2014/04/08

イギリス保守主義と皇国史観日本


  しきしまの 大和心を人とはば 朝日に匂ふ 山桜花


  昭和にはいると日本社会も、不安の時代となり国全体が政治思想にのみこまれていく。当時大国は戦争を手段として生き残りをかけた総力戦を繰り広げ、この総力戦の時代に日本はどう生き残り、国を発展させるかが死活の問題となってくる。そして、日本とはなにかというアイデンティティーの問題にぶつかり、日本を再構築しようとする様々な思想があらわれる。

 共産主義、反帝国主義、無政府主義思想、国家社会主義、民本主義などが海外から紹介され、国内でも影響力をもってくる。なかでも民本主義は民衆の利福のために、民意に沿って政策は決定され、議会中心主義的要素を取入れ、天皇主権と矛盾しないものとして吉野作造らによって唱えられ、大正デモクラシーを主導した。しかし時代はすでにロシア革命がおこりソヴィエト連邦が樹立され、ドイツ革命でドイツ皇帝も、オーストリア皇帝も退位し社会主義、共産主義が時代を動かすようになってきた。

 
 この時代の荒波、国外の圧力から国を守るために、不安と恐怖に打ち勝つために、外来思想ではない日本古来からの思想、国学をもとにした日本主義思想がしだいに力をもってくる。日本を腐敗させた財閥、既成政党を倒すため反資本主義、反議会主義の改革派の軍が力を持つようになり、皇国史観が主流となり、日本を引っ張っていく事になった。

 本来(Fundamental character)国体とは国家の性格、国柄を表すばくぜんとしたものであった、それがしだいに、本居宣長の「皇国は天照大御神の授け賜える皇統にして、天壌と無窮にしろしめす大御位に坐ば、君の私のという事はなき事なり」「ひたふるに畏こみ敬ひて従ひ奉れ」とする伝統的権威としての天皇支配の正統性のをもとにして、日本は天皇中心の一君万民、挙国一致の総合家族国家であるとした。
 
 外国の思想や物質的、精神的実力を蔑視し、ものが足りない分は精神で補うという日本精神論が独善性をもって広がっていく。  さらには徳川時代末期の尊王攘夷、清朝末期の扶清洋滅に近い排外主義、国粋主義に近くなってしまった、そしてまた理性的判断より感性が尊ばれ、客観性を無視した愛国主義になっていき市民の自由は消え去ってしまった。
   


    
四月はもっとも残酷な月、死んだ土から
ライラックを目覚めさせ、記憶と欲望をないまぜにし、
春の雨で生気のない根をふるいたたせる。
冬はぼくたちを暖かくまもり、大地を忘却の雪で覆い、乾いた
球根で、小さな命を養ってくれた。

                      荒地  T.Sエリオット

 19世紀はイギリスの時代であり、とくに一国で世界を支配したヴィクトリア時代は安定した物質主義的、合理主義の時代、楽観主義の時代であった。世紀末から20世紀のはじめにかけてヴィクトリア時代の合理主義が権威を失いつつあった。そして、ある根本的不安の時代となり、その不安の結果として社会主義運動もおこった。そしてヨーロッパは帝国主義列強の時代になり各国が勢力を競い合うことになった。

 しかし、第一次大戦はヨーロッパ世界とその文明そのものを破壊し,帝国が解体消滅する国もできてしまった。1922年 T.Sエリオットは「荒地」で当時の人々の精神状境を描き、荒地のように荒廃した世界を描き、そこからの再生を語った。
 エリオットは詩の起源は伝統にあり、さらにその伝統をさかのぼるとキリスト教、イギリス国教にある。生きる事の支えとなる智慧をこのキリスト教の伝統の中にみいだした。超越的神の存在を認め、神に救われた状態を通してながめられた人間世界、ヨーロッパの伝統とともにある神の存在を根底にした保守思想を打ち立てた。

 イギリスでは、この歴史や伝統によりつくられれた社会的秩序を重視し,フランス革命に始まる設計主義的合理主義すなわち人間の知識、構想により理想的社会をつくる思想,共産主義とファシズムに対立する立場をとった。そして、議会制民主主義は定着していた。民主主義は、自立した個人は重要なものであって,一つの文明を形成するにはあらゆるタイプの人間が必要だということを前提にし、さらには批判が許されることを制度として保障している。

 イギリスの立憲君主制は、議会、下院の主導権が強く、その主導のもとの君主制で、いっぽう、明治憲法の立憲君主制は,内閣はこくみんに責任を負うのではなく、天皇に対してのみ,輔弼の責任を負うことになっていた。