2024/02/23

バブルの生まれるところ



 サバンナで人類は生まれ、飢餓、病気、捕食者からまぬがれ知性を進化させ、生きてきた。人間は意識する自分が、充分な情報を持っていない時、行動に移すのは、私たちを支配する感情である。


 17世紀オランダは世界の覇権国となった。16世紀末、トルコ原産の珍しい球根がオランダに持ち込まれ、この球根は、様々な形の綺麗な花を咲かせ、人々はそれを買い求めはじめ、チューリップの球根の値段は見る見るうちに上がり、貴族も庶民もそのチューリップ熱に取りつかれた。これが歴史に残るチューリップバブルの始まりで、1634年から1637年の数年間にかけて人々は土地、宝石、家具を売ってチューリップの球根を手にれようとして奔走した。

 18世紀にはオランダに代わってイギリスが覇権国家となった。1711年イギリスの国策会社南海会社が設立された。そして南米での貿易を一手に担うことになった。この会社の株は値上がりし、国王や議員たちも、あらゆる階層の国民は、これらの新会社の株を求めて殺到した。そしてこの南海バブルも数年で崩壊し、バブル防止法がイギリス議会で制定された。1720年のバブル崩壊で大きな損失を被ったニュートンは後に「私は天体の動きは計算できるのだが、人間の狂気ばかりは測りきれない。」と書いている。


 20世紀に入ると覇権国家アメリカは、1928年から1928年に壮大なバブル時代を経験した。1929年のこの暗黒の木曜日以降、30年代の大恐慌の時代になっていく。その後、今世紀に入っても、アメリカITバブルや不動産バブルがアメリカで起こり、世界に広がっていった。

 日本でもやはりバブルは起こった。多くの人の記憶に残っているように、1960年から30年後の1990年にかけて日本中の投資家たちは熱狂した。土地の値段は70倍になり、日本の地価の総額は、アメリカの全土の5倍になり、日本の首都圏だけで、アメリカ全土と同じ値段になった。株価も1955年から1990年で100倍に上がり、1989年には日本の株価は世界株価全体の45%にもなった。高級な服や家具や車を人々は買い求め、土地やマンションは投資の対象となり、不動産の投資はブームになった。1989年の株価はピーク時に4万円近くに達した。それが2年後には1万4300円と63%も下落した。そしてバブルは崩壊し日本の経済は失われた30年間と呼ばれるようになった。今年になり株価は上がり当時の最高値を超えて、史上最高値になった。



 バブルの初期では、楽観的な感情が個人個人に高まり、他の人の反応や共感が共鳴し、次第にそれが社会に広がり、報道され、人々を陶酔させる。バブルは人間の心の報酬システムを使って、経済的利益に対する期待を高める。この行動の原動力はサバンナで生き残るために適応した感情である。感情はサバンナで食料を求め、本当にそれが手に入るかどうかはわからなくてもワクワクした気分になり、新しいものをみつけ、結果はわからなくても、食べ物が手に入るかもしれないという期待感がドーパミンを放出させ、行動に駆り立てる。その報償システムが働き、時には食べ物の果物が手に入り、時には期待外れに終わる。脳の感情の役割は、お腹が減っている時、食べるものを見た時に脳がドーパミンが放出され、食べたいという欲求を促す。感情が湧いて、脳から、体に連鎖的に反応を起こし、活動し食べ物にありつく。そして体内のモルヒネと呼ばれるエンドルフィンが満足感をもたらす。

 サバンナの刻々と変化する自然の中で、生きぬくための行動をする。結果的にその行動が成功すれば、それが習慣となり意味あることになる。意味ある行動の原理によってサバンナ時代と同じように人々の感情は動き、人々は共鳴し、陶酔しバブルとなる。やがてバブルは、万有引力の法則と同じように、ピークを超えると価格は、少しずつ下がり始め、人の心に恐怖や不安が広がり、やがてバブルは完全に崩壊する。


 なぜそれが起きるのかを説明する行動経済学という学説が、今世紀になり広く認められるようになった。経済も合理的判断ではなく、感情で動いている。人は自分の信念や能力に対する過信と、将来に対する過度の楽観主義がある。悪いことの起こる確率を過少評価し、過去の楽しい記憶を使って、未来を描く。未来を過去の経験の繰り返しと想像する。そして過度の楽観主義に陥る。さらに、新たな情報を自分に良いほうに解釈する、知識の錯覚が起きる。

