2020/01/26

新たな時代と心配性の脳、忘れられたパンデミック


 19世紀はイギリスのビクトリア王朝の時代で、安定した秩序と世界観が支配していた。多くの国は国王が君臨し、その下で強大な帝国をつくっていた。ヨーロッパを中心とてキリスト教が信仰され、そして世界はデカルトとニュートンの科学のもとに組み立てられ、地球は太陽系の周りを周り、規則正しく時を刻み、季節は変わり、時はめぐると理解されていた。
 
 20世紀になると、芸術の基準、その枠組みを壊す芸術が登場した。20世紀にピカソは割れた鏡のような像を絵にした。キュービスムという発想で、何かのものを見るのに、客観的で正しい視点や枠組みはないとする、鏡のように割れた像をキャンパスに描いた。もう一つの芸術もこの時代に流行した。ムンクの「叫び」で、私的な心の風景を表現した。物理の世界ではアインシュタインの相対性理論の正しいことが証明された。
 そしてモダニズムという新しい表現が芸術の世界に起こった。この時代は、同時に科学技術が生活を豊かにした。ラジオが発明され、自動車は普及し、電話で会話し、映画が娯楽の中心になりつつあった。
    
 日本でも新興芸術としてのモダニズムが小説、絵画、音楽あらゆる分野で流行した。その代表が横光利一や芥川龍之介のモダニズム小説だった。そして、芥川龍之介は未来に対するぼんやりした不安を理由に自殺した。時代を研ぎ澄まされた神経で感じ、不安の時代、未来を予兆する出来事だった。

 古典物理学が量子力学に変わり、芸術の世界で起こったモダニズムと時を同じくして、旧い世界秩序が崩壊した。イギリスのヴィクトリア王朝時代は、オスマン帝国が東欧から中東さらにアフリカまで支配し、ヨーロッパの中央はオーストリ ハンガリー帝国、そしてさらに北にはロシア帝国とドイツ帝国、そしてユーラシア大陸の東には清王朝、それらは第一次世界大戦前後、瞬く間に瓦解した。そしてイギリスと日本の皇室は第二次大戦後に政治権力としては無力な存在になった。

  技術の進歩は急速で、第一次大戦には機関銃が発明され、それが戦場で使われ、飛行機や戦車が活躍し、毒ガスも使われ、兵士は塹壕の中で、ほとんど耐え忍ぶ戦場となった。この時期運悪くスペインかぜと呼ばれる新型インフルエンザはこの塹壕の兵士たちにも襲いかかり、多くの病死者を出した。1918年から19年の新型インフルエンザの死者は2500万人以上に達した。

 「塹壕掘りの部隊が仕事にとりかかった時、あと平均どのくらいの寿命があるか知っているかい?」「たぶん、短いんでしょうね」「たったの9分さ」

 A.W クロスビーの「史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミックについて」に詳細な記録が分析されている。1918年アメリカで肺炎を伴うインフルエンザが流行し始め、兵員の輸送によりフランス軍そして、ヨーロッパの全域に広がりその夏には一般市民に蔓延した。四ヶ月で南極を除くすべての大陸や孤立した島々など、地球上のすべての国に広がった。この第一波に続いて、8月の後半にアフリカ、フランス、アメリカで同時にウィルスの変異から、強毒性のインフルエンザとなり爆発的流行、パンデミックとなって世界中で多くの死者を出した。そしてアメリカ大統領のウィルソンなどの政治家も重症となりその後の世界の政治も変えた。

 すぐに終わるはずの戦いは、誰も予想しない長期の悲惨な大戦となった。以前は帝国にとって、あるいは軍人にとって悲惨な戦いであっても、勇敢な戦士たちの戦闘は物語となり、ある程度の誇りと利益がもたらされた。しかし第一次世界大戦はかつての戦争と異なり、長期の塹壕戦になり、多くの病死者や戦闘ストレスの兵士を生み出した。そして利益は誰にももたらさなかった。技術が、戦争を変え、人々の予想を超えて世界を変えた。 

 第二次大戦後の日本は、安全で安定した民主主義の国として再生した。戦後民主主義と平和主義は夢と希望をもたらすものだった。戦後高度経済成長期は国内の経済と生活の再建に全力を注ぎ、日本列島を改造し、あるいは田園都市の構想で日本全土を豊かにすることを目的に人々は勤勉に働いた。その後バブル崩壊が起こり、世界やよその国を視野に入れないで、国内のみに目を向けて外の世界を見ないで生活できた時代が終わった。中国は経済大国、軍事大国になり、またアジアの国々は経済的に豊かになってきた。アジアもグローバル化の主役の一員になった。

 20世紀になると科学とテクノロジーは電話、自動車、ラジオを普及させ、第一次世界大戦には飛行機、戦車、化学兵器が戦争に使われた。現在はその時と同じくらいに急速に技術が進歩し、止まることのない時代になった。そして新しい技術は世界を、人々の生活を変えつつある。バイオ技術で病気を治し、人工知能があらゆる分野で進歩して、快適な生活ができるようになり、食料不足もなくなり、クリーンエネルギーで気候変動を抑えるのも技術の開発による。しかしそれと同じ技術は無人兵器、サイバー戦、宇宙戦を可能にしている。イラン革命防衛隊司令官ソレイマ二氏殺害はアメリカのリーバ型無人機にによるものであったことは、あらためて世界に衝撃を与えた。

 今の時代は、比較的安定した時代、第二次世界大戦後の冷戦とその後のアメリカによる平和が終り、資本主義と民主主義に対する信頼が揺らぎ、ちょうどイギリスのヴィクトリア時代が終わりの時代を思い出させる。そして今再び、心配性な脳は、不安を感じることになる。

  今までに、急性の反応として恐怖が脳内で起こるメカニズムはわかってきた。恐怖は感覚の刺激が、脳の原始的な器官である扁桃体に直接伝わる。これによって人々は危険を逃れ、地球上で生き残った。この生存に必要な脳のメカニズムが過剰でそれに耐えられなくなったのが戦場でのストレス症候群で、第一次大戦の時多くの兵士がこの状態になり、入院した。同じ症状は第二次大戦やその後の戦争で見られた。

 一方、将来への漠然とした不安はどこから起こってくるのかは未だわからない。しかし、生存のための必要性から生まれた機能で、人々は安定した世界、安定した日常、安定した生活が変化する時不安におののくことになる。不安は脳の全体が関わる現象で複雑な脳内の活動によって引き起こされる。最初は一部の感覚の鋭敏な芸術家がそれを感じ取り、表現しやがて多くの人々もそれに共振する。

 理性的な判断ではない感情が、理性を狂わせるメカニズムが働き、世界を変えてしまうこと。あるいは、人々の心に、不安がまん延する時代があること。技術の進歩に、人の心はついていけない時があることを歴史は証明している。
 

 安定した社会が失われる時、理性で理解していた世界観が崩れ去るとき、感情が人の判断のよりどころとなる。平静の心を保つのは、生存のために備わった不安がる脳にとって今は大変な時代かもしれません。