2024/07/18

人の顔、人の心

 


 顔を認識する顔神経群(face patch)と呼ばれる脳のネットワークで顔だけに反応する6つの領域が発見された。これらは連動して、たとえ向きや形が少々変化しても誰であるかを顔から判断する。この顔神経群が障害されるさまざまな病気がある。 相貌失認症は眼や鼻、口はわかってもそれを一つにまとめられないために誰の顔かわからないことが起こる。 扁桃体が損傷されると、表情の失認がおこる。顔は認知できても、その表情の意味がわからない、恐怖の顔が認識できなくなる。そのために顔の情緒的意味が読み取れなくなる。また自閉症では顔の情報処理を普通と異なる方法で行う。そのため、相手の感情の原因を読み、行動を予測できない。その結果、人とはいい関係が結べないが、物とはいい関係を保つ。 カプグラ症候群では、顔の形と、感情的意味の情報が結びつかない。そして認知症になると相手の顔は認識できてもそれが誰であるかが解らなくなる。



 誰かの幸福感や恐怖の表情を見たときに活性化される脳の部分と、自分自身が幸福や恐怖を感じたときに活性化される脳の部分は同じである。こうして他人の行動を読み、他人の行動を予測する。ダイヤのエースを持ついかさま師の絵ようにその表情からその人の性格や行為まで読み取ることができた。17世紀の画家 ジョルジュ ド ラ トウールのダイヤのエースを持ついかさま師では、描いている4人の人物の心の状態が、絵だけでわかる。左側に派手な服装のいかさま師がカードを隠し、右側に裕福そうな服を着た、カードプレーヤー、真ん中の女性の目、これらを一目しただけで登場人物の心の状態が、性格に確信を持って読める。右端のカードから目を離さないプレーヤーはいかさま師に騙されているであろうと推測する。

 一般の人は人の表情から心を読んで心のうちのドラマを推測する。同じように絵画の登場人物の顔を見て、その絵を理解する。フェルメールの「ヴァージナルの前の二人」「婦人と召使」などの人々の表情から、脳にある記憶を当てはめその想像力を働かせ、絵の中の人物が何を考ええているかを夢中になって推測する。


 色彩の解放された印象派以降、肖像画も変化した。「私はいま、自らの裁量で色を使おうとしている。金髪を強調し、オレンジ色の色調、そしてクロム色や淡いレモンイエローに行きつく。頭の後ろに私がつくりうる中で最も豊かで濃い青を使い、無限の背景を描く。」こうして黄色や豊かで、濃い青色などコントラストの強い明る色を組み合わせて、顔を描いたゴッホ。あるいは不安な感情、強い情動を描いたムンクは新しい人物表現を生み出した。


 そしてココシュカは、フロイトに影響されて、心を読む肖像画を描き始めた。表面の下にある真実を求めモデルの内面を描くようになった。「私は肖像画を描く時外面的宗教的な名声や世的な名声社会的階級は気にしない。肖像画において衝撃を与えるのは、顔の表現の仕方か身振りから直感的に得ようとした描く人物についての真実である。」1909年から10年にかけて多くの肖像画、形や色の誇張や原始的な絵や戯画的な要素を組み合わせ様々な肖像画をを描いた。こうして表現主義の、誇張された像、不自然な色を使い見る人の感情に語りかける肖像画が生まれた。

 ヘレン シェルフベックは1862年フィンランドの首都ヘルシンキに生まれた。3歳のとき階段から落ちて、歩行ができなくなる。一才年下のムンクとともに、ノルウエーの美術学校で学び、1888年イギリスに住んでいたとき、病気から回復した春の日に小枝で遊んでいる、心と体の回復の瞬間をみずみずしい表情として描いた「快復期の子」は自身の精神の復活の絵だった。

1914年「黒い背景の自画像」を描く。この自画像の若々しい姿から1921年の「未完成の自画像」では劇的に変化し、「私の肖像画」は、「死んだような表情になるでしょう。このようにして画家というのは魂を暴くのね。」と手紙に記しているように自らの心の内を肖像画とした。1939年フィンランドの対ソ連戦争の時、「黒い口の自画像」を描いた。1945年晩年にスエーデンに逃れ「最後の自画像」を書き上げた。表情に表れた精神の様子を表現した肖像画で、その描く人の真実を絵として製作した。


