に.変わっていった。



     戦争が廊下の奥に立っていた             昭和14年



 人の心に起こる気持ちは、時代や国を超えて共通のものがある。この句はまさに現在のウクライナの人々の心、ロシアの人々の気持ちでもある気がする。 誰も予想していなかった戦争が2022年に、突然始まった。ロシアのウクライナ侵攻は、5年目を迎え、世界を根本的に変えてしまった。今、AI搭載したドローンが領空深く侵攻し、爆撃し、また迎撃と偵察を常に行なっている。さらには兵士に代わってロボットが戦場で使われている。さらにNATOとロシアの間では、ハイブリッド戦争が繰り広げられている。まるで第三次大戦前夜の様相を示している。


 1920年代カーキ色の外套を着ることになる石原莞爾、武藤章、山下奉文、永田鉄山たちの陸軍のエリートはドイツに派遣され、軍事を研究し、帰国後、陸軍参謀となった。その欧州で目にしたのは、技術の急速な進歩で、第2次大戦前の社会で、経済と技術は急速に進歩し、車による輸送手段は発達し、航空機は急速に進化し、石油は戦艦の燃料となり、化学製品は様々な分野で改良が進み、これらが近代の戦場に使われるようになる。各国は一年の技術の遅れは国家の衰亡を招くとして、争って戦争兵器を開発し、進歩させ、その急速な実用化を目指した。石原莞爾は欧州の技術革新を目の当たりにし、戦史の研究から「世界最終戦争」の構想を発表した。


 現在の技術革新は、AIを中心とした人工知能の時代に入り、人間そのものを代替しつつある。それによって、負の側面としてのフェイクニュースの拡散や武器の生産が容易になり、際限無い進歩を遂げている。今世界は地政学的、政治的、経済的動機があまりにも強く、技術革新は全力で突き進んでいる。そして、人間の脳力や理性が追いついていけなくなる。そしてこれを誰もコントロールすることができなくなりつつある。


    桃色の足を合はせて鼠死す               1957年

2026/08/16

テクノ領主の時代 (コンドラチェフの波、5つの技術革新と世界秩序)

  コンドラチェフの波は、ロシアの経済学者 ニコライ・コンドラチェフ(Nikolai Kondratiev 1920年代に提称した。資本主義経済には、だいたい4060年程度の長い周期で、景気や経済成長の大きな波があるという経済学上の仮説で、18世紀の終わり蒸気機関を使った繊維工場が稼働し、鉄道が普及する。第2波は19世紀の後半から終わりにかけて鉄鋼生産と鉄道網による交通革命が起こりる。

 1880年エジソンが長時間使える電球を発明し、やがて発電、送電、配電、電灯を一体として使える社会を作り出す。1919年には工場の50%が電力を使うようになりコンドラチェフの波の第3波に相当する。

 第4波では1908年フォードが自動車の大量生産システムを作り上げ20世紀の石油の時代をつくる。その後第5波は200年のインターネットの波、そして現在のAIの時代を迎える。


 この新たな産業革命について「テクノロジーは、あらゆる製造業の生産性と成長を促し、使われなくなっている工場用地や未開発地の生産も始まるでしょう。これらのテクノロジーは、製造業の変革と充実感と満足感の得られる持続可能なキャリア形成につながるような様々な仕事を豊富に生み出します。」2022年ダボス会議でコンサルティング会社マッキンゼーが薔薇色の未来を語った。


 また、AIの専門家は「今後1 2年でAIはあらゆる専門職の仕事をより効率的にしてくれるだろう。特に命に関わる仕事では効果が大きい。個別化医療や警察活動はもとより戦争にしてもそうだ。攻撃はインフラの無力が中心となり、敵の戦闘員や民間人を殺す事は少なくなるだろう。もちろん多少のマイナス面はあるだろう。ある種の機械的な職業では失業が増えると思われる。」


 このテクノロジーの進歩によって社会は変わりつつある。人工知能の進化によって、情報のアクセスを簡単にしただけでなく、知識を誰でも使えるようにし、産業面では、ホワイトカラーの仕事を効率化し、ソフトウェアを簡単に開発できるようにし、研究開発の大きな助けになった。