 群の心理 個人個人が集団で行動するとき、まちがった考えは訂正されず、集団思考となって群を支配する。そして根拠なき熱狂は生まれてくる。さらに人の心は損失に対してより痛手を感じ、損失を回避し、損失をより少なくする行動を取りたがる。


 人々の経済活動を支配しているのは感情であるとする行動経済学が認められるようになったのは脳神経の研究が進歩したためです。人間の行動に脳のどの部位が働いているのかがPETやMRIを使った画像診断で明らかになってきました。脳神経における感情は扁桃体とその周辺の活動によるもので、理性は大脳の新皮質の働きです。


 初めはラット扁桃体と新皮質との関係の分析から、感情の行動に果たす役割の研究は始まった。ラットの新皮質は感覚、見たり触れたりしたものを意識して、行動する。それとは別に危険な状況に出会うと、ラットの扁桃体が直接に働いて情動と結びついた新皮質には関係しないルートを使って情動的反応から行動する。 同じように、人間もまた、意識する脳である新皮質とは別の、無意識の怒りや、恐れ、羨望、冒険心や挑戦、意欲といった感情から行動にうつす場合があることがわかってきた。 

 怒りの感情は危機に立ち向かわせる気持ちを起こし、不安や恐怖を感じた時にはアドレナリン出て、脈は早鐘を打ち、血液は全身に送り出され、突撃に備え、恐怖心を消し去ってしまう。悲しみや、憂うつはリスクに対する不安を起こし、行動は慎重になりその場にこもったり、撤退を考える。 


 ある脳の怪我をした人が、記憶力や、視力も、手や足や全身の活動、合理的な思考が保たれていながら、日常生活で決めて判断する能力、決定する能力だけ無くして、感情活動が低下し日常の生活を台無しにした人を報告している。感情が行動に意味を持たせて、行動を決めている。感情は意識する脳が世界をどのように捉えるかまで決めていく。過去の経験は感情と結びついて記憶され、それに元ずいて行動を起こし、未来を予測することができる。


 サバンナの環境に適応し、生き残った人類は、環境は変わった現在の世界でも、合理的な判断だけではなく、感情で支えられて、過激な行動や愚かな行動を起こしている。この行動の原理が、経済も宗教や政治も感情の虜から逃れることのできないわけが、脳の神経生物学的研究で解明されつつあります。



2024/02/11

感情の生まれるところ



 ボロゴンジャ川から、エメラルドのような緑色をしたなだらかな丘が、一定の間隔で生えた木々とともに広がっている。地平線まで一望できるが、至るところに木々が小さな木立をなして点在している。草原はこれ以上ないほどの緑色に染まっている。動物たちはあらゆる丘を覆い、一頭で、あるいは群ををなして平原に立ち、木立に出たり入ったりし、低地ではエサを食べている。アフリカのセレゲティは人類が誕生したサバンナで、そこではヌーやシマウマ、ゾウやキリンなどの大型草食の哺乳類とそれらを捕食するライオン、チーターやハイエナなど野生動物の王国である。


 そのサバンナで人類は生まれ、飢餓、病気、捕食者からまぬがれ知性を進化させ、生きてきた。人間は意識する自分が、充分な情報を持っていない時、行動に移すのは、私たちを支配する感情である。

人類はアフリカで200万年ほど前にホモ属が生まれ、その中で現生人類が生き残った。その祖先から生まれた現代人の脳の中では、誰もが、1日に何百何千の感情が生まれ、忘れ去られている。つらい感情や、不安を感じない人はいません。いつも幸せな気持ちでいられないなら、感情などないほうがいいとさえ思いたくなる事さえあります。


