
タゴール
バングラディッシュの首都ダッカの空港は、雨期には滑走路はほとんど海の中に浮かんでいる。このあたりはベンガル湾に注ぐガンジス河とプラマプトラ河が多くの支流となって、デルタ地帯に豊かな水をもたらし、肥沃な土穣をつくっている。水田と緑の土地はかつて「黄金のベンガル」といわれ、この国の稲作を支え豊穣をもたらすものの、水害の元にもなっています。
牛を使って田を耕し、満々と水をたたえた水田には緑の稲穂の間をアヒルが泳ぎ、田舎の道にはバスを待つ人があふれ、懐かしい日本の田園風景、気候も湿潤な日本の盛夏を思わせるものです。6月から9月にはモンスーンが毎年猛威をふるい、この災害のためか世界の最貧国の一つでした。
このバングラディシュで有名なのは、ルイス カーンの設計による、国会議事堂と国歌の作詞者であるタゴールです。タゴールは植民地下のインドで1861年に生まれ、詩人であり思想家であり、また音楽、絵画にも多くの業績を残し、ノーベル賞を受賞しています。
1902年岡倉天心がタゴールの家に10ヶ月滞在し,互いに共鳴し、岡倉天心は「東洋の理想」と「東洋の目覚め」を執筆し、アジアは一つを唱え、タゴールもまた、西欧列強に対するアジアの連合、アジア主義を唱えた。タイ、支那、インド、日本は共通の宗教、芸術、哲学がありそれらアジアの国が連合し西欧列強に対抗しようとするものでした。
タゴールは1916年、1917年と1924年の3度日本を訪問し戦前の日本にも多大の影響を与えました。しかし、しだいに愛国主義、国家主義に傾く日本に対し、同じアジア主義思想であったタゴールは、反ナショナリズムの立場から日本とはしだいに相反するものとなっていきました。
タゴールの思想は偏狭なナショナリズムではなく、人間ひとりひとりの魂に宇宙の真実、ブラフマンがやどり、世界の人びとは一人として異邦人はなく、一つとして閉ざされた扉はないとするもので、終世、民族、国境を越えた人間愛,時空を超えた永遠、大いなるものの合一を求め続け実践しました。
『この世は味わい深く
大地の塵までが美しい
こんな大いなる賛歌を私は心に唱えてきた
これこそは心に満たされたものの生のメッセージ
日ごと私はなにがしかの真理の贈り物を
受け取ってきたが
その味わいは色あせることはない
そのために黄泉の国への別れの岸辺に立って
なおかのこう歌がこだまする』
『百年後
いまから百年後
わたしの詩の言葉を 心をこめて読んでくれる人
君はだれか
』
その百年後の今、世界は変わり、バングラディッシュに世界の縫製場として日本やヨーロッパなど世界中の多くの国の企業が進出し、繊維製品の一大生産地となりました。最近流行の日本の安いジーンズの多くはmade in Bangladeshとなっています。