 しかしこのデジタル革命の負の側面も明らかになってきた。このテクノロジーの進歩によって社会は二層化しつつある。アメリカではテクノロジーの支配者と被支配者に分かれる。そして世界の国の間でも、支配する国と被支配の国に分かれる。いわゆるテクノ領主とテクノ小作に二分化してきた。中世には土地を所有する領主と、土地を耕す農民がいた。領主は土地を支配し、農民はその土地を利用することで生活した。


 現代において、土地に代わるものがデータやプラットフォーム、AI、巨大な計算資源になっている。デジタル社会では、巨大なテクノロジー企業が膨大なデータとプラットフォームを所有し、そこに多くの人々が依存している。私たちは無料で検索し、無料でSNSを利用し、無料でさまざまなサービスを使っている。しかし、その代わりに私たちはデータを提供し、巨大なデジタル空間の支配に従属している。中世には土地を所有する領主と、土地を耕す農民がいた。領主は土地を支配し、農民はその土地を利用することで生活した。現代において、土地に代わるものがデータやプラットフォーム、AI、巨大な計算資源になった。デジタル社会では、巨大なテクノロジー企業が膨大なデータとプラットフォームを所有し、そこに多くの人々が依存している。


  デジタルツールは情報と反対意見を抑圧するための強力な武器として、独裁体制の手の中に収められた。さらに、それらの国では、情報の分野や、サイバー空間に認知戦を他国に対して広げて行った。他国の人々のものの考え方、社会や世界についての認識自体に働きかけ、フェイクニュースで世論を誘導し、社会を分断させる情報操作を行なうようになった。

 ソーシャルメディアは誤情報の温床となり、独裁的政府のみならさまざまな形の独裁国でも、民主国でも上からの管理が強化され、それがビジネスモデルとして成功を収めている。虚偽とプロパガンダを浴びせられると、民主主義の国でも、非民主主義の国でも、「人々はどんなニュースも信じなくなる。いつも嘘ばかり化されていれば、嘘を信じるようになるのではなく、むしろ誰もがもはや何も信じなくなる。」1974年にハンナ アーレント語ったような社会になってきた。


 さらにウクライナ戦争を通して明らかになったことは、戦車や戦闘機、空爆やミサイルの攻防に代わって、AI搭載のドローンが、戦場以外のエネルギーや産業や社会的インフラを攻撃し、AIが攻撃の対象をきめ軍事作戦を遂行するのに、大きな役割を果たすようになった。ウクライナ戦争は、戦争そのものの姿を変えつつある。


 テック領主たちはAI、半導体、量子技術、宇宙、サイバー技術などをめぐって激しい競争を繰り広げている。互いに同盟国をつくり。強固な同盟関係を結び、覇権を目指して、巨大なテクノロジー企業と結びつき、技術を進化させ、相手を凌駕するための国力増強を押し進めている。


2026/08/09

人口減少時代

 



 1798年マルサスが人口論で、「人口は制限されない限り、等比級数に増加するが、食料はそれに追いつかない。やがて人口過剰になり、人口の増加は抑制される。」また「明らかなことは、肥沃な土地は数年のうちに人口が一杯になるということだ。また、この原理により、人間が久しく住んでいる国々ではいろいろの困難が発生する。」

 多くの生物は、多くの子孫を産んで、環境や捕食者たちとの生存競争で生き残る。人類も、長期にわたって、生と死を自然に委ねて生きていきた。そして人類は、外敵との戦いに勝って、地球上の勝者となり、80億人を超えるまで人口は増加した。


 イギリスが産業革命を起こした頃、19世紀世界初の近代化による人口の増加が始まった。それは第一の人口転換で、出生率が高いままで、衛生状態の改善や医療の進歩で死亡率が下り始め、人口は急速に増加した。それはやがて世界中各地に広がり、1950年以降著明になった。日本では1950年の1000人あたりの乳児死亡は50人だったのが、その後大幅に低下し、現在わずか2人にまで減少した。

 このヨーロッパで始まった人口の増加は、第二次大戦後アジア、とりわけ中国で巨大な規模で再現した。21世紀に入ると、アフリカでこの人口の爆発が起こってきた。そして死亡率の低下と相まって世界の人口は急速に増加した。


 人口増加による影響は、まず人々が仕事を求めて、都市に移動し、住み始めることによって現れ、都市化が起こる。そして経済的には、人口増加による人口ボーナスを使い、経済的にも産業が発達し、国が豊かになる。これが第二次大戦後、日本、アジアの5ドラゴンズと呼ばれる国や地域、中国、そして東南アジアなどの経済力の目覚ましい上昇と都市化をもたらした要因となった。

