2018/11/11

J.D.サリンジャー 魂の遍歴

。ライ麦畑とグラス家の人々
                     J.D.サリンジャー

 アメリカ文学はメルヴィル、マークトウェインやヘミングウェイなどの外向的、活動的な冒険小説が多く支持されてきた。
 サリンジャーは1950年代、チャールズ ディケンズのデイヴィッド カッパフィールドではないホールデン コールフィールド16歳の物語を書いた。ペンシー校から退学処分になり、ニューヨークの街を歩き、俗物社会の欺瞞に対する叫び、その会話で全編がなりたっている「ライ麦畑でつかまえて」を書いた。ビートルズのロール オーバー ザ ベートーベンと同じようにロールオーバー ザ ディケンズの新しい会話の文章で、既成の文学を乗り越えようとした。その内向的文学は1960年代アメリカの若者の心を捉え、彼等の聖典となった。

  アメリカは繁栄を謳歌した時代を幾度か経験した。19世紀にはその繁栄をマーク トウェインは「金ピカ時代」として小説化し、1920年代のニューヨークの繁栄はフィッジェラルドが描き出した。 第二次大戦後はアメリカの時代で、世界の富はアメリカに集中し、繁栄し実用主義、物質主義の時代になった。この物質的繁栄の下のフォニーなスノッブな人々(いんちきくさい俗物)に同調できない気持ち、フラニーと同じような困惑を新しい文体で語ったThe Cacher in the Rye は1950年に書かれた。



 1955年ニューヨーカー誌に「フラニー」を発表。レストランの一室、マティーニとチキン サンド、カタツムリと蛙の脚をテーブルに置いて「巡礼の道」についてレーンに語り始める。絵画のように描写された部屋でふたりの会話劇が始まる。これは1957年発表の「ズーイ」の序章だった。
 
 7人兄弟姉妹の6番目の男の子として生まれたのがズーイで末っ子がフラニー。ふたりはニューヨークのアパートの5階、ワイズ チャイルド一家、グラス家の人たちが育った室内で今は兄弟2人が両親と生活する。
 フラニーは大学生活で、通俗的で、知恵とは関係のない知識の切り売りする教授やまわりの人々に拒否感、嫌悪感を抱いていた。フラニーの心をとらえ、欺瞞の世界からの救済を「巡礼の道」に求め、出口のない、内的世界に閉じこもる。5歳年上の兄ズーイは、この妹の脱出路を見出そうとした。
 ふたりの兄弟たちの幼い頃からの宗教的体験、10才のフラニーがマタイ伝第6章を開いて、大騒ぎをしたことを「鳥たちを見よ。彼らは種子を播くこともなく、収穫を刈り入れることもなく、それを納屋に集めることもない。それでもなお、汝らの天なる父は彼等に食物を与え給う。あなた方はそれらより遥かに優れていると思わないか?」聖書のこの章に愛想を尽かし、ブッダ方面に直行したことを。
 8才の頃、ズーイがキリストと一緒にマティーニを飲んだ話。 そして兄のシーモアにワイズチャイルドの番組に一緒に出演した時、太ったおばさんのために靴を磨きなさいと言われた話。その時は何のことかわからなかった。あとで、その太ったおばさんこそすべての人であり全て太ったおばさんでない人なんて誰1人いないんだと悟り、その太ったおばさんと言うのは実はキリストその人なんだとわかったこと。
 ズーイは兄のバディーになり、そしてシーモアの言ったことを必死にフラニーに伝えた。ズーイは導師になっていた。それを電話できいたあと、深い眠りに落ちる前の数分間、フラニーは天井に向かってそっと微笑みかけていた。

 青春時代に現実社会に足を踏み出したとき、人々の浅ましい利己的なあるいは物質主義者の世界を目にしたとき 、それを肯定きない人々は、社会を変える学生運動や世界観を変えるカウンターカルチャーへとまっしぐら。その道しるべとなったのはインド哲学やブッダ、日本の禅や俳句、中国の老子などだった。1950年代にはこれらがアメリカの文化に受け入れられるようになり、1960年代のビートジェネレーションは古い価値を捨て、カンターカルチャーの文化運動を起こした。


 その後1963年「大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア 序章」を発表。グラス家の長男で家族の精神的指導者だったシーモアを次男のバディーが語る。
 二人で遊んだこと。行動はぶきっちょな兄の思い出。大人になり、シーモアの結婚式での出来事。シーモアは幼い頃からの東洋哲学の興味と憧れていたこと。とりわけ一茶に傾倒し、その俳句に仏教との同一性を発見した。シーモアは美しい詩を残し、若くして自殺した。そこには俳句の形式に習った短い、装飾を削ぎ落とした美しい詩が残された。
 7才のシーモアを描いた「パブワース16、1924」を最後にグラス家の物語は終わり、サリンジャーは沈黙し、伝説の人となった。


 サリンジャーは「らい麦畑でつかまえて」で既成の権威、文化に反抗する姿を、次のフラニーでその反抗から迷いの姿を、そしてズーイでその混迷からの離脱を描いた。そのあとシーモアとバディーの物語では、そして若くして知的で神童のような一家の長が自殺したことを「バナナフィッシュに最良の日に」に、「シーモア序章」でその心の遍歴をたどる。その後も多くの人はグラス家の物語の続編を期待した。「私はまた非常に多くの、また未整理の原稿を書きためているのだが、それらはいつか受けがいい表現におきかえてかたをつけるべきだと考えている(磨きをかけるという気の利いた言葉もある)。私自身は電光石火のごとく仕事をするのだが、私の分身であり協力者たるバディー グラスはがまんならぬほど遅いのだ。」と書き記し、サリンジャーは、沈黙を通し続編を発表することはなかった。

 世界に広がった学生運動やカンターカルチャーの運動は1970年代収束し、アメリカは何もなかった70年代と呼ばれるようになる。精神世界のニューエイジ運動は神秘主義、インディアン文化、東洋文化の小さな集団に、ばらばらにわかれ混迷した。