2017/04/02

春色 春はあけぼのと江南の春


春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる。


 「枕草子」は清少納言の日本で最も有名な随筆集である。
6世紀から9世紀中頃までの期間に中国大陸から日本は精力的にいろいろなシステム、法律、建築、文学、宗教などを取り入れた。
 そして漢字も大陸由来で移入した。最初、漢字のもじをつかいながら、その意味はすてて音をとりいれ日本語にした。これが万葉仮名で7世紀から8世紀につかわれはじめた。万葉仮名を用いて古事記、日本書紀、万葉集が書かれ残された。そして760年頃できた万葉集につかわれたかなの始めが万葉仮名で、しだいに簡略化されてひらがなとなった。ひらがなは9世紀中頃に使われ始めた。

 平安時代に書かれた源氏物語と並ぶ日本の文学の名著が枕の草子で、ひらがなを用いたこれらの平安時代の作品は唐の影響を脱し日本独自のものであった。しかしその中には中国の文学や書物の影響は見られる。

 枕の草子の「書は」の段で、「文集 文選 新賦 史記 五帝本紀 願文 表 博士の申文」のなかで文集は白楽天の詩であり、白楽天の詩をめぐる「二月つもごり頃に」の段に「すこし春あるここちこそすれ」の返歌に「空寒み花にまがへて散る雪に」もあり、 教養としての書物は大陸の文化にあった。

 中国大陸では,7世紀に唐が建国され、都を長安に定め、当時世界でもっとも栄え、100万人の人口をかかえる国際都市となった。300年間帝国は繁栄し、まわりの国々におおきな影響を与えた。白楽天は長恨歌で有名な詩人で、
日本でも,枕の草子だけでなく,源氏ものがたりにもその影響が見られる。そのほかに多くの詩人李白、杜甫あるいは唐の後半には杜牧、や李商隠などが活躍した。


千里鶯啼緑映紅      千里鶯啼いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少楼台煙雨中    
            江南の春           杜牧


春日在天涯      春日 天涯にあり
天涯日又斜      天涯 日又斜めなり
鶯啼如有涙      鶯啼くも涙有るが如く
為濕最高花      為にうるおす最高の花

                           李商隠



  漢字文化圏として中国と周辺の国家である韓国や北朝鮮、ベトナムおよび日本が含まれる。これは地政学的に隣接する中国文化の影響をうけた国々で、ヨーロッパがラテン語に影響を受け,ベトナム以外の東南アジアがインドの影響をうけたのとおなじように文字が伝播した。
 日本は平安時代漢字に代わる新たな文字、ひらがなとカタカナを生み出し使うようになった。
 10世紀の末から日本散文文学がおおくの女性主に宮廷の女性たちによってのこされた。女文字とよばれるかな文字の文学で、清少納言の随筆枕草子、さらには源氏物語などの物語が作られた。その後、日本的な漢文や漢字かなまじり文が普及した。 最初の勅撰和歌集「古今和歌集」が編纂され、紀貫之が序文を書いている。

  やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろずのことの葉とぞなれりける。

 その後、藤原定家による「新古今和歌集」や百人一首の選定など平安文化が花咲く。これらは中国の文学には全くない日本独自の文学作品の傑作であった。こうして、漢字を借用して日本語を表記し、日本の美意識、文学をつくりあげた。

 ひさかたのひかりのどけき春の日にしつ心なく花の散るらむ
                   
                             紀 友則

 一方科挙などの官僚制度による政治の少数者による支配、専有物であった朝鮮王朝はハングルを、べトナムではチュノムをつくるも表音文字の必要は近代になるまでなかったため実用化されなかった。また10から12世紀にかけてできた王国、遼、西夏、金はそれぞれきっ丹文字、西夏文字、女真文字をつくったが消滅し現在は使われていない。

 高麗や朝鮮王朝はにおいては儒教を取入れ、文字は19世紀の中ごろまではすべて漢字のみを使っていた。その後ハングルと漢字が併用され、戦後になってハングル文字になった。またベトナムにおいても長く漢字が使用されていたが1950年に漢文教育が廃止された。

 唐の文化や政治制度や都市計画も奈良平安時代に移入された。征服王朝と天皇のちがいのためか儒教の影響はあまりみられなかった。科挙による官僚制度も取り入れなかった。ましてや宦官は中国独自のものであった。宗教はインドから中国を経由して日本では定着した。唐は衰退ししだいに滅亡にむかい、894年には遣唐使を廃止し、907年唐滅亡。その後大陸の文化の移入は少なくなくなり日本は独自の文明をつくった。

 漢字文化の国による違いは文化の受容のしかた、どの要素がどのように組み合わさってその国のシステムにとりいれられるかによる。さらに地勢上、もし日本がギリシャに近接していればギリシャ系のもじになり、東南アジアのようにインドのとなりであればインド系の文字をつかっていたと想像される。

  今後、漢字文化の伝播のように、文化のつたわりと共同体システムの受容との関係が予想できるようになり,文明の未来が予知可能になるかもしれない。