2018/04/22

春と修羅 シャーマン宮沢賢治


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です

けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません

  • 宮澤賢治は「春と修羅」の中で私とは、映画の画像のように明滅する現象で、また私が感知する人や銀河など宇宙の中の世界も同じであるととらえた。
  • 科学的思考の枠組み、言葉を使って、自分という存在を、また外界の自然や世界を(量子力学のような物質の波動であり粒子であることを)理解し、時間の中の地史、歴史も同じように考え、詩として組み立てようとした。
 また、仏教的世界感で世界を理解し、農芸化学の知識と鉱物学や物理学の言葉を詩にちりばめ、自分の心が感じる風景、心象をスケッチし表現した。
 

 1930年代日本は社会が不安定になり、資本家に対する不満、近代社会に対する不満から、
社会主義や反資本主義の運動が盛んになった。
このなかには北一輝など天皇制を変革のシンボルとする国家主義者や、柳田國男の民俗学者、
あるいは橘孝三郎などの農本主義者たちが社会改革の運動を理論化し展開した。

 宗教では、日蓮を人類救済の唯一の人とし、法華経を信じ、日本の国体を護り立正安国の真の世界を目指す宗教家、田中智学の主催する国柱会はかなりの人々に影響を与えていた。当時、日蓮宗は北一輝、石原莞爾、三好達治らも信奉し、宮沢賢治もこの教えに感動し、「正しくつよく生きるとは、銀河系を自らのなかに意識してこれに応じて生きていくことである。」「春の風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。」と日蓮宗の熱烈な信徒となり、国柱会に参加し社会活動をめざした。
 
 同時に1920年代から1930年代にかけては科学の時代でもあった。アインシュタインの相対性理論が発表され、ハイゼルベルグが不確定性原理を発表、鉱石学、天文学、通信科学などが注目され、多くの雑誌が出された。子供達も顕微鏡や望遠鏡で遊びながら科学者になる夢を見た時代だった。

 また、文学とりわけ詩の世界では北原白秋が詩や短歌から、童謡の作詞家となり、多くの作品を生み出していた。

 宮沢賢治は1896年(明治29年)岩手県に生まれる。父親は熱心な浄土真宗信者で、その家の長男として宗教的家庭で育ち、1920年(大正9年)盛岡高等農林学校研究生を終了し、花巻高等女学校の教師になる。
 翌年1921年(大正10年)家出して日蓮宗の国柱会の奉仕活動を始める。このころ法華文学を目指し童話を書き始める。
1922年(大正11年)に宮澤賢治の良き理解者であった妹としと死別し「永訣の朝」を書き、「春と修羅」を発表した。修羅とは仏教的世界で、六道すなわち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上で人間の一つ下をあらわす。そして自らを修羅と考え悟りの境地を詩の形で表現し、「春と修羅」と名ずけた。
 心の中には言葉になる以上の多くの感覚の集まりがうまれている。
それを表現するために、あるいは理解するために枠組みを作り、童話や詩であらわす。
 宮澤賢治は法華経の宗教的世界観、そして科学的知識とりわけ農芸化学、地質学の概念やイメージをそのなかに取り入れ構成し新しい詩を作った。それが、「春と修羅」だった。
 その後も同じ題名で続編を発表した。
1925年(大正14年)には「注文の多い料理店」を出版し、「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」を書き始める。

「そこでは、あらゆことが可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。」

 宮沢賢治の生きた昭和時代、恐慌と相次ぐ冷害による凶作で東北地方は飢饉に陥った。
雨ニモマケズ、風ニモマケズの詩はこのときうまれた。その後、詩の世界からしだいに光 風の音が精神を語る、童話作家となっていく。自然の世界をアニミズム、精霊的感覚でとらえ物語とした。

「黄色い枇杷の実吹き飛ばせ
青いどんぐり吹き飛ばせ・・・すっぱいりんごも吹き飛ばせ
どっどど・・・どっどど・・・うみの水も吹き飛ばせ
やまの岩も吹き飛ばせ・・・どっどど・・・どっどど・・・」


 そして社会改革家として、時空を超えた共同体をつくるシャーマンになった。
その共同体イーハトブでは罪や悲しみさえ聖くきれいに輝いている世界だった。
しかしこの社会改革、文学すべて未完のまま、37歳で生涯を閉じた。
 

青ぞらのはてのはて
水素さへあまりに希薄な気圏の上に
「私は世界一切である
世界は打つらふ青い夢の影である」
などこのやうなことすらも
あまりに重くて考へられぬ
永久で透明な生物の群れが棲む



2018/04/03

ソニー ドリームキッズ AIBOとaibo



 1999年(平成11年)人工知能を積んだアイボと言うソニーのロボット犬が大人気だった。感情を組み込まれたロボットとして作られ、放っておくと退屈し、声をかけると喜ぶ精巧さで 当時文化庁から表彰され大人気となっていた。その頃ソニーはアイボとバイオで世界の最先端企業だった。

 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を原作にした「ブレード ランナー」が1982年(昭和57年)映画化された。2019年環境破壊による荒廃したロサンゼルスを舞台にして、火星から逃亡してきたアンドロイドを処理する人間と感情をもったアンドロイドの悲哀を描くものだった。その世界では、生物は保護され人造人間は廃棄する、ハリソンフォードが主演し、酸性雨のたちこめる舞台は日本の都市がイメージしてつくられた。
 この本物そっくりの機械じかけの生物アンドロイドは感情を持ち、心をもっていた。