 そして、人口増加と都市化に対応した都市計画として、最初はイギリスの田園都市構想、そして日本のニュータウン構想、やがて世界中で大規模な集合住宅や巨大なマンション群ができ、急増する人口を吸収した。都市化は急速に進み現在世界の人口の60%以上が都市に住むようになった。これは第二次大戦の頃の30%に比較すると約2倍になっている。そして100万人起こす大都市も急速に増えて、インドでは40以上、そして中国では100以上になって、やがて200近くになる。

 少子化とともに高齢化が起こり、次第に各国の平均寿命は急速に伸び、21世紀になっても世界中で人口は増加を続けた。


 19世紀末から20世紀に入ると、「第二の人口転換」が起きる。20世紀に入る頃、イギリスでは教育水準の高い家族から子供の数が平均2人に減ってくる。経済が人口を決めるのではなく、個人の選択が人口決めるようになった。


 出生率の低下はやがて東ヨーロッパの国々、ブルガリア、ウクライナなどの国々にも広がっていく。この出生率の低下に加えて、ソ連崩壊により若者は西ヨーロッパに移住したことが重なり急速に人口が減少した。両国は1990年から2025年までに25%ほど人口は減少した。 一方、イギリス、ドイツ、フランスなどの西ヨーロッパ諸国では人口の減少が海外からの移民によって抑えられている。イギリスはインド生まれの人は90万人、ポーランド68万人、パキスタン46万人でフランスでは北アフリカのアルジェリア、モロッコ、チュニジア生まれの人々が46%を占め、ドイツではトルコからが最も多く、それに続いて東欧からの人々が続く。




 2007年になり、日本の人口はピークを迎え、その後減り始めた。そして中国もまた2022年に人口のピークをつけ、減少局面が始まった。さらに、インドなどの南アジアやインドネシアなどの東南アジアも、人口ボーナスの恩恵を受けながら経済発展を遂げてきた。こうした人口増加と豊富な労働力は、世界的な生産能力を高め、グローバル化とともに物価を押し下げる力としても働いた。この人口の増加とグローバル化によって世界はデフレになっていた。


 経済成長を牽引してきた国々で人口減少が進むと、高齢化の影響を最も強く受け、深刻な問題を抱えるようになる。高齢化経済は長期停滞を生み出し、労働人口が減ると世界はデフレからインフレになり、金利も上昇する。労働人口の減少に加えて、高齢化で介護者に対する医療分野の労働力が必要となる。人口増加の時代農村から都市に人口は移動し、団地に住み、マンションやニュータウンに住み、やがて都会ではタワーマンションが林立し、東京の港区や中央区の一部の地域では戸建て住宅はほとんどない、マンション住まいがほとんどとなっいる。


 これが逆転し、人口減少に向かう社会では、人口減少が農村地帯に起こり、その村や街に囲まれた地方都市も衰退する。やがて都心のマンションや都市郊外に空き家が増える。発展と成長が止まると、都市は活力を奪われ、衰退する。日本ではやがて、人口は一億人を切り、空き家1000万戸時代を迎える。

 日本は、人口減少社会のトップランナーで、だれも歴史上経験したことのない世界で、その綱渡りにも似た財政政策、福祉政策、都市政策の成否が日本の行末を決めることになる。

2026/07/20

日本のリベラリズムはどこに向かうのか

 



 日本には、1000年以上前から受け継がれてきた祭りや、地域の伝統文化が今なお各地に残されている。伊勢のお木曳、木曽の木を伊勢神宮の建て替えのために20年に一度行われる全市を挙げての行事が今年6月に行われ、毎年7月に京都の祇園祭、東北の3大夏祭りをはじめ全国各地の祭りが続いている。

 人々が同じ綱を曳き、同じ神輿を担ぎ、世代を超えて一つの共同体の一員として参加する。祭りは単なる観光資源ではなく、人と人とのつながりを再確認し、地域への帰属意識を育む文化的な営みである。しかし、人口減少や少子高齢化が進む現在、このような地域共同体は各地で弱まりつつある。地方では若者が都市へ流出し、祭りや伝統文化の担い手も減少している。人々のつながりは希薄になり、都市部でも孤立や将来への不安を抱える人が増えている。


