梅棹忠夫
若い日々、中国と北朝鮮の国境の山白頭山に登り、今西錦司のミクロネシアポナベ島調査隊に加わり、また中国の張家口から馬でモンゴル草原地の遊牧民の生態の研究をした。
1955年(昭和30年)カラコルム ヒンズークシ探検隊の一員として5月から11月にかけてアフガニスタン、パキスタン、インドを旅行した。
13世紀のモンゴル帝国の末裔がアフガニスタンのどこかにいる。 「モゴール族探検紀」はアフガニスタンの山岳地帯の地図にものらないモンゴル時代の末裔が暮している。彼らを探索し発見するまでの記録で,アフガニスタンの乾燥した風土や部族生活がひふ感覚を通して描写されている。
その後、アフガニスタンのカブールからパキスタンを経てインドに至る途中の人々や社会を「東と西の間」で書いた。ヨーロッパからみたオリエントとは、西欧世界の人の眼にうつるボスフォラス海峡から東の世界をひとくくりにして東洋としたもので、実際は、東と西のあいだが抜け落ちている。
この抜けている地域にアフガニスタン、パキスタン、インドも含まれる。パシトウン人が支配権を握るアフガニスタンから、北方のアーリア系人種と南インドのドラビダ系の人が混合しているインドまで,インドアーリア系の人種が住み、カルカッタからはじめてモンゴロイド(黄色人種)の東洋は始まる。
日本から海を通って中国、シンガポールそしてインド経由でヨーロッパに向かう南回りの航路からアジアをみる視点とは逆に,大陸の中央からまわりをみわたすとまったく世界は異なって見える。
アジアの内陸部はただ均質的な場所で東北アジアの西満州(戦前の)から、西南アジアのアラビアまでユーラシア大陸を斜めに横断して走る大乾燥地帯がある。それは際限もなくひろがる砂漠と草原の世界であり、それをつらぬいて点々と連なるオアシスの世界である。この道を通って、中国から三蔵法師が、ヨーロッパから商人がオアシスつたいに容易に行き来できた。
梅棹忠夫の生態史観では、大陸の広大な乾燥地帯を中心に、そのまわりの第二地域、さらにそのまわりを第一地域とした。
ユーラシア大陸の中央に位置する乾燥地帯は悪魔の巣だ。乾燥地帯の真ん中から現れてくる人間の集団はどうしてあれほど激しい破壊力を示すことができるのだろうか。北方では匈奴、モンゴル、ツングース。南方ではイスラム社会そのものが暴力の源泉の1つになる。
その周りの第二地域の歴史は大体において破壊と征服の歴史である。王朝は暴力を有効に排除しえた時だけうまく栄える。たとえばインドは何度も西から侵略され、破壊されている。その歴史は主として外部からの力で動かされている。中国もまた、幾度ともなく草原の民族に破壊され支配されている。ロシアはモンゴルの支配から脱するのに何世紀もかかった。近世になり遊牧的暴力はほぼ鎮圧された。この地域の特徴は建設と破壊のたえざるくりかえしで、内部からの成熟の余裕がなかった。
現在は第二地域の勃興期だ。おそらくまだ革命の波は続くだろう。そして次々強力に近代化文明化の方向に進んでいくだろう。帝国は潰れても共同体は全部健在である。第二地域は将来4つの巨大なブロックの並立状態に入る可能性がかなり多いと思う。中国ブロック、ソ連ブロック、インドブロック、イスラムブロックである。
これは社会主義革命によって 破壊された所の昔の帝国の亡霊でありえないだろうか。この地域は革命まえは専制君主制か植民地体制であり,革命によってもたらされたのは独裁者体制であった。
この第二地域のさらに西に西欧、東に日本は位置する。そこでは近代文化の並行進化がおきた。この地域では封建制がありブルジョアを養成し、革命によって彼らが支配権をにぎった。この中央アジアの破壊の影響をうけなかった地域を第一地域とした。東の端の日本や西の端の西洋は封建制からそれに終止符を打ったブルジョワ革命を経験して近代市民社会をつくった。この封建制という社会制度のもとに自立的な共同体の経営、勤勉や誠実の価値がうまれた。
その後東南アジアの旅行で、これらの国々と東ヨーロッパの国々をこの構想に組み入れ、大帝国のまわりの衛生国家とした、巨大なる帝国、亡霊の懐に飲み込まれた多数の異民族こういう人たちがどんなふうになるのか、これが第二地域の人たちの今後の課題であると予想した。
1957年(昭和32年)中央公論に発表された。この頃は東西冷戦の時代で、日本も知識階級の主流はマルクス主義で、イデオロギーは民族や宗教を超越する存在であり、世界は進歩し、やがて共産主義社会になると多くの人は信じていた。その時代にロシアと中国が対立すると予想する人はほとんどなかった。ましてソ連の消滅は夢にも思われていなかった。
やがてこの生態史観が現実のものとなった。さらに,現在もタリバンやISなどの破壊力を目の当たりにし,帝国周辺国家のウクライナや朝鮮半島の金王朝の行方をかだずをのんで見守ることになる。
生物38億年の進化の過程で人類は生まれ,文化をつくり文明を築きあげた。その文明は,人類の知能と無意識の情念からうまれてきたものが環境に適応したものだった。人類誕生以来人間と自然とでつくりあげた生態系から、やがて道具、巨大な装置と人間との関係システムである文明系に進んでいった。
生命の誕生を尺度にした壮大な歴史からみた文明の興亡を語るトインビーの公演に刺激をうけ、ユーラシア大陸を探検してさまざまな民族や文化にであい、梅棹氏独自の文明の歴史を組み立て発表した。それが「文明の生態史観」だった。
ユーラシア大陸における文明の興亡を素材ではなく,その土地でいかにして文化を構築するか、システムとしての文明の変遷をかんがえたのが文明の生態史観であった。そして時代を予言する書となった。