19世紀、ドイツの言語学者グリム兄弟が、ドイツの古くからの民話や伝説を集めて編集した子供と家庭のための童話集を初版を1812年に出版した。1857年の第7版で世界中で知られる童話は完成した。白雪姫やシンデレラ、眠れる森の美女、ラプンチェルなどが収録されていた。
ワーグナーは楽劇「トリスタンとイゾルデ」や「ニューベルンゲンの指輪」を完成させ、その内容は19世紀の代表作となった。自然主義の、時代を超えた理想郷への憧れ、浪漫主義の作品で、芸術が人生の全てである、この芸術に触れている時だけが生きているに値する時間である、この芸術の他にある人生は特に重要ではないと言う認識のもとに作られた。フランス印象派のモネやルノアールの作品、人生にはあまりにもうんざりさせられることが多いから私たちはそれとは別のものを作り出すしかないと言う絵画に対する姿勢の対極にあった。それは人生全体の芸術化を目指した。この作品に対してボドレールは人工天国と名付けた。
バイエルン国王ルードヴィッヒII世はワーグナーを熱烈に支援した。ルードヴィッヒII世の最も有名な城、リンダーホーフ城内の人造洞窟はワーグナーのオペラ「タンホイザー」の曲をモチーフにして作られ、内部は人工的に作られた石灰岩で、幻想的に造形され、洞窟内には人工の湖があり、ルートヴィッヒII世は小舟に乗りながらワーグナーの世界を過ごした。 ルートヴィヒII世のもう一つ有名なノイシュヴァンシュタイン城 はアルプスの山中に建設された城で、内装にはタンホイザーやローエングリーンの世界、中世の騎士伝説や神話を描いた壁画が施されている。
1901年シカゴで生まれたウオルト ディズニーは1920年に最初のアニメーション映画を仕上げた。1分ほどの短いコマーシャル映画で、その後ハリウッドでアニメーション映画「しあわせウサギのオズワルド」で大成功する。そして1928年に「蒸気船ウィリー」でミッキーマウスが誕生した。その後1937年に長編アニメ「白雪姫」をつくり多くの観客を集めた。白雪姫の原作はグリム童話に収められていた物語で、シャルル ペローのシンデレラや眠れる森の美女などヨーロッパ各国の民話や物語を題材にしたアニメーション映画を続々と公開され、ピノキオ、ピーターパン、や不思議の国のアリスはヨロッパの作家の小説をもとにしてアニメーション化された。ピノキオやグリム童話の怖い物語は、アメリカではウオルト ディズニーによって、ヨーロッパ各国の歴史から生まれる重々しい暗さを切り離し、綺麗で、夢のあるファンタジーの世界に生まれ変わった。
1955年カルフォルニア州アナハイムにディズニーランドが造られた。それは空想の空間であり、現実とは離れたファンタジーの世界をヴァーチャルではない遊園地の中に創り出した。母親の影響か、ルートヴィヒII世の最も有名なノイシュヴァンシュタイン城 はディズニーランドの「シンデレラ城」となり、やはりルードヴィッヒII世の人工の洞窟に似た世界を人工の岩や石で作り、非現実の世界をディズニーランドの中に創り上げた。。
日本は江戸時代が260年間続き、その間国内は平和で、文化が成熟し、特に文化文政の時代、身分に関係なく自らの表現をしたい人々は集まって狂歌や俳句や川柳を楽しんだ。子供の絵本赤本と並んで、黄表紙などの庶民向けの漫画絵本が数多く発行された。狂歌では太田南畝が活躍し、山東京伝の艶二郎は当時の人気キャラクターとなった。江戸のサブカルチャー、浮世絵や俳句は海外でも評価され印象派の絵画に大きな影響を与えた。
明治維新で江戸文化は否定され、日本にヨーロッパの新たな政治システムが導入され、ヨーロッパ文化である絵画や小説、思想そして科学技術が取り入れられて、文明国を目指した。 戦後、ソフトパワーとしてのマンガや映画やエンターテイメントを生み出す力によってアメリカ文化は世界に広がっていった。そして日本にも、ディズニー漫画が輸入され1950年代にミッキーマウスやドナルドダックは子供達の本で紹介される。ヨーロッパの歴史から生まれた童話が、アニメーション映画ではおとぎの国の物語となり、アメリカ文化の代表として日本でも人気を得た。
戦後の日本では、1950年代から60年代は少年漫画の時代で、その代表、手塚治虫の漫画もこの頃から人気を得た。その後60年代にはアニメーションをつくり、1963年にモノクロテレビアニメ鉄腕アトムをつくり、多くの映画作品で日本のサブカルチャーの中心を占めるようになった。1950年代、江戸時代とおなじように多くの若者は、大衆のための表現手段として漫画のストーリーを考え漫画を描いた。その後、漫画家から小説家になったり映画に進出したりして、20世紀の後半にかけ日本文化全体に大きな影響を及ぼしていった。1985年ファミコンにマリオブラザーズが登場する。風の谷のナウシカにも似た王国の物語でゲームによりさらに楽しみは進化し、マリオやクッパなど多くの人気キャラクターを生み出し、世界中に広がり、アニメ映画にもなった。
ウオルト ディズニーは子供たちに夢を与え、安全で楽しいテーマパーク、物語や映画を再現する人工の国としてディズニーランドを構想した。そして、最初に1955年カルフォルニア州のアナハイムにその夢を実現した遊園地ディズニーランドを建設し、その後フロリダにも造られた。日本では幕張に1983年東京ディズニーリゾートができ、その後ディズニーシーかでき、ホテルと一体化し日本化した新しい世界を創り出した。ヨーロッパにはディズニーランド パリが、そして中国には香港と上海の2か所にディズニー リゾートができた。
アメリカ映画のテーマパークUSJもまた、アジアに進出した。日本ユニーバーサルスタジオジャパンは日本のワンピースなどのアニメや スーパーマリオ やドンキーコング、ゲームの世界を取り込んでジャポニズムUSJとなってきた。そして北京やシンガポールなどにもユニバーサルスタジオができ拡張され、リゾート地として多くの人々の人気を呼んでいる。
ディズニーランドは、その空間が子供たちのこころに夢をもたらし、大人たちにも幸福な瞬間が体験できる。USJはスリルと冒険と懐かしいキャラクターに会える、特別な場所になった。この絶大たる人気の秘密は、これらの世界が人の脳のオキシトシン、アドレナリンやエンドルフィンに働きかけているからかもしれません。