ドイツにおける魂の再生
19世紀後半、ドイツは,まさに勃興する国、ヨーロッパの強国になる時代で、活力有る国民が近代的制度を充実させすみずみに青春の精気がみなぎっているといわれたときでした。
“
その時代の代表的作家が 1877年南ドイツのガルフに生まれたヘルマン ヘッセです。ヘッセは4歳からはバーゼルにうつりました。プロイセンがこの地バーゼルなど南ドイツも併合し大ドイツ統一期を造り上げた時期にあたります。
1870年ビスマルクのもとで普仏戦争に勝利しその後しばらくは,大規模な紛争はなく、工業や技術が急速に進歩した時代でした。
後にウエルビー卿が1914年に“我々が覚えている1850年代のドイツはとるに足りない連邦の集まりで,とるに足りない君主が治めていた。だが,一人の人間の生涯の間にドイツはヨーロッパ有数の大国の一つとなりなお成長を続けている。これだけをとっても,1890年以降の半世紀にわたって“ドイツ問題”世界政治の悶着の種となったことは不思議ではない。
と述べたごとく、第一次大戦前にはドイツの工業力はイギリスを追い越し,フランスやロシアの約2倍に達していた。そして,列強の力関係をくつがえすほどの物質的資源を手にしていました。
ヘッセは、その後“郷愁“(1904年)”“車輪の下”(1906年)“春の嵐”
を発表。
ヘッセ37歳の1914年夏第一次世界大戦勃発。軍務に志願するも、”おお友人たちよ、その調子はやめよ“を出版し、ドイツの中央権力は自分たちの為でなく,ヨーロッパ文化全体のためにも未来に生き残る為の戦争を遂行せねばならない。としてドイツに対する愛国心と戦争に対する反対の共存する立場を表明し、フランスのロマンローランはそれに賛同をしました。
大戦後のヨーロッパに対しては“友愛”の言葉を掲げヨーロッパ諸国
民の分裂修復を唱え、1919年“デーミアン”を発表。戦後ドイツ精神の魂の復活をデーミアの言葉に見いだし、多くの若者たちの賛同を得ました。
1913年に旅行したアジアの印象をもとに、“シッダルタ”(1922年)を出版。もともと母親は宣教師としてインドに出かけた時,インドの地で生まれ、それを辿る旅行でもあった。その後も“ナルチスとゴルトムント”(1930年)などの小説でさらに人気を博した。堅実で社会に適合した人物と反社会的であるものの情熱的で奔放な生活を送る人物を対比して登場させ、複雑な人間の心の中を描きだしています。
ナチス政権下では,スイスに居を移し,反戦を訴え、1946年ノーベル文学賞を受賞しています。