2011/07/18

団地の歴史

 戦後日本は、空襲によってほとんどの都市はやけ野原となり住む家は極端に不足していました。1951年、この住居を確保するため市営、県営の住宅である公団住宅が建てられました。コンクリート性で耐久性の高い建物が設計されましたが当時の財政の状況から最低限度の生活可能な狭小住宅が最初に普及していきました。

 その後、都市は復興し、産業がおこり、若い人々はその仕事のために都市に住居を求めることになります。そして高度成長期が始まり1956年に日本住宅公団が設立されました。

 戦後の生活の理想のモデルとしてのアメリカがあり、それに習って設計された西洋風の台所や居間を備えた住宅団地が出来上がり、当時『文化のあるところは、団地と駅周辺』といわれ、4人家族の標準世帯、両親と子供向けの住居が大量に供給されました。

 

 団地の歴史はブルーノ タウトから始まります。勤労者のための住宅団地を設計し、後にはソ連で住宅団地の建設を行います。その住宅は機能主義的で生活重視の、しかも安価なものとなりました。日本でもこのソ連型に似た住宅団地が建てられることになりました。

 その頃、原子力発電所の建設も始まり、水上 勉は『都市生活の二男三男よ。長男の国、辺境の寒村は、放射能まみれになっても、きみたちが、健康で,優雅な文明生活を味わえて,せめて2DKのマンションで暮らせるように、ひとのいやがる原発を抱えてがんばっているのだ,という声を,私は若狭の地平からきく思いがする。』と書いています。

 その後、庭つき一戸建て住宅が多く建てられました。狭いながらも自然が庭に残り、人気の住まいとなり、郊外へとしだいに広がって行き、都心部ではマンションに人気が移って行きます。団地や個建住宅のさらに進化したものがニュータウン構想で、1971年多摩ニュータウンが出来、これに似た形のニュータウンが日本各地の都市郊外につくられました。

 21世紀の現在、日本の社会は変貌をとげ、住宅不足から、充足へ。標準的家族構成から、様々な家族の構成へと変化していきます。地方から目立ち始めた高齢化が、都市部にもはじまり、2010年から2025年までの15年間で、65歳以上の高齢者人口が694万人増加すると推定されています。

 都市でも場所によっては、団地の限界集落化がはじまりました。持ち家を持つことが人生の目的だった時代は過去のものとなりました。今後流行する新たな住まい方は、コンパクトシティーやエコタウン、いずれにしても人口構成に合ったものにならざるを得ません。

 

2011/07/10

自然を乱すべきか


 新たな詩人よ

 嵐から雲から光から

 新たな透明なエネルギーを得て

 人と地球にとるべき形を暗示せよ



 20世紀の初頭、神秘主義や宗教と科学が「宇宙の生命エネルギー」という考えで融合し、また「生態学」すなわち「エコロジー」がドイツの生物学者ヘットルによってはじめて提唱されました。宮沢 賢治は東北の花巻で、農民として田畑を耕し、農芸を広める社会活動家で、芸術活動を実践し、園芸家としても有名な日本のエコロジストの先駆者でした。



 六月の雲の圧力に対して

 地平線の歪みが

 視界50度を超えぬやう

 濃い群青をとらねばならぬ



 日本の国土は自然に恵まれ豊かなものの、自然災害が毎年のように起こりそれを克服することが生活の一部になります。戦前の昭和時代は不況の中、関東大震災や東北地方を中心に冷害や干ばつに毎年のように襲われています。その時代に広がった農本主義は、西欧化する都市型の文明に対する反発と、農家の疲弊を救済する方法として多くの人びとの支持を得、彼の描いた世界もしだいにその農本主義思想にのみこまれていきます。


 明治三陸地震に続いて、第二次大戦の前1933年にふたたび昭和三陸地震がおこり、その半年後に有名な『雨ニモマケズ』を手帖に書き残し37歳で死亡。 



Strong in the rain

Strong in the wind

Strong against the summer heat and snow

He is healthy and robust

Free from all desire



 この英訳の宮沢賢治の詩が今年4月11日ワシントンのナショナル大聖堂で東日本大震災の犠牲者の追悼式で朗読されました。


 戦前から、戦後の昭和30年頃まで,日本の多くの地域で,自然に囲まれ、日々の暮らしが営まれていました。田園と里山とが人々の生活の場所であり,これ等の生活はアジアの 稲作地帯と多くの共通点が認められます。

 戦後日本は、家庭の近代化、民主化や農地解放を受け入れ産業は全国あげて、工業化に突き進みました。急速な工業化、都市化がすすめられた結果、この江戸時代から続いてきた自然の中の村落共同体はしだいに衰退していきます。


 世界的にも、工業化と都市化は進み、石油をエネルギー源にさらには原子力も加わり、豊かな生活を享受するようになりました。

 1970年代になるとこの急速な都市化近代に対して、脱石油環境保護の観点から、太陽光や風力、廃棄物を新たな電子工学の知識を用いて統合する運動が起こり、地球生命圏の思想がうまれてきました。アメリカではヒッピーが生まれ、ドイツ、オーストリアでは緑の党が結成され、アメリカから発信されたsmall is beautifulが潮流となり世界に広がりました。2度目の

エコロジーの時代でした


 しかし、その後20世紀末の冷戦の終了から21世紀にかけ、世界大競争時代になり、再び環境保護の運動は資源とエネルギー争奪戦にとってかわられ、地球上にくまなく資本主義が広がり、石油や原子力エネルギーをふんだんに使った技術革新が生活の豊かさをもたらし浸透していきました。

 その最中、今回の地震と津波とともにおこったフクシマ原発事故は、放射能汚染が広範な土地、大気、海洋を一瞬のうち回復不能にすることをみせつけています。

 日本も、再び自然を大切にした自然と折り合う社会、自然エネルギーを利用した社会に舵をとる必要に迫られています。