子供の頃の記憶に、春の日に、堤防を歩いて雲を眺め、雲がさまざまに形を変え、さまざまな人の顔や、動物に変わり、飽きずに空を見ていたことがあります。
人は雲の中に人の顔をさがし、生物をさがし、その気持ちを読み取ろうとする。これは人間の脳が、ランダムな世界に秩序を見つけ、意味がないものにも意味を見つけ、物語を創造する能力を持っているためで、人は何にでも心を感じとり、ものや動物にも人間的心を持ったものと理解する。人と同じように心を樹木や、動物さらには、山や岩や川にも投影する。ここに世界中の民族に神話やアニミズムが生まれる心の仕組みの原型がある。
人は集団で生活し、生存するために人の気持ちを読み取る能力が発達した。瞬間的に相手の顔から、その性格や立場まで予想し、相手の心を理解する。脳は外の世界のモデルを組み立てるのと同じように、心のモデルを組み立て相手が何を考え、何を感じ、何をするかを予測する。そうして4歳頃には相手の心を理解する能力が身についてくる。
人は物語を読んだり、映画を見たり聞いたりした時、登場人物の心を自分の心でモデル化する。本を読み終えたり、映画を見終わった後、しばらくは架空の登場人物の声が聞こえたり、自分も主人公になったような気分が続く。
人は生活している周りの環境に視線をあちこちにかえ、目をどこに向けるのか、どこに焦点を当てるのかを探して、選んでいる。人は際立った細部に目を向け、人は意味あるものに意識を向ける。人はものを見たとき、注意をむけた対象、椅子であれ、食べ物であれ、動物であれそれに関連するすべてのものを見ている。
色や形、動きを見て、そして何らかの感覚や感情を引き起こす。人は春、日向に咲く赤いアネモネの花を見た時、赤い色、暖かい日、春風、そして過去の季節の記憶が呼び起こされる。小説だけでなく、詩や俳句といった短い言葉の連なりが人の記憶にに呼びかけて、喜びや悲しみあるいは爽快な気分といった感情を呼び起こす。
脳は周囲の膨大で、乱雑な情報をいかにして単純な物語にするのか。その基本構造の一つは因果関係を見出すことで、現実の複雑な状況を、一つの事柄が、別のことを引き起こす、単純化された理論へと再構築する。
20世紀の初めに、ソ連時代の映画監督プドフキンは、有名な俳優の顔の映像とスープの入った器、棺に安置された遺体、おもちゃのクマで遊ぶ少女、それぞれの映像を組み合わせて観客に見せた。観客は俳優の演技の演技を絶賛した。放置されたスープを見る彼の重苦しい憂いの表情を堪能し、死者を見つめるその深い悲しみに心を動かされ、遊びに興じる少女を見守る明るい楽しげな笑顔を称賛した。しかし3つの場面で使われた俳優の顔の映像は全く同じものであった。
さらに人は死に直面した時これををどのように理解したらいいのか戸惑う。そして心の中に生まれる悲しみの感情を物語に変える。生命はどうして生まれ、世界や宇宙はどうなっているのか、これらの見えない世界の理解を神の存在に求める。人は世界を理解するのに、見えない意図を読み取ろうとする力が働き、物語を創造する、人は死を迎えることを理解した唯一の生き物であり、その不安をコントロールするためにも、死後の世界を創り出し心の平静を保つ。、こうして世界中の民族で宗教は生まれてくる。
AIの進歩によって小説、詩などの物語は作家のもの以上になり誰よりも優れた作品を生み出せるのか、そして絵画の制作や音楽の創作は AIに取って代わられるのか、さらに神話や宗教はどうなるのか、現在問題になっている。
小説で普通の小説と純粋な文学小説の物語の根本的な違いは、大衆向けの小説が物語の変化はテンポ良く、明快で、誰もが理解しやすい。一方純文学は物語の展開は複雑で、曖昧なことが多い。鑑賞者である読者はそれを理解するのに、知識と努力を必要とする。何より純文学は心を描き、定型化を嫌う。現在AIは感情の起伏や、読者の好みのデーターを分析活用して普通の小説家や劇作家より巧みな物語を作り出せる。
絵画では抽象画やポップ アートではすでにAIによって多くの作品が生まれている。また音楽ではポップスは、高度にパターン化された感情操作が定式化され、それを組み合わせて作品として創り出しやすい。AIによる漫画やユー チューブの制作は進化を加速させている。
そしてAIはまた宗教に近いものもまた生み出すことができる。それは、AIは感情をもつ必要はないが、人の感情を引き起こすことはできる。抽象画があたかも神を感じさせ、崇高な気分に人をさせることができるのと同じように、AIは芸術作品をつくり、人々の好みに対応してそれに最適化させ、感情操作を高めることはできる。
もし人々が、AIの物語を聖典にしたり、AIの判断を倫理の基準にしたり、AIを精神の拠り所とするようになったとき人間世界は根本的に変化してしまう。