 本物の猿の顔の写真をを見せてから、猿の漫画顔の形の丸、眼、まゆ、口、鼻、これらをいろいろ変形させて、どれを顔と認識するかを調べた。それらを認識するのにはまず顔の楕円形の輪郭の中に、眼や鼻、口が入っていない限り、顔と認めなかった、猿の顔全体には反応するが、眼や鼻だけには反応しなかった。さらに、目が漫画ののように可愛らしく大きくなると顔神経群の細胞が劇的に反応する。やはり漫画のミッキーマウスの大きな目の顔は猿にも好まれる。

 人は進化の過程で、人の顔に反応するようになり、誇張された顔に対して情動的に強く反応している。そして大きな眼や虹彩に特異的に反応する。これらの顔を見る神経群はは、情動や気分の調整に関わる扁桃体とつながっている。そして絵は顔の表情を、強調し、顔で心のイメージを伝える。

 日本の肖像画は武士や僧侶などの尊敬される人物を描くことが多く、簡素な背景に精神性を表す、穏やかな顔の肖像画が多く描かれてきた。江戸時代に、町人文化の華やかな時代、現世謳歌の時代、1794年(寛政6年)写楽の役者絵が登場した。顔の輪郭と眉、眼、鼻、口、それぞれの役者の顔かたちを誇張し、その人物の感情や、劇中の役柄とその性格まで描き出している。

 

 東洲斎写楽はまるで実験のように、顔の形、眉、眼、鼻、口それらをほんの少し変え、それによって表情は変わり、憂いを含む顔、優しい顔、怒った顔になり、そして穏やかな性格や豪快な性格になる様を歌舞伎役者の肖像画で描きだした。



写楽の一筆が、脳に起こす反応は絶大である。

2024/07/03

絵を見る脳 モネとクリムト

 




 印象派は古典派の絵のように物語を表現するのではなく、色彩によって情動を伝えようとした。印象派以前の絵画は、絵の背後にある宗教的あるいは神話の世界の風景や衣服や人物を通して、描かれた世界を理解していくことが重要であった。画家はいかにして立体的に、正確に、カメラのように絵画で再現するかが求められた。印象派は、この立体的な三次元の絵、キリスト教の真実の物語、神話を描く絵画を否定して誕生した。


 モネは自然の中の色彩とその配列と光の太陽光のもとに自然のきらめく様子、時間の経過とともに変化していく自然を描き出そうとした。1874年当時の主流の王立美術アカデミーに対抗して第一回印象派展に 印象 日の出を出品。そこには造形された構造はなく、外光による色の移り変わりをキャンパスに描いた。 第2回印象派展で、背景にうちわ、美しい赤の着物と日本的絵柄のモネの作品 ラ ジャポネーズが最も人気を呼んだ。


 この印象派展はルノアール、ドガ、ピサロなどの現在有名な画家が参加して1886年まで続いた。その後、この新しい手法は世界中の絵画に影響を与えた。アメリカ人画家ジョン シンガー サージェントはやはり印象派の作品カーネーション リリー リリー ローズと言う花が乱れて咲く夏の宵、少女2人がちょうちんをつるす風景を描いている。このちょうちんは日本の提灯で当時のジャポニズムの作品の一つである。


 絵や詩を見ることは感情をともなった作業である。風景や人物の絵を見てその色と形にボトムアップの脳内物質が放出され感情が生まれ、記憶と照らし合わせその絵を理解し評価する。絵画を観てボトムアップのシステムで見る人は最初に反応する。その後に前脳の働きで分析し解釈しようとする。印象派はこの最初の印象、ボトムアップを重視する。

 モネはルーアン大聖堂、積み藁、睡蓮、などで同じ場所を、絶えず変化する光の中で何度も描いた。一般に脳は色彩を見て赤色は、陽光の下での赤いネクタイが、日陰の暗いところでもやはり赤く見えるように脳の中で調整する。こうして色の恒常性は保たれる。モネはこの調整の仕組みにより生まれた画像を凌駕して、見たときの感覚そのままに描く努力を重ねた。

 印象派の色を使った情動の表現は、チューブ入りの絵の具により、戸外で絵を描くことができるようになったことで実現した。色や表情など情動の知覚が最初に、脳で処理され、そのあとに形態に関する情報の処理がなされている。印象派は明暗は強調せず、柔らかい線やぼんやりした輪郭を描いて、色彩に集中して見る人を引き付けるようにした。




