2024/05/31

依存症と脳内物質

 


   行進の 歌声きこゆヒトラーの演説すでに はてたるころか


  一隊は ハーケンクロイツの赤旗をたてつついきぬ この川上に


                                   斎藤茂吉

  

 斉藤茂吉は、1921年(大正12年)から1925(大正14年)ドイツのミュンヘンのクレペリンの元に留学中、ヒトラーのミュンヘン一揆にあって短歌をよんだ。


 100年前、フロイトが深層心理から精神分析の方法を生み出した頃、ドイツの精神科医エミール クレペリンは精神の病気にも神経に原因があり、それは脳の機能的障害ではないという説を唱えた。当時はそれを証明する手段はなく、単なる仮説に過ぎなかった。精神障害や依存症は長らく脳卒中や脳の外傷などの神経が損傷を受けた病気とは全く別物であるとみなされてきた。


 現在ではすべての精神障害、うつ病や不安障害だけでなく依存症もまた脳の障害であることがわかってきた。それは遺伝子の研究が進み、脳内を画像で見えるイメージング技術が発達し、動物を使った実験の成果による。とりわけマウスは恐怖や不安を感じるモデル動物として使われ、人間の精神疾患の研究を促した。

 

  依存症は、薬、アルコール、タバコなどの物を対象にした場合やギャンブル、食べ過ぎ、買い物のしすぎといった行動のこともある。いずれも意志の薄弱なためではなく、脳の変容により制御不能に陥った状態である。恐ろしい記憶は忘れようとしても突然鮮明な記憶がよみがえり、不安が不安を呼び、PTSDとなるのと同じように、快楽が暴走し、脳がドーパミンを過剰に作り出し、結果として依存症を引き起こす。


 依存症は、ある報酬に対する過度の反応である依存性のある物質によってそれは活性化される。脳のある領域は、食べ物でもギャンブルによるお金でも薬物と同じように活性化される部分がある。


 肥満の人やギャンブラーは、食事やお金の興奮が手に入るときの快楽は次第に減少する。それは活動が低下し快楽に慣れてしまってからで食べ物やお金のドーパミンに反応する反応が鈍くなるためである。 そのため薬物の依存症患者が薬物の摂取で同じ快楽を得るためにますます多くの薬が必要になる。同じように、肥満の人は食べ物を食べる量はますます多くなければ満足が得られなくなるし、ギャンブラーはギャンブルにつぎ込むお金がますます高額になる。そして脳の報酬系が変化し、依存症ができあがる。


 では人々を依存症にする物質ドーパミンとは何か。すべての肯定的な感情や快楽を感じる気持ちはドーパミンによって起こる。ドーパミンは1950年代に発見され、脳の奥深いところにある腹側被蓋野と黒質のニューロンから放出される。記憶の源である海馬、感情を統合する扁桃体、さらにそれらを統制する大脳皮質に軸索は伸びている。

 このドーパミンの関与する報酬の経路は生物の進化のかなり早い時期から見られ、身の回りの快楽もたらす刺激、食べ物や水や、生殖、社会活動をコントロールしている。

 そして、このドーパミンの発火は、最初は直接的刺激で起こっていたものが学習によって、期待や予兆の時点で発火するようになる。そうして習慣化した行動が、条件ずけられて、長期記憶になる。


 これと同じように依存性のあるニコチンでも、薬でもやはりドーパミンの産生ニューロンを刺激する。そしてこの中脳辺縁系のドーパミンの濃度を増やし、強い快楽を感じる。そしてこれが記憶され、タバコの煙をかいただけでタバコを吸いたくなる。こうして依存性のある薬やタバコなどはこれらと関連のある連想が再発を引き起こす。



 依存症の研究は、PETによるコカインの依存症患者と健常者の間で行われた。依存症のない患者では、コカインを与えると脳の報酬系の領域が活発に活動した。一方依存症の患者では脳内の活動は活発化しないことがわかった。

 さらにこのドーパミン系の報酬システムは猿やラットさらにはショウジョウバエにもある。動物で薬剤を与え依存症をつくると、人間と同じように、脳の報酬系の領域は活動がおこらなくなる。さらに、ストレスが加わると薬物乱用のリスクが高まる。さらにコカインなどがいくらでも手に入る環境に置いた動物は、依存症から、過剰摂取に至り自ら死に至る。


 コカインなどの依存性のある薬物は、ドーパミンが細胞の中に永くとどまり、脳の報酬系を乗っ取る。そして慣れ、薬物に対する耐性が生まれ、同じ高揚感を得るためにもっと多くの薬が必要になる。さらに薬とその場所や人、音楽時間の記憶が関連づけられ、その連想が薬を渇望するきっかけとなる。

 

 もしお腹が空いているときに食べ物が目の前に置かれたら、それを見ているだけでドーパミンの量が増える。食べる最中ではなく、その前にドーパミンは放出され、食べる行動を起こさせせる。そして食にありついて美味しいと感じさせるのは、エンドルフィンである。進化の過程で発達してきた、この快楽系の神経回路と快楽の記憶の報酬システムは、周りの状況をはやく的確に知ることが生存競争に必要だったためで、結果にかかわらず、新しい情報を探す、知的好奇心を本能的に持つように人間を進化させた。


 新しいことを学ぶと脳はドーパミンを出し、ドーパミンのおかげでさらに知識を得たいと思うようになる。新しい場所に行ってみたい。新しい世界を見てみたい。新しい人に会ってみたいという渇望はドーパミンの作用による。不確かな世界に生きる人類が報酬が得られるかどうかわからなくても探索の旅に出かけ、獲物に出会い、食料を得て生き延びてきた。


 現在アメリカでは50歳以下のアメリカ人の死因の第一位は薬物の過剰摂取であり、日本でも向精神薬や市販の薬の過剰摂取による死は急速に増えている。そして今年有名になったアメリカの野球賭博によるギャンブル依存症や日本国内のオンラインカジノやスポーツ賭博。これらは自分の意志によるものではなく、脳内のドーパミンなどの報酬系と記憶の働きによることがわかってきた。