15世紀の後半、夢と宗教的情熱にかられポルトガルから多くの若者が海外に向かった.1494年にはバスコダ ガマが3隻の帆船と150人の船員で喜望峰をまわりインドに達し、翌年リズボンに還った。
その後、アフリカ、インド、東アシア、ブラジルの貿易を独占し、首都リスボンに世界の富を集め、ポルトガルは強大な商業国家となり、世界をスペインと分け合い支配した。
16世紀にはハプスブルグ家のスペインに併合され、この間にポルトガルの海外植民地は大部分オランダとイギリスに奪われることになります。
17世紀になると、スペインから独立し、再び植民地国家として、発展します。その源泉は植民地とりわけ重要な国がブラジルで、17世紀の末には金鉱が発見され、続いてダイアモンドも発見され、再びポルトガルは黄金時代をむかえることになります。
その後、1755年リスボン大震災で首都は一度壊滅し、すぐに復興はされたものの、1760年代のブラジルの金の生産激減と次の19世紀におきたブラジルの独立によって、富の源泉を失い、ポルトガルは衰退をしはじめ、しだいにヨーロッパの一小国になっていきました。
この1755年におこったリスボンの大震災はイベリア半島の南西部の大西洋のプレートの沈み込みによる海洋型の地震で、これによりリスボンは多くの建物が崩壊しその数十分後、巨大な津波におそわれ港と川沿いの市街地を中心に多くの建物が破壊され、その後さらに火災も発生し、市街地は焼きつくされた。その結果、リスボンの人口27万5000人のうち9万人が死亡し,宮殿や図書館、大聖堂もすべて破壊されました。
幸い国王一家は生き残り、後のポンパル公爵である宰相の力で救命,消火活動がおこなわれ、社会的混乱は防がれ、震災1年後には廃墟は消え壮大な構想のもとにリスボンの新たな街の再建がなされました。
日本では,ポルトガルから1543年に種子島に鉄砲が伝来し,フランシスコザビエルがキリスト教を布教し,織田信長のもとで南蛮貿易が盛んになりました。徳川政権になると日本は鎖国され,貿易はオランダに独占され長崎の出島でわずかに続けられることになります。
リスボン大震災と同じ頃、江戸時代には多くの地震がおこり、特に1707年の宝永地震では2万人の死者を出し、東海,東南海、南海地震が連動しプレートの移動による巨大な海溝型地震で津波による被害が大きかったことが記録されています。1854年には安政東海地震と安政南海地震がたて続きにおこり津波による死者は数千人に達し,これらの記録が今後おこりうる地震の研究のモデルとされています。
巨大地震は、人びとの営み、文化は地表の自然の上に築き上げられたものであり,地球規模の造山活動やプレートの動きの影響を免れることが出来ないことをあらためて我々は思い知らさせることになりました。