 クリムトは1862年金細工の彫刻師の息子としてウィーンに生まれる。ウィーン美術工芸学校に建築装飾家として入学し、最初は建築の装飾を描いた。

 1894年32歳の時ウイーン大学の講堂の天井画を依頼される。モダニズムの始まりウイーン1900年と呼ばれる時代があった。当時ウイーンはハプスブルグ帝国、オーストリア ハンガリー帝国の首都として芸術文化の中心となり多くの建造物が次々と建てられた。1902年、ベートーベンを称える総合芸術建築、音楽、彫刻、絵画を組み合わせた新たな分離派ミュージアムが建てられ、その建物の部屋の壁にクリムトは絵を描いた。クリムトは当時この作品に対しての思いを、「幸福と愛を求めて苦悩する人類は、芸術が一つに統合されたときに最高の至福を得られる。」と語っている。 


 北欧のノルウエーで生まれたムンクは、1893年生命のフリーズの中の作品「叫び」を発表、不定形の形と色彩を使って無意識の世界、意識下の感情、心の奥の不安や恐怖を画面に表現した。クリムトもまた、ウイーン分離派を作り、無意識の不安や本能的衝動を表現するため、描写は平坦で、抽象的な装飾性を取り入れた作品を制作した。1907年に代表作The Kissを制作し、同じ年、肖像画アデーレ ブロッフォ バウワーを発表した。その表情の美しさ、斬新で複雑な模様は、新たな絵画、モダニズムの始まりであった。その後もダナエ、罌粟(ケシ)の野など次々と新たな作品を描き、1911年、画面左に孤独な死を右には命と愛を表す多くの人を、「死と生」を発表し、ヨーロッパ中で多くの芸術家に支持された。その3年後にサラエボ事件が勃発し、第一次大戦が始まり、オーストリア ハンガリー帝国は解体された。


ゴッホからムンク、クリムトにつながる画家は人々の意識的、無意識的な情動を引き起こす作品を生み出した。まず絵を見て色彩を最初に感じ、表情や姿、形が情動物質に働きかけ、意識的、無意識的な感情となり、やがてそれを脳が理解しようとする。

 フロイトは無意識の世界を発見し、そしてそれに操られる情動は精神生活をゆたかにするだけでなく、情動と理性は分かち難く結びついていて、合理的行動に影響を与える。意識の下に埋もれている情動は形を変えて表面化する、そしてその情動の奥にはエロスとタナトス(死への欲動)が潜んでいる。その発見は、絵画の世界に絶大な影響を与えた。

 クリムトは人間の心の奥にある生と死、エロスとタナトスの世界を絵として二次元の世界に描き出そうとした。アデーレを見て、肯定的情動だけでなく、鑑賞する人の脳内にドーパミンが出てニューロンを活性化させ、審美的依存症に似た感情が起こる。そして再びその絵を見たい気持ちが沸き起こる。ココシュカは語った。我々は皆フロイト主義者でありモダニストである。我々はみな、表面に現れたものの下の奥深くにあるものを理解したいと望んでいる。そして絵画を通して、美と醜の下の真実を描いた。


 この色彩による情動の表現の進化は、マチスなどのフォービズム、野獣派の画家のデフォルメした形態に色彩を配置した絵につながり、色彩ではなく形態を変容させたのはセザンヌであった。彼は自然の形態は立方体と円すいと球によって成り立っているとした。これが自然をいかに見るかのカギになるとして、風景画をこの三者で再構築した。この考えをさらに進め、ピカソやブラックは自然は立方体の連なりであるとしてキュビズムを作り出した。それはガンジンスキーやモンドリアンの抽象絵画につながる。


 脳の中では、自然を描いた印象派の絵を見るときと抽象的な絵を見るとき、脳で活性化される部分が異なり、脳内では違う経路で絵を見て理解しようとしている。宗教画と風景画、抽象画は絵を見た鑑賞者の頭の中では、それぞれ異なる神経経路を通って、異なる脳の部分が活性化され、異なる情動が引き起こされる。さらに、 シュールレアリズムのキリコやダリの絵画は、自然界の見慣れた風景や過去の規範的構図に反応する脳とは異なる、普通でない要素に反応する大脳の前頭葉が活性化される。