わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
- 宮澤賢治は「春と修羅」の中で私とは、映画の画像のように明滅する現象で、また私が感知する人や銀河など宇宙の中の世界も同じであるととらえた。
- 科学的思考の枠組み、言葉を使って、自分という存在を、また外界の自然や世界を(量子力学のような物質の波動であり粒子であることを)理解し、時間の中の地史、歴史も同じように考え、詩として組み立てようとした。
また、仏教的世界感で世界を理解し、農芸化学の知識と鉱物学や物理学の言葉を詩にちりばめ、自分の心が感じる風景、心象をスケッチし表現した。
1930年代日本は社会が不安定になり、資本家に対する不満、近代社会に対する不満から、
社会主義や反資本主義の運動が盛んになった。
このなかには北一輝など天皇制を変革のシンボルとする国家主義者や、柳田國男の民俗学者、
あるいは橘孝三郎などの農本主義者たちが社会改革の運動を理論化し展開した。
あるいは橘孝三郎などの農本主義者たちが社会改革の運動を理論化し展開した。
宗教では、日蓮を人類救済の唯一の人とし、法華経を信じ、日本の国体を護り立正安国の真の世界を目指す宗教家、田中智学の主催する国柱会はかなりの人々に影響を与えていた。当時、日蓮宗は北一輝、石原莞爾、三好達治らも信奉し、宮沢賢治もこの教えに感動し、「正しくつよく生きるとは、銀河系を自らのなかに意識してこれに応じて生きていくことである。」「春の風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。」と日蓮宗の熱烈な信徒となり、国柱会に参加し社会活動をめざした。
同時に1920年代から1930年代にかけては科学の時代でもあった。アインシュタインの相対性理論が発表され、ハイゼルベルグが不確定性原理を発表、鉱石学、天文学、通信科学などが注目され、多くの雑誌が出された。子供達も顕微鏡や望遠鏡で遊びながら科学者になる夢を見た時代だった。
また、文学とりわけ詩の世界では北原白秋が詩や短歌から、童謡の作詞家となり、多くの作品を生み出していた。
宮沢賢治は1896年(明治29年)岩手県に生まれる。父親は熱心な浄土真宗信者で、その家の長男として宗教的家庭で育ち、1920年(大正9年)盛岡高等農林学校研究生を終了し、花巻高等女学校の教師になる。
翌年1921年(大正10年)家出して日蓮宗の国柱会の奉仕活動を始める。このころ法華文学を目指し童話を書き始める。
1922年(大正11年)に宮澤賢治の良き理解者であった妹としと死別し「永訣の朝」を書き、「春と修羅」を発表した。修羅とは仏教的世界で、六道すなわち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上で人間の一つ下をあらわす。そして自らを修羅と考え悟りの境地を詩の形で表現し、「春と修羅」と名ずけた。
心の中には言葉になる以上の多くの感覚の集まりがうまれている。
それを表現するために、あるいは理解するために枠組みを作り、童話や詩であらわす。
宮澤賢治は法華経の宗教的世界観、そして科学的知識とりわけ農芸化学、地質学の概念やイメージをそのなかに取り入れ構成し新しい詩を作った。それが、「春と修羅」だった。
その後も同じ題名で続編を発表した。
その後も同じ題名で続編を発表した。
1925年(大正14年)には「注文の多い料理店」を出版し、「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」を書き始める。
「そこでは、あらゆことが可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。」
宮沢賢治の生きた昭和時代、恐慌と相次ぐ冷害による凶作で東北地方は飢饉に陥った。
雨ニモマケズ、風ニモマケズの詩はこのときうまれた。その後、詩の世界からしだいに光 風の音が精神を語る、童話作家となっていく。自然の世界をアニミズム、精霊的感覚でとらえ物語とした。
「黄色い枇杷の実吹き飛ばせ
青いどんぐり吹き飛ばせ・・・すっぱいりんごも吹き飛ばせ
どっどど・・・どっどど・・・うみの水も吹き飛ばせ
やまの岩も吹き飛ばせ・・・どっどど・・・どっどど・・・」
そして社会改革家として、時空を超えた共同体をつくるシャーマンになった。
その共同体イーハトブでは罪や悲しみさえ聖くきれいに輝いている世界だった。
しかしこの社会改革、文学すべて未完のまま、37歳で生涯を閉じた。
青ぞらのはてのはて
水素さへあまりに希薄な気圏の上に
「私は世界一切である
世界は打つらふ青い夢の影である」
などこのやうなことすらも
あまりに重くて考へられぬ
永久で透明な生物の群れが棲む