1930年代、大変換期とフランス
第一次世界大戦後は,国際法や国際道義を重視し,国際連盟などの国際組織によって平和を維持し続けるべきだとの考えが強くなった。そして,戦勝国のフランス、イギリスそしてアメリカは平和と繁栄を謳歌していた。日本もまたつかの間の好景気を満喫していた。
とりわけ、1920年代のパリは美術、音楽、文学、演劇などの中心で世界中から人々が集まり、この芸術都市に暮らし作品を生み出していた。小説家をはじめ、芸術家を目ざすアメリカ人にとってもまたパリは憧れの都市であり、スコット フィッツ ジェラルドや、カートルード スタイン、エズラ バンドやヘミングウエーなどもフランスに移り住んでいた。ヘミングウエーは“もしきみが幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこですごそうとも、パリはついてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ。”と書いている。
日本からは、岡本太郎や藤田つぐ治など400人以上の画家や彫刻家が留学などの目的で滞在し。堀口大学や藤原義江、また小説家の林芙美子も放浪記で有名になった後,パリで生活していた。その頃岡本太郎もバタイユと親好を結び,人間性を圧殺する全体主義、革命を裏切る官僚制対する憤りを主張する文化運動を彼らとともに行っていた。
1920年(大正9年)から1940年(昭和15年)への20年間は、前半の10年に夢みられた平和と繁栄と国際協調の期待、主にイギリスおよびアメリカの覇権によって世界の治安が保たれた時代であり、また西欧文明の最盛期であった。経済的に繁栄を謳歌し、世界平和は保たれていた。共和国フランスは文字通り世界の芸術文化の中心として輝き、世界中の人々を引きつけていた。
しかし、1929年の世界大恐慌は瞬く間にユートピアの時代を過去のものとし、世界経済がブロック化し、世界貿易はスパイラル的に減少し、この影響はフランスにも及び,全労働者の60%が失業する事態となり、深刻な政治的抗争がおこった。ファッショ団体である火の十字架やアクション フランセーゼなどの右翼団体ができ,左翼もまた結束して人民戦線を形成した。
ドイツは生存権獲得、旧秩序を破壊するナチスが台頭し、日本では、米英本位の平和主義を排すとした近衛内閣が誕生した。そして世界大戦へと世界は突き進んでいった。
