映画が誕生したのは1895年パリでの上演されたシネマトグラフで、翌年には「悪魔の館」で悪魔や変身するコウモリが登場し、史上初のホラー映画として知られる。その後第一次対戦後ドイツ表現主義の代表作であるサイレントホラー映画「カルガリ博士」が作られた。人の精神の内側を絵画的な映像で表現する、心理的な不安感を視覚的に訴える作品であった。その後アメリカで、フランケンシュタインや魔人ドラキュラ、透明人間、などのモンスター作品が制作された。
その後のハリウッド映画では、エイリアン、ジョーズ、ジュラシックパークが有名で人間を襲い捕食する恐怖を掻き立てる。相手のエイリアンは異様な生物、完璧な構造、攻撃本能、人間的モラルは存在しない生物で人間を捕食する。ジョーズは文字通り人喰いザメであり、ジュラシックパークのモンスターは共同で捕食する恐竜の集団であった。これらは人の捕食に対する恐怖心やエイリアンのように何をするか予測できない相手に遭遇した時に不安感を呼び起こす。
恐れ、恐怖心は起こりうる悪いことから身を守るために生まれた進化上のメカニズムである。生存のために必要な、 恐怖記憶を含む情動記憶は扁桃体で処理される。自律神経の支配する心臓の動悸や血圧を上昇させ、アドレナリンが分泌される生理的反応が起こる。これが恐怖の体験で最初に起きる反応で、その後に前頭葉が海馬の記憶と照らし合わせて合理的判断をする。
恐怖の感情の中枢である扁桃体は目新しいものによく反応し、視界の中心でなく視野の周辺にあらわれた怖い顔や影に即反応する。その2倍の時間をかけて恐怖の解釈が脳で始まる、そのため目にしたものに対する早い反応は脅威としてまず物事を認識して、その後で自分が何を見ているのかをゆっくり判断する。自分が扁桃体が保存する恐怖の記憶は、その状況の詳細な場面よりも、感情や感覚の情報に重点が置かれる。
2009年にエイリアンやシャイニングを見た人の脳の様子を調べた研究では、扁桃体の動きは活発化しなかった。リアルな恐怖体験とスクリーン上の恐怖体験は別物で、恐怖反応よりも登場人物の窮状からの脱出に脳が反応していることがわかった。ホラー映画に人の脳は恐怖を感じ身体が反応するというより、軽い興奮状態になり、交感神経系は反応する。しかし前頭葉の大脳皮質は状況を理解して、安全な映画館で映画を見ていると判断している。恐怖の続くシーンで緊張していた観客はモンスターが負け人間が勝利した途端に、別の安堵の感情と満足感が込み上げる。
結局、恐怖映画は人間の情動反応に働きかける。人は、暗闇に対する恐怖心を持っていて、夜に捕食者に遭遇することを避けるようになり、蛇とか蜘蛛などの毒を持った生物を避け危険な状況に陥らないように進化してきた。ホラー映画はその反応に働きかけ暗闇に恐ろしい異様なあるいは恐怖を起こす生物が現れ、人々を襲うシーンが不気味な音楽と共に始まる。しかし映画で観客はそれがフィクションであることを脳で理解している。そしてホラー体験の危機が去ったことを認識すると、脳はドーパミンを放出し、安堵感に伴う快感を感じる。ジュラシックパークはそれほど恐怖感を起こさない、ディズニーランド気分で見られる理由は人の脳の反応で、同じスピルバーグの初期の作品「激突」の方が追われる恐怖感ではむしろ上回っている。
ホラー小説や詩や短歌俳句はではどのように人の心に働きかけるのか。古くから恐怖の場所地獄は世界中の宗教物語に登場する。19世紀に入ると映画化されたフランケンシュタインやドラキュラそして、エドガーアランポーの小説が出版され世界中の多くの読者を惹きつけた。 廃墟や薄暗い森の古い館を舞台にして「アッシャー家の崩壊」で妹の殺人と自らの死の恐怖を描き、「黒猫」人の心の狂気を描いた。またモルグ街の殺人のモンスターなど、その後も多くのホラー小説に影響を与えた。
小説では物語を読者が想像力によって再構築し、前頭葉によって過去からの記憶を呼び覚まし、扁桃体を通して恐怖感は生み出される。
亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり
見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし 寺山修司
小説に比べ短歌は感情を描写する力がより強い。原始的で本能的な情動系は大脳の前脳全皮質で普段は制御され抑制されている。寺山修司は短歌で意識の下の情動を呼び起こし、表現した。
赤き火事哄笑せしが今日黒し
薔薇の家犬が先ず死に老女死す 西東三鬼
芋虫の一夜の育ち恐ろしき 高野素十
戦争が廊下の奥に立ってゐた 渡邉白泉
俳句ではさらに少ない言葉の連なりに人が反応し、そのその言葉の連想記憶で感情を呼び覚まし、不気味さや恐怖を呼び起こす。作者は情動を動かすも物語をつくり、読者はそれに共感する。それぞれの脳の活性化される分野の違いが、ホラー小説を生み出し、推理小説や冒険小説となり、教養小説になる。