戦後日本は、空襲によってほとんどの都市はやけ野原となり住む家は極端に不足していました。1951年、この住居を確保するため市営、県営の住宅である公団住宅が建てられました。コンクリート性で耐久性の高い建物が設計されましたが当時の財政の状況から最低限度の生活可能な狭小住宅が最初に普及していきました。
その後、都市は復興し、産業がおこり、若い人々はその仕事のために都市に住居を求めることになります。そして高度成長期が始まり1956年に日本住宅公団が設立されました。
戦後の生活の理想のモデルとしてのアメリカがあり、それに習って設計された西洋風の台所や居間を備えた住宅団地が出来上がり、当時『文化のあるところは、団地と駅周辺』といわれ、4人家族の標準世帯、両親と子供向けの住居が大量に供給されました。
団地の歴史はブルーノ タウトから始まります。勤労者のための住宅団地を設計し、後にはソ連で住宅団地の建設を行います。その住宅は機能主義的で生活重視の、しかも安価なものとなりました。日本でもこのソ連型に似た住宅団地が建てられることになりました。
その頃、原子力発電所の建設も始まり、水上 勉は『都市生活の二男三男よ。長男の国、辺境の寒村は、放射能まみれになっても、きみたちが、健康で,優雅な文明生活を味わえて,せめて2DKのマンションで暮らせるように、ひとのいやがる原発を抱えてがんばっているのだ,という声を,私は若狭の地平からきく思いがする。』と書いています。
その後、庭つき一戸建て住宅が多く建てられました。狭いながらも自然が庭に残り、人気の住まいとなり、郊外へとしだいに広がって行き、都心部ではマンションに人気が移って行きます。団地や個建住宅のさらに進化したものがニュータウン構想で、1971年多摩ニュータウンが出来、これに似た形のニュータウンが日本各地の都市郊外につくられました。
21世紀の現在、日本の社会は変貌をとげ、住宅不足から、充足へ。標準的家族構成から、様々な家族の構成へと変化していきます。地方から目立ち始めた高齢化が、都市部にもはじまり、2010年から2025年までの15年間で、65歳以上の高齢者人口が694万人増加すると推定されています。
都市でも場所によっては、団地の限界集落化がはじまりました。持ち家を持つことが人生の目的だった時代は過去のものとなりました。今後流行する新たな住まい方は、コンパクトシティーやエコタウン、いずれにしても人口構成に合ったものにならざるを得ません。