2020/05/04

ザリガニの鳴くところ  Delia Owens




ホタル

愛の信号を灯すのと同じぐらい
彼をおびき寄せるのはたやすかった。
けれど雌のホタルのように
そこには死への誘いが隠されていた。

 1969年10月30日の朝、アメリカ南部、ノースカロライナの海岸沿いの沼地に、チェイス アンドルーズの死体が横たわっていた。物語は、この死体を、火の見やぐらに遊びに来た二人の少年が見つけたことから始まる。

 湿地は、沼地とは違う。湿地には光が溢れ、水が草を育み、水蒸気が空に立ち昇っていく。穏やかに流れる川は曲がりくねって進み、その水面に陽光の輝きを乗せて海へと至る。いっせいに鳴きだした無数のハクガンの声に驚いて、脚の長い鳥たちが まるで飛ぶことは苦手だとでもいうようにゆったりとした優雅な動きで舞い上がる。

 アメリカの南部、ノースカロライナの街、バークリー コーヴ、その中心街の西のはずれにカラード タウンそしてその奥の湿地には、貧しい白人の住まいがある。その中に右足に重傷を負い体の不自由な退役軍人の父親シェイクと母親マイクそして5人の子供たちが生活していた。 オークの林に囲まれた、湖面には多くの生き物が波に揺られ、林の向こうの海から、潮風とカモメの声が運ばれてきた。末っ子のカイアはその自然の中の生き物たちと暮らした。砂にうごめくカニ、泥の中を歩きまわるザリガニ、水鳥、魚、エビ、カキ、太ったシカ、丸々としたガン。

 カイアが6歳の時、母親はワニ革の靴を履いて家を出た。やがて、三人の兄や姉も家を離れた。そして、年の一番近い兄ジョディーも家を出て、父親とカイアだけの生活が始まった。ノースカロライナの野生のみずみずしい世界を友にして、自然の持つ美しく、時には狂暴なその秘密を見て育った。

 カイア10歳の時父親も、帰らなくなり、一人で貝を採って生活し、学校は1日いっただけで、逃げ出し、字も計算も知らなかった。14歳になって、ジョディーの友達のテイトから、初めて文字を習い、数字も学び生物学や詩を学んで、自然の中の秘密を表現できる喜びを発見した。やがて生物学の本や、「野生のうたが聞こえる」や「レベッカ」を愛読し、大人になっていった。
 
 カイアはほかのホタルにも目をやった。雌たちはお尻の光らせ方を変えるだけで、いとも簡単に望みのものを 最初は交尾で、次は食事を手に入れていた。ここには善悪の判断など無用だということを、カイアは知っていた。そこには悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけなのだ。たとえ一部の者は犠牲になるにしても。生物学では、善と悪は基本的に同じであり、見る角度によって変わるものだと捉えられている。

 自然界では、たとえば角が大きいとか声が低いとか肩幅が広いといった優れた二次性徴や、高い知能を有する雄が最上の縄張りを確保することができる。彼らは自分よりも弱い雄を追い払えるからだ。雌は、このような秀でたアルファ雄を交尾の相手に選ぶことで、より良い染色体DNAを子孫に残そうとする。これは、生物の適応や存続を可能にする非常に有効な手段である。
 しかしながら、発育が不良で腕力や容姿が劣っていたり、あるいは知能が足りなかったりしてよい縄張りを得られない雄も、あの手この手で雌をだまそうとする。虚飾や偽りのメッセージを使ったりどさくさ紛れのずる賢い手を使って、精子競争に勝とうとする。

  ザリガニの鳴くところってどういう意味があるのと、カイヤがテイトに聞く。母さんが、いつもこう口にして湿地を探検するように勧めていたことをカイアは思い出すのだ。茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所ってことさ、とテイトが言う。
 カイアのただひとり、心の許せるテイトも大学に進学し、生物学者になるため、またこの地を離れた。

 物語はやがて成人となったカイアが、1970年ノースカロライナ州バークリーコーヴ在住のチェイス ローレンス アンドルーズに対する殺人容疑で裁判にかけられる場面へと展開する。

 波乱の生涯を送った”カイア”、1945年生まれの湿地の少女、キャサリン ダニエル クラークは生物学の著者として2009年、64年の生涯を、ザリガニの鳴くところで閉じた。


 愛もまたうつろうもの
 いつかはそれも、生まれる前の場所へと戻っていく。



 著者のディーリア オーエンスは著名な動物学者で、アメリカ南部ジョージア州で生まれた。ジョージアやノースカロライナ州などのアメリカ南部地帯の気候は、日本の東京などの都市と同じ北緯35度で、暖かく湿気も多く、オークやヤマモモ、ヤシの木も育ち湿地にはガマが繁茂しスイレンも花を咲かせている温帯湿潤気候で、フィッツジェラルドがセルダに出会うのもこの土地で、セルダは晩年この地で過ごした。

 ディーリア オーエンスはジョージア大学を卒業した後、マーク オーエンスの動物行動の研究のためのフィールド ワークに加わって、南アフリカのボツワナのカラハリに向かった。カラハリ砂漠近くのデセプション バレーの草原地帯、動物たちの楽園にランドローバーに乗って、到達した。その自然の中の大木の陰に、静かに、野営のためのキャンプ場を設営する。そのまわりには声をあげながらレイヨウは集まり、集団で生活していた。彼ら野生動物は今まで人と遭遇することなく暮らし、人を恐れず、自然のままの生活を送っている。シマウマ、レイヨウなどの草食動物とそれを狙う肉食のライオン、ジャッカル、ハイエナたち。そこでネコ科の今までほとんど生態が知られていないブラウンハイエナと遭遇する。
1984年、カラハリでのキャンプ生活、サバンナに住むハイエナなどの生態の記録「カラハリ アフリカ最後の野生に暮す」をマーク オーエンスと共著で出版した。

 その後、続編「The Eye of the Elephant」で再び、アフリカ南部の野生の王国に戻り、ライオンと再会し、ザンビアの象と住民の生活を冒険小説にした。そして「ザリガニの鳴くところ」は著者ディーリア オーエンズが69歳で執筆した初めての小説で、2019年アメリカで最も読まれた本になった。