21世紀の初め、アメリカの経済は好調で、世界という舞台で無敵だった。自由市場と自由投票選挙のアメリカモデルは世界に浸透していった。
1997年クリントン政権は、G7のメンバーに新たにロシアのエリチェン大統領を迎えた。ソ連崩壊後6年でロシアはG8のメンバーに加わった。そして、NAFTA締結をした後、2001年中国のWTOの加盟を推進しそれを認めた。それらを強力に推進したのがボーイング、モトローラー、ぜネラルモータース、キャタピラー、P andGなどのアメリカ企業だった。中国は海外とりわけアメリカからの投資資金の流入や技術の導入によって、輸出は伸び、所得も向上した。アメリカや世界に低価格の製品を輸出して、アメリカの消費を支え、そして家電製品、産業機械、自動車や衣料品などのグローバルサプライチェーンの中心になっていく。1993年のクリントン政権から2013年のオバマ政権の初期までの米中の黄金の20年が訪れた。
2000年クリントン大統領は「中国は単に米国製品の輸入に合意しているだけではない。中国は民主主義が最も大切にしている価値をも輸入することに合意しようとしている。すなわち、経済的自由である。中国が経済を自由化すればするほど、中国は人々の可能性も自由化するだろう。」 当時上院議員であったジョー バイデン元大統領は、「貿易拡大が独裁体制国家内での自由を拡大する。共産主義国家である中国とソ連崩壊後のロシアをアメリカ主導の経済秩序にくみこめば、繁栄と平和、政治的自由化がもたらされる」と2009年の議会で主張していた。当時シリコンバレーで開発されたインターネットなどの IT技術が世界の独裁者を弱体化させると確信していた。
このグロバリゼーションの時代は技術としてのインターネット時代であった。インターネット時代が始まるとパソコンでWeb1の時代、見るだけだったものが、Web2になり簡単にネットで参加することのできる参加型のインターネットになった。当時日本mixiやグリーは国内のガラケー上で人気であった。一方アメリカのFaicebookやTWItter,You Tubeは世界に広がっていった。その頃中国は、情報統制と国内産業の育成を進めWeChatやTencent,AlibabaあるいはBaiduなどが国内で完備され、TIkTokは世界中に広がっていった。その後中国国内の企業が情報産業でも進歩し、中国独自の情報空間をつくっていく。
その2000年代日本はeジャパン戦略を森内閣の時に発足させ、5年以内に世界最先端のIT国家を目指す方針を打ち出した。しかし実現しなかった。行政や企業は紙文化のままデジタル化を進めた。そのために組織構造は変えずに、旧構造が一部デジタル化された。一部のゲームやエンターテイメントでは成功した。
2002年ウィニーがファイル分散型の共有ソフトを発売した。この画期的技術は著作権法違反の疑いで逮捕起訴された。結局最高裁まで争われ、無罪となった。
2006年ライブドア事件が起きた。インターネット、media、金融のスタートアップ企業が、証券取引法違反で東京地検特捜部に起訴された。この事件は日本の個人が新しい発想で起業し成功する芽を摘み、元の現状維持と既得権者の世界に戻ってしまった象徴的的事件だったのかもしれない。そして、バブル崩壊以降企業も雇用を守り、社会保障を守り、新たな設備投資は行わなかった。そのため中国や台湾や韓国などとの経済競争には勝てなくなった。
2010年初頭のアメリカ政府は市場がすべての答えを持ち、中国やロシアを国際貿易システムに組み込むことで平和な未来が訪れるという楽観論に覆われていた。こうして2010年代には、BRICSブームとインターネットを通じたSNSによるアラブの春をもたらした。その後、ロシアが経済破綻から、プーチン政権の強権政治に変わり、ウクライナに武力侵攻を始め、共産主義国家中国は民主主義国家になるどころかAIの技術を使って国家の支配をより強固なものにした。
アメリカにトランプ政権が誕生すると、無制限なグローバリゼーションは否定され、政府が補助金や高い関税をかけ、あるいはその両方を使って経済成果を上げるべきという政策に変更された。そのグローバリズムが終焉する時から、AI時代が始まった。AI時代オープンAIやアンソロピックといった新興企業やGoogleやAmazonが、世界的な影響力を持ち、世界の覇権を確立しようとし、中国は国内の閉じたプラットフォームを完成させつつある。現在AIをめぐってアメリカと中国は単なる経済競争ではなく、システム競争、国際秩序を争う覇権争いとなっている。
本年6月アメリカはAlibaba、Baidu、BYDを中国軍事企業のリストに加えた。さらにホワイトハウスはアンソロピックに輸出規制を課した。