顔を認識する顔神経群(face patch)と呼ばれる脳のネットワークで顔だけに反応する6つの領域が発見された。これらは連動して、たとえ向きや形が少々変化しても誰であるかを顔から判断する。この顔神経群が障害されるさまざまな病気がある。 相貌失認症は眼や鼻、口はわかってもそれを一つにまとめられないために誰の顔かわからないことが起こる。 扁桃体が損傷されると、表情の失認がおこる。顔は認知できても、その表情の意味がわからない、恐怖の顔が認識できなくなる。そのために顔の情緒的意味が読み取れなくなる。また自閉症では顔の情報処理を普通と異なる方法で行う。そのため、相手の感情の原因を読み、行動を予測できない。その結果、人とはいい関係が結べないが、物とはいい関係を保つ。 カプグラ症候群では、顔の形と、感情的意味の情報が結びつかない。そして認知症になると相手の顔は認識できてもそれが誰であるかが解らなくなる。
誰かの幸福感や恐怖の表情を見たときに活性化される脳の部分と、自分自身が幸福や恐怖を感じたときに活性化される脳の部分は同じである。こうして他人の行動を読み、他人の行動を予測する。ダイヤのエースを持ついかさま師の絵ようにその表情からその人の性格や行為まで読み取ることができた。17世紀の画家 ジョルジュ ド ラ トウールのダイヤのエースを持ついかさま師では、描いている4人の人物の心の状態が、絵だけでわかる。左側に派手な服装のいかさま師がカードを隠し、右側に裕福そうな服を着た、カードプレーヤー、真ん中の女性の目、これらを一目しただけで登場人物の心の状態が、性格に確信を持って読める。右端のカードから目を離さないプレーヤーはいかさま師に騙されているであろうと推測する。
一般の人は人の表情から心を読んで心のうちのドラマを推測する。同じように絵画の登場人物の顔を見て、その絵を理解する。フェルメールの「ヴァージナルの前の二人」「婦人と召使」などの人々の表情から、脳にある記憶を当てはめその想像力を働かせ、絵の中の人物が何を考ええているかを夢中になって推測する。
色彩の解放された印象派以降、肖像画も変化した。「私はいま、自らの裁量で色を使おうとしている。金髪を強調し、オレンジ色の色調、そしてクロム色や淡いレモンイエローに行きつく。頭の後ろに私がつくりうる中で最も豊かで濃い青を使い、無限の背景を描く。」こうして黄色や豊かで、濃い青色などコントラストの強い明る色を組み合わせて、顔を描いたゴッホ。あるいは不安な感情、強い情動を描いたムンクは新しい人物表現を生み出した。
そしてココシュカは、フロイトに影響されて、心を読む肖像画を描き始めた。表面の下にある真実を求めモデルの内面を描くようになった。「私は肖像画を描く時外面的宗教的な名声や世的な名声社会的階級は気にしない。肖像画において衝撃を与えるのは、顔の表現の仕方か身振りから直感的に得ようとした描く人物についての真実である。」1909年から10年にかけて多くの肖像画、形や色の誇張や原始的な絵や戯画的な要素を組み合わせ様々な肖像画をを描いた。こうして表現主義の、誇張された像、不自然な色を使い見る人の感情に語りかける肖像画が生まれた。
ヘレン シェルフベックは1862年フィンランドの首都ヘルシンキに生まれた。3歳のとき階段から落ちて、歩行ができなくなる。一才年下のムンクとともに、ノルウエーの美術学校で学び、1888年イギリスに住んでいたとき、病気から回復した春の日に小枝で遊んでいる、心と体の回復の瞬間をみずみずしい表情として描いた「快復期の子」は自身の精神の復活の絵だった。
1914年「黒い背景の自画像」を描く。この自画像の若々しい姿から1921年の「未完成の自画像」では劇的に変化し、「私の肖像画」は、「死んだような表情になるでしょう。このようにして画家というのは魂を暴くのね。」と手紙に記しているように自らの心の内を肖像画とした。1939年フィンランドの対ソ連戦争の時、「黒い口の自画像」を描いた。1945年晩年にスエーデンに逃れ「最後の自画像」を書き上げた。表情に表れた精神の様子を表現した肖像画で、その描く人の真実を絵として製作した。
本物の猿の顔の写真をを見せてから、猿の漫画顔の形の丸、眼、まゆ、口、鼻、これらをいろいろ変形させて、どれを顔と認識するかを調べた。それらを認識するのにはまず顔の楕円形の輪郭の中に、眼や鼻、口が入っていない限り、顔と認めなかった、猿の顔全体には反応するが、眼や鼻だけには反応しなかった。さらに、目が漫画ののように可愛らしく大きくなると顔神経群の細胞が劇的に反応する。やはり漫画のミッキーマウスの大きな目の顔は猿にも好まれる。
人は進化の過程で、人の顔に反応するようになり、誇張された顔に対して情動的に強く反応している。そして大きな眼や虹彩に特異的に反応する。これらの顔を見る神経群はは、情動や気分の調整に関わる扁桃体とつながっている。そして絵は顔の表情を、強調し、顔で心のイメージを伝える。
日本の肖像画は武士や僧侶などの尊敬される人物を描くことが多く、簡素な背景に精神性を表す、穏やかな顔の肖像画が多く描かれてきた。江戸時代に、町人文化の華やかな時代、現世謳歌の時代、1794年(寛政6年)写楽の役者絵が登場した。顔の輪郭と眉、眼、鼻、口、それぞれの役者の顔かたちを誇張し、その人物の感情や、劇中の役柄とその性格まで描き出している。
東洲斎写楽はまるで実験のように、顔の形、眉、眼、鼻、口それらをほんの少し変え、それによって表情は変わり、憂いを含む顔、優しい顔、怒った顔になり、そして穏やかな性格や豪快な性格になる様を歌舞伎役者の肖像画で描きだした。