 戦後財閥の解体によって、1946年(昭和21年)に井深 大と盛田昭夫が東京通信工業を設立。その会社の設立の目的は「仕事に命を捧げる技術者たちがその技術を高めうる最高のレベルで実現できる目的でダイナミックで喜びにあふれた理想的な仕事場を創造すること。」だった。それが世界のSONYになり、 同じ頃本田宗一郎が1948年(昭和23年)本田技研工業株式会社を創業し、バイクを作りその技術で世界のホンダになった。
 この時代は、敗戦に伴い財閥が解体されると国家統制が緩み、自由な技術者や研究者の時代が訪れ、あらたな起業家たちが世に出るチャンスだった。

 ソニーは創業者の井深氏がまずテープレコーダーを自らの手で創り出して創業された。その後トランジスタラジオを作り、世界中、特にアメリカに爆発的に売れ、続いてトリニトロン技術を使ったテレビでさらにそのブランド力を高めた。そしてウォークマンを作り、新たな音楽を楽しむ携帯の音楽プレーヤーとして世界の音楽ファンを取り込み、コンピューターでは、バイオを持つことがおしゃれで流行の先端を行くことになった。
そしてこれらの家庭電化製品や、コンピューター製品は日本技術の成果であり世界中に売れた。

 井深さんはトランジスターキッズだった、盛田さんはウォークマンキッズだった、大賀さんはCDキッズだった、今われわれはデジタルドリームキッズにならなければならない。20世紀の終わり、新たに会長になった出井氏は世界むけ企業のイメージ作戦で語り、キャッチフレーズは「ソニーで夢を見ませんか」だった。

 出井会長になってソニーの経営を人のつながりによる情の経営から国際照準に合わせた合理的な経営に切り替えた。そしてダボス会議に出席し世界の政界財界の人々と話をし、国際人としてソニーの顔となった。

 1999年(平成11年)10月のタイム誌の別冊デジタル50の特集号がアマゾンのジェフべゾフをあげ 表題は「一位はビルゲイツじゃないよ」だった。そして世界の15位にデジタル時代の影響力のある企業としてソニーの出井会長はランクされていた。
 インターネットはビジネス界に落ちた隕石だ。物作りのみに頼っていてはだめで新たなネットワーク時代のビジネスが必要だとする構想でソニーを変革していった。
 そしてその夢は、時の森首相が2000年(平成12年)9月21日の秋の臨時国会のITインターネットプロトコルバージョン6と言う言葉が入った所信表明演説がなされ、これが実行され、日本がIT先進国になる、世界の先端国家になるかに見えた。
 この構想は前年、出井会長が議長を務めたIT戦略会議で、5年でアメリカを抜くIT大国になるという目標の実現を目指したものだった。
 その当時、アメリカでは情報ハイウエー構想がゴア副大統領によってうたわれ、多くのIT企業が勃興した。しかしそのドットコムブームはテクノロジーに期待されたほどの進歩が見られず希望と構想が先にに進んでしまった。正しい方向に必ずしも進化しないでバブルとして消え去っった。
 日本でも構想では、高速インターネット網を整備して、電子政府をつくり、学校教育のIT化の推進を掲げた。しかし実際にはパソコンを多くの人に支給したり、書類の電子化が一部に行われただけで、2001年(平成13年)9月のITバブル崩壊とともに頓挫した。

 このITバブルの崩壊でソニーもまた隕石による恐竜と化してしまい哺乳類となったのはGoogleとアマゾンであり、鳥類として残ったのがアップルだった。アップルのスティーブン ジョブズは初期のコンピューターで、シンプルな形をした技術と芸術の統合した完成品をつくろうとし、さらにそれを進化させ音楽、映像そして文章全ての作業ができるiPadi phonを完成させて、世界の企業のトップになり、文化や生活までも変えてしまった。

 今は3回目のIT革命の時代で、人工知能AIすべてのものがインターネットにつながるItoTそしてビックデータと言う言葉を聞かない日はないほどのブームを迎えている
  今まで、幾度も迎えたITの流行が、一過性のもので、バブルとなり幾度か崩壊した。 今回も、何が正しい方向であるかはまだ流動的で、アメリカや中国そしてロシアやアジアの各国が、それぞれ、IT大国に方向を定め政策を打ち出している。さらにはこの知的財産に対して、アメリカは国外への技術の流失を防ぐため、かつてのCOCOMに近い政策を打ち出してきた。

  現在世界企業の主役は大手のIT各社が占めている。1番がアップル、2番がGoogleのアルファベット、第3位がAmazon.comなどのインターネットにおけるプラットフォーマーが独占している。概念としての人工知能やIT技術が現実の生活を変えることは確かであるものの、今後いつどんな技術が変革の主役になるかまだ誰にもわかっていません。  


  ブレードランナーで予想された感情をもったロボットは、2019年に誕生することはなく、人工知能やロボットはこの間、違う方向で進歩した。 感情をもったロボット犬というアンドロイドの方向とは違う、機能の向上した犬型ロボットとなって今年アイボが復活した。そしてブレード ランナーも新たに2049年を舞台に復活した。
 誰が未来の覇者になるか興味のつきない時代です。