2025/03/20

名探偵ポアロの大英帝国


  1890年アガサ ミラーはブナやニレ、セコイヤなど大きな木々の生い茂る庭を持つ、海辺のリゾート地アッシュフィールドの邸宅で生まれた。ビクトリア朝のイギリスは産業革命によって、生活は次第に変わり、都会の生活者は増え、かつての田園生活のような顔見知りでない隣人と生活する日々が始まった。



 1923年「スタイルズ荘の怪事件」初めてポアロを登場させる。第一次大戦時ドイツの攻撃から避難してきたベルギー人で、卵形の頭をした、おかしな口ひげを生やした小柄でおしゃれな、シャーロックホームズとは全く違った探偵であった。 その相棒へイスチングス大尉は第一次大戦で負傷した退役軍人で、旧友のジョンに招かれてスタイルズ荘を訪れた。ジョンの継母で館の主人のイングルソープ夫人が急死する。ポアロは彼の依頼を受け難事件を解決する。大邸宅の中で起こったストリキニーネによる殺人、邸宅に住む人々の見かけの印象と本当の姿、重大な手紙の発見。アガサは、怪奇なミステリーや冒険物語ではない、証拠と心理分析を論理的に分析する新しい推理小説をつくった。


  当時のイギリスの人にとって、第一次大戦は、ある朝突然起こった出来事だった。そして、多くのイギリスの若者は戦場に行き、30%の若者は戦死した。ドイツに占領されたベルギーからは100万人以上のベルギー人がイギリスに亡命してきた。イギリス国内でも上中流階級の若い女性たちも従軍看護婦として病院で戦病兵を看護し、アガサもこれに加わり、やがて薬剤部に配属されて薬の知識を学び、小説を書き始めた。スタイルズ荘の怪事件では、この薬剤知識が殺害の手段として大きな鍵を握っている。

 1923年に発売した第2作目の「ゴルフ場殺人事件」では、フランスのリゾート地ドービルで滞在中に、南米で事業を起こし、大成功を収めたポールルノーが殺害される。10年前の殺人事件に関係していた家族が近くに住んでいた。そして登場人物の様々な思いが絡み合い、真相は隠され、謎は深まる。ヘイスチングスの感情がらみの印象による推理や、フランス人警部の推測は外れ、、ポアロの感情や印象に惑わされない、、前頭葉の脳の働き、灰色の脳細胞による推理によって事実の糸のもつれを解きほぐし、事件は解明される。


 1926年「アクロイド殺し」を発表。ロンドンの郊外の田園、キングス アボットで引退したポアロはカボチャや野菜を育て、引退生活を楽しんでいた。その村で殺人事件が起きる。その街の有名な資産家アクロイドが殺された。疑われたのは義理の息子ラルフだった。アクロイド氏の姪でラルフの婚約者フローラに事件の解決を依頼される。アクロイドを殺した犯人は身近にいる意外な人物であった。


 アクロイド殺しの舞台となったキングスアボット村は、若者は都会に出て、未婚の女性や退役軍人はたくさんいる。村人たちの趣味と娯楽は、噂話である。イギリスのどこにでもあるような、ありふれた村、平穏な昔ながらの田園を舞台にしていた。イギリスの郊外は1902年ハワードが「明日の田園都市」で提案した都市と田園がよく調和したユートピア構想で、都市の近郊にありながら、近郊の美しい田園が残り自然が残る地域で、この都市がロンドン郊外に建設され始めた。当時、自然や歴史的環境を守る運動ナショナルトラスト運動が同時に起こっていた。


 1920年代は大戦後のマスコミ時代で、都市生活者や裕福になった大衆が大衆小説を求め、新聞の有名人のゴシップ記事を楽しんだ。そしてアガサクリスティーもまたそのゴシップ記事の対象になる。1926年アガサクリスティーは失踪し、記憶喪失状態で10日後ホテルに滞在しているところを発見される。


 回復したクリスティーは1928年にアーチーと離婚が成立し、一人娘のロザリンドは寄宿学校にいかせた。その年の秋、イラクのバグダッドに向かった。イスタンブールへオリエント急行に乗り、そこからシリアのダマスカスへ、そのダマスカスからバグダッドへは砂漠用のマイクロバスに乗って砂漠を横断して到着した。 1930年に再びこのメソポタミアの発掘調査の旅に加わった。そこで知り合った考古学者のマックスと再婚し、小説家としてクリスティーは黄金の30年代を迎える。その10年間で20の小説と3冊の短編集を出版し、世界中に読者を広げ、今でも人気の代表作を残した。

 1934年『オリエント急行殺人事件」1936年「メソポタミア殺人事件」1937年「ナイル殺人事件」などの代表作はアガサ クリスティーが中東旅行の時泊まった実在するホテルや実際乗った列車や、訪れた遺跡や街を物語の舞台とした。豪華列車オリエント急行、エジプトやメソポタミアといった中東のエキゾチックな情景の中での殺人事件。初期の作品のボアロが物理的な手がかりから事件を解決する物語から、殺人犯の複雑な性格と、心の奥の秘密、より真実に近い手がかりである心の動き、犯罪心理を描くようになった。


 イギリスは、第一次大戦後オスマントルコの支配下にあったアラブ世界、パレスチナとイラクを国際連盟から委任統治領として手に入れた。1932年にイラク王国となるも軍事や石油の採掘権はイギリスが担っていた。その統治下のイラクのユーフラテス川沿いの古代都市の遺跡ウルの発掘調査団がイギリスから訪れる。イラクでの遺跡発掘と油田の探索はイギリスの国策として進められた。そして中東の土地は旅行先として人気が出てきた。ドーバー海峡を超えて、オリエント急行に乗りトルコのイスタンブールに着く。バグダットへの道は砂漠の中を飛行機を誘導するために切り開かれた道路を使った。


 アガサクリスティーの小説が今でも読み続けられているのと同じように、第一次大戦中のイギリスの外交が現在まで続く中東混迷の原因になっている。パレスチナにユダヤ人国家をつくる、アラブ人国家を旧トルコ領につくる、旧トルコ領を英、仏、ロシアの3カ国で分割するという3つの秘密協定であった。