日本は第二次世界大戦後、1950年代に、荒廃した後進国として出発し、1960年代に中進国となり、1970年代に先進国の仲間入りした。 戦後世界はソ連とアメリカの二大陣営に分かれ対立していた。 1960年代後半から1970年にかけて、日本もその影響下、革新陣営に支持され、美濃部都政が始まり、学生運動も盛り上がった。美濃部都政は1967年(昭和42年)から始まり12年間続いた。
美濃部亮吉氏は1904年美濃部達吉の長男として生まれ東京大学を卒業後、ナチス政権誕生前の1932年(昭和7年)5月にベルリンに到着、2年間のドイツ滞在中に「独裁制下のドイツ経済」を学会で発表した。「ナチスはあくまでも大資本の味方であるのだ。しかし中小商工業者の憤懣を何とかしてやらねばならない。そこでナチスは、ユダヤ人の官吏、弁護士、医者、芸術家のごとき最も弱いものをいじめることにした。ゲルマニアの文化をユダヤ人の手から奪ってゲルマニア人の手に委ねなければならないというのがそのための口実であった。」と書き、1938年(昭和13年)人民戦線事件で逮捕されるも終戦で、無罪となった。
戦後、大学教授などを務め、1967年(昭和42年)に東京都知事選で初当選した。はじめての 革新都政となり、さまざまな政策を実行した。当時経済は成長し、公害は全国に広がり、社会の大問題となっていた。平均寿命は伸びてきたものの、いまだ高齢化社会ではなかった。医療費の無料化、高齢者の都営交通の無料化、公営ギャンブル廃止、歩行者天国の実施などその後の日本の自治体の政策を先取りし、当時は多くの支持を集めた。
その後この美濃部都政に対して、高評価はあったものの、のちの東京都知事石原慎太郎は、「増税なきバラマキ政策を行うことで、東京都また日本に無償福祉ポピュリズムという悪しき影響を与えた。」と批判している。
田中角栄氏は、1966年(昭和41年)2月から日経新聞で30回連載の私の履歴書を書いた。「齢いまだ50にもたらず、人生経験も浅い私は、自分の履歴を世に公表することが、何かしらはばかれて面映く、逡巡されるものがあった」で始まる生い立ちの記録で、雪深い新潟の貧しい生活、その後の東京での企業した生活、そして自らの関心のあることを綴った。そこには、人生の基本として、理念や理想は腹の足しにならぬという徹底したリアリズムの姿勢が貫かれている。そしてこの世代は第二次大戦で戦場で最も多くの戦死者を出している世代であった。
田中角栄氏は1918年(大正7年)新潟県の現在の柏崎市で生まれる。15歳の時上京し20歳まで東京でくらし、19歳で独立して共栄建築事務所を開く。1938年(昭和13年)の暮れに盛岡24連隊に入隊する。中国大陸に出征し病気で療養後昭和16年除隊する。1943年(昭和18年)田中土建工業株式会社を起こす。戦後1947年(昭和22年)初当選し政治家となり、若くして頭角を表し、多くの大臣を経験する。
田中角栄政権の誕生は、1972年(昭和47年)7月5日。その前任の佐藤栄作内閣は8年間の長期政権で、政権交代後に、三角大福と言われた、三木、田中、大平、福田の4人で争われ、田中角栄首相が誕生した。
その年に発売された日本列島改造論は空前の売れ行きを示した。当時日本は、公害問題と、都市への人口一極集中が進み、過密過疎問題が政治課題であった。田中角栄はその序文で「昭和30年代にはじまった日本経済の高度成長によって東京、大阪など太平洋ベルト地帯へ産業、人口が過度集中し、わが国は世界に類例をみない高度社会を形成するにいたった」が、「明治100年(1968年)をひとつのフシ目にして、都市集中のメリットは、今明らかにデメリットへ変わった」。「過密と過疎の弊害の同時解消」のためには「都市集中の奔流を大胆に転換して、民族の活力と日本経済のたくましい余力を日本列島の全域に向けて展開することである。工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速道路自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすることができる。」
当時の自民党は経済成長を進め、その果実を弱者にも政治的に配分する、地方の農業保護、公共事業に予算を配分して政権を維持していた。田中内閣はその政権下で美濃部都政と同じように老人医療費無料化を行い、福祉元年として評価は高かった。
しかし、1974年(昭和49年)第4次中東戦争が起こり、原油価格は5倍になり狂乱物価と呼ばれる物価の上昇で、日本の高度成長は終焉した。同じ年、文藝春秋で田中金脈が追及され、首相を辞任した。理念より利益、文化より生活利便性の向上を信条にして首相の座を金と人心掌握の力で手に入れたことに対して当時から批判はあった。
1970年、右派の論客三島由紀夫は「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ・・・ 」「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」と警告した。
50年経った、今の日本は、政治だけでなく、経済もまた、大国から脱落しつつあるように見える。
