石油の世紀
コークスのおこり火のうへに、
シンガポールが載っかている。
ひび入った焼石、蹴爪の椰子。ヒンズー キリン族。馬来人。南洋産支那人。それら、
人間のからだの焦げる凄愴な臭火。
合歓木の花と青空。
荷船(トンカン)。
檳榔の血を吐く 赤い眩迷。
鮫 金子光晴
1859年、アメリカペンシルベニアで油田が見つかり、石油は瞬く間に灯油に使われ、車の燃料になり、国の命運を決めるエネルギー源となった。1914年アメリカは全世界の65%の石油を生産していた、ヨーロッパでは、ルーマニアそしてロシアのバクー(現在のアゼルバイジャン)の油田が多くの生産を行なっていた。 チャーチルは海軍大臣に任命されてすぐにイギリス海軍艦隊の燃料を伝統的な石炭から石油に転換した。それは、その後20世紀が石油の世紀になる象徴的な出来事だった。
この年に勃発した第一次世界大戦は、イギリスとフランスが勝利し、石油の枯渇によってドイツは敗北した。 ドイツ帝国は鉄と石炭でドイツの優越を誇示していたが、われわれが石油で優越していることを充分考慮しなかった。のちになり、第一次大戦の勝利は石油によってもたらされたとフランスの上院議員は語っている。
大戦後、アメリカの繁栄は車社会をもたらした。国内全土にガソリンスタンドは林立し、そして交通機関は、瞬く間に車に取って代わられた。アメリカの自動車台数は1916年から1918年にかけて倍増し、黄金の20年代がアメリカに訪れ、人々は旅行に出かけ、外食しキャンプを楽しんだ、その新しい車を使った生活様式は、世界に広がっていった。やがて石油を燃料とした船舶や航空機の技術は進歩し、エネルギー源として欠くことのできないものとなり、生活を豊かにしていった。1930年代にテキサスに大油田が発見され、アメリカは世界で突出したエネルギー大国になった。
世界は経済の繁栄と国力の増加のため、さらに石油を求めることになる。かつてトルコの支配下にあったアラブ諸国は独立に向かった、そしてペルシャとメソポタミア、いわゆる中東の石油採掘が爆発的に進展する。 その地には膨大な石油の埋蔵地域であり、ヨーロッパ各国は中東石油の支配に向かった。ペルシャの石油はイギリスが支配し、アラブの石油は蘭領東インド(インドネシア)の石油を開発したロイヤル ダッチ シェル、イギリスのアングロ ペルシャ 、フランスそしてアメリカが協定を結び中東油田の利権を確保した。
第二次大戦では極東でもヨーロッパでも石油は戦争の行方と結果を決める中心的役割を果たした。ヒットラーのソ連への進行は、コーカサスの油田の確保が目的であった。日中戦争の泥沼化の中、昭和15年アメリカは石油を禁輸した。日本は油田がなく、アメリカの石油禁輸により石油が手に入らなくなり資源確保のため南方に進出を図り、アメリカ、イギリス、オランダと衝突した。
「爪哇(ジャワ)には、モジョパイト王朝以来の様々な文化の遺跡、旧跡の紹介すべきもの、王宮の輪奐の賞すべきものがたくさんある。馬来には猶、ポルトガルの由緒ふかい港マラッカや、回教寺、極楽寺、みるべきものが皆無ではない。スマトラにいたっては、そういったものが、とりたててなに一つない。ただ森がある。森をひたした大きな湖水がある。人間を知らない原始林に全てがつずいている。それだけである。」
金子光晴の描いた何もないスマトラ島にも豊富な石油があり、オランダの石油会社(ロイヤル ダッチ シェル)が開発し、後に日本もこのスマトラ中部で新たな油田を掘り当てた。さらにマレーには豊かなゴム林もあった。
日本は、1941年に宣戦布告しアメリカの太平洋艦隊の南方への派遣を阻止するために真珠湾を攻撃し、南方に戦線を広げた。マレーシアを南下し、シンガポールを陥落させ、当時オランダの支配していたインドネシアに侵攻し油田を占領した。日本が戦艦や航空機を動かすにはインドネシアの石油は必要不可欠で、この石油を日本に運ぶことが日本の生命線であった。そのためシンガポール、マラヤ、インドネシアを支配下に置いて物資の確保を狙った。
しかしその後、石油を輸送する商船はすぐにアメリカ潜水艦などに遮断され、補給路は断たれた。国内には石油が瞬く間になくなった。戦争前に出された総力戦研究所のシミュレーションしたとおり、石油の枯渇から必ず敗北すると報告されていた戦争を当時の日本は始めてしまった。
1940年頃アメリカは世界の石油生産の63%を占め、中東はわずか5%に過ぎなかった。1944年油田の開発には懐疑的であったイラン、イラク、サウジ、クウェート、バーレーン、カタールの各地の油田調査がデコテイヤーによって行われ、第2次大戦後、「世界の石油生産の重心がメキシコ湾とカリブ海から中東のペルシャ湾に今後は移動する。」と報告した。そして第2次大戦で疲弊したヨーロッパに、石炭に代わるエネルギー源の石油が中東から輸入されることになり、1951年にはアメリカからの輸入に変わり、中東石油の割合は80%にのぼった。 第二次大戦後 アメリカはアラムコとサウジアラビアのイブン サウドとトルーマンが協定を交わし中東の石油確保に向かった。
やがて、アメリカも石油の輸出国から、輸入国に転じ、ヨーロッパに続いて、アジアの国々も石油の輸入を始めた。石油を消費する車は世界中で爆発的に増え、航空機も世界中の空を飛びかうことになり、安価で便利な石油製品は世界中にあふれるようになった。20世紀の繁栄は石油によってもたらされた。そして石油をめぐる争奪戦はその後も続き、イランのパーレビ国王の失脚とイランの革命、イラクのクエート侵攻と湾岸戦争、そのイラクのフセイン政権崩壊を引き起こした。
この20世紀の石油文明は、やがて副産物を生むことになる。石油を原料としたプラスチック製品も次々と生み出されて分解されることなく地球上に残り、海洋を汚染し、石油は燃焼され地球温暖化による世界の気候変動をもたらすことになってくる。20世紀の石油の時代(ハイドロ カーボン エイジ)は終わりを向かえつつあり、2019年には石油の消費量はピークを打った。次第に車のエネルギー源は電気に、その電力源も欧州と中国が先導し、アメリカも加わりより安価で高性能な風力や太陽光に急速に取って代わられる時代になった。