 戦後日本のリベラリズムは、日本国憲法の下で平和主義、基本的人権の尊重、法の下の平等、福祉国家の実現を理念として発展してきた。戦前の国家主義への反省を背景に、権力を抑制し、個人の自由と権利を守ることが重要な使命であった。戦後民主主義と呼ばれるこの理念のもとで、生まれや男女で差別しない平等主義、平和国家、福祉社会の実現を目指した教育が始まった。

 政治の世界では保守派の自由民主党に対して、革新派の社会党が対抗していた。ソ連崩壊の2年後1993年自民党政権に変わって非自民連立政権ができ、政権再編の後自民党と社会党とさきがけ政権が生まれ、社会党は安保容認に政策を変更し、社会党は社会民主党的リベラル政党を標榜する。その後のリベラル派は鳩山由紀夫元首相の民主リベラルを主張する民主党に受け継がれる。2009年民主党が政権についた。当時リベラル派は国民の多数の支持を受けていた。その民主党が消滅し、2017年に立憲民主党が結成された。その柱は護憲と平和主義と、多文化主義を認め、ジェンダー平等を推進し、LGBTQの権利を主張するものであった。リベラル政党の支持は政権を失ってから、増えることはなく、2013年頃から若者を中心にその支持は急速に低下していった。



 戦後日本は民主主義と市場経済を基盤として発展を遂げた。2000年代世界のグローバリズの波を受けて、自由民主党の公共部門の民営化や、グローバリズムに経済政策に対応する政策を進めていった。それに対して日本のリベラル派は、『新自由主義』のレッテルを貼って、全てを否定する方向に進んでいった。 

 日本は、この30年間で、アメリカなどの極端な富の偏在は起こらず、社会全体が貧しくなってきた。上位の1%の層を除くと、日本全体の所得格差は30年間でほとんど変化なく、平均所得の中間値はむしろ減っている。極端な貧困だけでなく、中間層の生活不安も起きてきた。



 安全保障をめぐる国際環境も大きく変化した。ロシアによるウクライナ侵攻や、中国の軍事的台頭など、戦後とは異なる現実が広がっている。平和主義は日本が守るべき重要な理念である。しかし、リベラル派として、それを現実の安全保障政策にどう反影させるかについて明確な政策が打ち出されていない。


 高度経済成長を支えた会社や地域社会も変化し、多くの地域社会では人口の高齢化と、都会、とりわけ東京への人口流失により、大家族の家は減り、伝統文化の支え手も減り、地域でも人々の関わりは次第に小さくなり、多くの人が孤立や将来への不安を抱える社会となっている。これは人口の集中した大都市の中心部やニュータウンでも同じように高齢化し、孤独化は進んでいった。日本型のリベラリズムはこの現実に対応できないでいる。

福祉国家の理想を掲げ、誰も取り残さないという従来の社会的な弱者、貧困層は対策では、一部の層は救済されても、経済的に苦しくなる中間層はリベラル派の視野には入っていなかった。


 科学技術やAIを主要な政策テーマとして前面に掲げてきた印象は弱かった。しかし技術は進む、それに対して個人の自由を守る,人権を守るAI政策を進める必要性が生まれてきた。AIによる産業革命をリベラリズム、個人の自由を損なわず進める政策が必要となる。 そしてリベラル派こそ地方再生を福祉政策だけでなく、国家が富の配分を変えて家族や地域を支え、地方再生を推し進めるための骨太の方針として出すことが必要なのかもしれません。地方の衰退は文化の問題だけではなく、リベラリズム(自由と民主主義)を支える基盤をも危うくするかもしれません。

2026/07/12

アメリカの新思潮 ポストリベラリズム

  アメリカは今年建国250年を迎えた。その祭典はトランプ主義を全面に打ち出した揺らぐアメリカを象徴するものとなった。


 フランシス フクヤマ氏は冷戦の終結に際して「歴史の終わり」の中で、自由民主主義は政治思想の中でイデオロギー的進化の終着点であると述べた。

 それは「自由」と「民主主義」と「市場経済」が組み合わさった体制で、個人の基本的人権が保障され、法の支配が守られ、言論、信教、結社の自由がある。そして選挙によって政権交代が可能な民主政治が実行され、市場経済を基本とする経済体制によって国が運営される最良で最終のシステムである可能性を示した。