 実際それはあり得ない、無理な事です。 人類が地球上で存在し、生き長らえたのは、その不安や、恐怖の感情があったため危機から逃れることができた、絶対に必要な働きをするものでした。 今より危険に満ちた環境のサバンナでは、人の生存を脅かす危険な状態に出会うと、心は激しい恐怖や危機感を感じ、すぐに反応して行動する。起こされた行動の結果で、生るか死ぬかは決定ずけられます。これが感情のもっとも重要な役割で、人の体と脳は気分良く暮らすために進化したのではなく、この地球上で生き延び子供を残すために進化してきたのです。感情が、人の行動を決めるのです。その決断が、環境に適応しなければ命を失います。時には危険な相手に向かっていったために、命をなくしたり、時にはじっとしていて逃げる行動を取らないで相手に捕食されれてしまったりします。空腹を感じると、食料を求め食べて、満足する。それからしばらくすると、また空腹感が訪れ、再び食料を求める。これと同じように、幸福感も脳で感じるのは、ほんのわずかの時間で、すぐに心は移ろい生存ために感情は働き始めます。

 

 その感情の生まれるところは、最近の脳の研究でかなり詳しくわかってきました 昔々、人類が生まれ、生存のために役立っていた不安の正体は、扁桃体が働いて、何かおかしいと体に働きかけるシステムが出来上がりました。この側頭葉の奥深くにある扁桃体は、いろいろな知覚の刺激が大脳に届く前に、チェックする役割であり、人の体に危険が迫ると、この扁桃体が瞬時に働いて、強い不安感が起き、パニック障害に近い状態に体はなり、危険を回避します。 不安は危険の先取りの状態です。危険かもしれないあるいは何かおかしいという、漠然とした非常に不快な感情を言います。その役割を扁桃体が果たし、 目で見たり、耳で聞いたりする情報は、その後に脳の視覚野や聴覚野という部位に到達します。そして、起こっていることは何かがわかるのはその後のことです。このできごとが命に関係のない、何でもないことだと大脳が認識すれば、不安は消え去ります。不安感が扁桃体の過剰反応だとわかり安心するからです。



 人を行動に駆り立てる原動力は一体何なのか。ある日目を覚ましたとき、気分が妙に落ちこんだだ日もあれば、爽快で、何かをしてみたくなる時もある。人の心は、ある時は沈鬱になり、ある時は浮き浮き陽気になる。なぜこれほどまでにくるくる変わるのか。それは脳が感情を使ってその人を動かそうととするためで、これもまた人類の生存に必要な心の動きです。

 脳には海馬という記憶をする場所と、そのすぐ前に扁桃体並んでいます。この生存に重要な扁桃体の働いた時の、まるでついさっき起きたことのような鮮明な記憶は海馬に保存され、危険の回避に役立っています。楽しい記憶より、事故や災害の時の恐ろしい記憶は忘れようとしても、忘れられなくして危険から身を守り生き残りに役に立つようにできています。しかしこれが過剰にになれば、PTSDとなり、何度も何度もフラッシュバックし、思い出してしまう状態も起こります。


 そもそも記憶もまた固定したものではなく、正確に像として残っているわけでもありません。人の心は記憶された物事を、喜びや悲しみ、幸せな気分と不安や恐怖の感情とともに物語として創作しています。逆に感情を伴った記憶は、それを使ってその人の活動をコントロールする道具となります。高い崖から飛び降りるべきか、踏みとどまるべきか、水の中に飛び込むべきか、相手と戦うべきか、逃げ出すべきか、この時の行動は自信に満ちた記憶を思い浮かべるか、失敗した苦い記憶を思いだすかにかかっているからです。


 人々の生活する地球上には、様々な天変地変や自然の災害、あらゆる生き物の活動によって、予測できない、理不尽な事柄に満ちている。人は知性のみで生き残ったわけではなく、感情を揺さぶられる体験の記憶を使ってからとっさの行動で危機を逃れて生きてきました。この役割は脳の中の側頭葉の奥にあり、外からの情報を受け取り、体の中からとの情報を集めて、それをまとめ判断して、感情が生まれて来るわけで、知性はその後ゆっくりと大脳とともに発達してきました。そして理性は情念の奴隷になりました。



 ゆられ、ゆられ

もまれてもまれて

そのうちに、僕は

こんなに透きとほってきた


だが、ゆられるのは、らくなことではないよ。


外からも透いてみえるだろ。ほら。

僕の消化器のなかには

毛の禿びた歯刷子が一本、

それに、黄ろい水が少量。


心なんてきたならしいものは

あるもんかい。いまごろまで。

はらわたもろとも

波がさらっていった

                         クラゲの唄  金子光晴