団塊の世代とは堺屋太一の造語で、1947年から1949年までに生まれた世代を言う。この世代は、戦争で海外に出征していた人々が、敗戦とともに国内に帰還し、結婚し、生まれた世代で、人口は年間250万人を超え、3年間で980万人になる。
この世代が青年になる頃、日本の高度成長期がはじまり地方から多くの若者が上京して、職業についた。またベトナム反戦運動や、学園紛争を担った。
高橋和己は、この世代に圧倒的な支持をうけた作家で、1962年「非の器」でデビューし、精緻な論理を構築した法学者が、権威を失い、しだいに破滅にいたる過程を描き出した。「憂鬱なる党派」は生硬な理論の対話が連続する小説で、イスラム教のスンニ派とシーア派の争いが、日本から見ていると理解しにくいのと同じように、その時代と舞台となった戦後の共産党の歴史を知っているもの以外には,わかりにくい重い響きと内容のドラマで当時の、思想や政治が至上のものであった時代の熱気を感じさせるものでした。
「邪宗門」は大本教を素材に宗教集団の運命を描いたやはり新興宗教の興勢から崩壊にいたる架空の教団の組織と挫折の歴史を描いた。また「散華」において戦時における日本の精神について語った。
評論集「孤立無縁の思想」中で政治と文学を語り、戦後民主主義、北一輝や岡倉天心のアジア主義思想について語り、戦争や散華の精神についての埴谷雄高氏との往復書簡も当時の文壇でも論争を呼ぶこととなった。
戦後民主主義については、「人は、人間社会の歴史を構成するどの単位を自分の準拠する枠にするのかをせまられる。個人か、家族か、地域共同体か、職場か、階層か、階級か、誓約共同体か、国家か、全世界か。個人を重視すればリベラリズム、家族を基本にとれば儒教思想、誓約共同体は宗教や思想的結社、国家に依拠すれば国家主義。従来、人々は個人から全世界にわたる各単位の間の価値を、なんとか撞着することのないように調整しようと努力し世界観をつくってきた。しかし人間の歴史の現実は、これらの価値の衝突と流血の歴史でしかなかった。戦前、戦中の日本は典型的国家主義であり、敗戦はこれが外から崩され、新たに世界を信じ,個人を重視する、自由と民主主義と文化国家がとなえられた。」
ヨーロッパから近代化革命がアジアに伝搬するとき、帝国主義的侵略という形態をとったゆえに、初元においては共通の危機意識に支えられ、日本、中国、インド等々の知識人の精神に同時に思いおこされ、主張されたナショナリズムがある。岡倉天心や内藤湖南、孫文や章炳麟、そしてガンジー。西洋物質文明に対する東洋の精神文明を説き、あるいは文化的なあるいは政治的な東洋の連帯を夢想した。
順逆不二の論理 北一輝で中国の辛亥革命,中華民国樹立の過程で、革命を支えた日本人たちの大アジア主義の夢と崩壊。そしてやがて国家主義へと変質していくアジア主義と昭和維新を描き出した。
戦争もまた政治の破綻ではなく、国家的規模においてなされる持続的な確信的犯罪行為である「戦争というものが、民族的な正義と正義とが真っ向からぶつかりあうもので、それは悪魔と天使、悪と正義の戦いでなく、一つのやむを得ぬ正義と、いまひとつのやむを得ぬ正義の戦いであるとおもっている。」
さらに悲の器で「今度の戦争では,確かに三つの精神がこの極東でぶつかりあい角逐した。一つは、アメリカの高度に発達した資本主義に基礎をおく、サイバネティックスの理論と大機動部隊による物量作戦。一つは貧しい資源を、人的資源と精神力でおぎなおうとする、日本の特攻精神。そして、もう一つは、広大な土地の上に,忍従する土着の思想と革命思想を結びつけた中国の持久戦論とゲリラ戦術」また「思想的動物である人間は、恥を受ける生よりも信義に死ぬことを選ばねばならないことがある。」と語らせている。
ウヨクを語り、サヨクを語りそして宗教を考え、そして既成左翼の概念を否定し、よりラジカルに物事を捉える論理を展開し、当時の新サヨクの経典となった。
1960年代に始まった高度経済成長は1970年には日本列島改造,輸出の激増によって日本の経済は発展し、豊かさが人々の生活を変えた。宗教や思想を語るよりさらに豊かになり、さらに良い生活を求め人々は、走り出した。 高橋和己は甘い夢とか願望、洒脱や軽妙とは無縁の作家のまま1971年に39才の若さで一生を終えました。
団塊の世代は生まれる前に国家主義は否定され,眼前で階層イデオロギーである共産主義も崩壊しました。日本では平和と民主主義と豊かさの中で、その団塊世代が社会の第一線から退く年齢となってきました。