 しかしその後、世界は選挙を行う独裁政権が多くの国で生まれ、アメリカ社会では、個人の孤独、薬物依存、自殺率の増加、地方衰退、社会的格差の拡大など社会的問題はますます広がっていった。そしてアメリカではフランシス フクヤマ氏の述べたリベラルに対する疑問や反対が起こり、トランプ政権が誕生した。J.D.ヴァンス副大統領はパトリック J デニーン氏などの共同体の再構築の思想に近く、民主党内でも反リベラルのバーニー サンダースやオカシオ コルテス氏などの社会民主主義の運動が支持されつつある。そして個人の創造性と自由こそアメリカの強さの源泉であるといった、企業家イーロン マスクやピーター ティール氏も現政権で影響力を行使している。

                            

 2016年大統領選挙の3週間前にパトリック J デニーン氏は「リベラリズムはなぜ失敗したか」を書き終えた。デニーン氏の思想は国家、国境、宗教、家族共同体を重視し、グローバリズム、過度な個人主義、文化リベラリズムに反対する。特に2020年代以降のポスト・リベラル運動の理論的な出発点になり、保守派の政治家J.D.ヴァンス副大統領などに強い影響を与えている。

 デニーン氏の中心的な主張は、リベラリズムは失敗したのではない。成功しすぎた結果、自らを崩壊させたと主張する。

 彼のいうリベラリズムとは、個人の自由、市場経済、権利の拡大、国家からの自由を最優先する500年前に生まれた近代政治思想で、250年前のアメリカの建国の基礎となった。その結果として、現在のアメリカは、家族は教会や地域共同体から切り離され、共同体は崩壊し個人は孤立した。アメリカンドリームは手がとどかなくなり、子供は親以上の世代より裕福になれそうもなく、政府機関に対する国民の信頼度は低下し、政治と経済エリートに対する反発は強まっている。裕福な持てるものと取り残された持たざる者の格差が広がり、信仰を持つものと持たざる者の間の反発がお互いを遠ざけ、アメリカが世界で果たす役割についてもいつまでも対立が解消されない。自由を最優先すると、「善い生き方」について誰も語れなくなる。結果として消費主義、娯楽中心主義、政治の劣化が起こり、アメリカの良き文化的伝統が空洞化したと主張する。

 1980年代の保守主義はレーガン大統領などに代表される小さな政府、自由市場の重視、規制緩和が重視された。一方。ポストリベラルの保守派は国家は家族や地域を支える必要がある、社会の健全性は経済のみではなく、地域共同体をもっと重視すべきだあると変化してきた。

 

 民主党のバーニーサンダース氏やコルテス氏もまた経済のグローバル化を批判し、社会的格差を批判し、巨大企業の独占を批判する。そして同じく地方の衰退とエリート政治家を批判する。しかしこの原因は新自由主義的資本主義にありそれらを治して労働者を保護し、富の再配分をおこない福祉国家を目指すべきと主張している。そして最も対立しているのが多文化主義を認め移民の権利を保障し、ジェンダー平等を推進し、LGBTQの権利を主張している。ポストリベラル保守と民主党左派は、グローバル化への批判、経済格差への懸念、巨大企業への不信という点では共通している。しかし、保守派は家族・宗教・共同体の再建を重視するのに対し、民主党左派は福祉国家、多文化主義、人権保障の拡大を重視する点で大きく異なる。


 さらに現在のリべラル批判のもう一つの潮流として、イーロン マスク氏やピーター ティール氏などテクノリバタリアンが存在する。同じように現在のアメリカには問題があると主張し、政府の官僚主義がイノヴェーションを妨げている、国家の関与は少ない方がよい。イノベーターが社会を前進させると主張する。イーロン マスク氏は本来は政府の規制縮小を主張してきたが、第二次トランプ政権では政府改革や宇宙開発、AI政策などへの関与を強めており、その立場は従来のリバタリアニズムだけでは説明できなくなっている。

 個人主義や科学主義に関してパランティア社のピーターテイル氏は技術の進歩でSNS、広告テクノロジー、エンタメのアプリだけが進歩して、エネルギー、宇宙開発、医療、防衛技術といった本当の技術革新は停滞していると語り、民主主義と自由主義は両立しないとして、官僚制、規制、同調圧力、エリート機構を批判。天才的起業家、技術革新が新しいフロンティアを作る原動力であると考えている。