2026/04/13

フェイクとファクト

 






 一般に、どの社会においても「嘘」が公然と通用しはじめるとき、その社会は足元から崩れ始める。信頼が、共同体を支える基盤であり、それが損なわれれば社会はもはや協力の共同体として機能しなくなる。そのため人々は、協力を持続させるための規範や倫理を生み出してきた。

 日本でも江戸時代の小説家上田秋成は、小説自体が事実ではない物語で、小説家はそのため天罰が降ると考えていた。明治期に入ると、修身や道徳教育の中で「正直」は重要な徳目として強調され、信義に反することは人としての在り方に反するものとされていた。

 しかし時代とともに情報技術の発展し、真実と虚構の境界が徐々に揺るがされるようになってきた。瓦版は新聞へと変わり、印刷物は大量生産され、やがてラジオやテレビが登場し、マスメディアという巨大な情報が生まれた。そして現代のSNS時代においては、フェイクとファクトは瞬時に、同一の速度と形式で拡散されるようになり、両者の差は急速にあいまいになっていく。その結果として、かつて前提とされていた「高信頼社会」は揺らぎはじめている。

 そもそも、なぜ人間社会にはフェイクが生まれるか。それは人の予想する脳の機能から生まれる。ある表現が現実と一致するならばそれはファクトと呼ばれ、不一致であればフェイクとされる。この区別自体は単純である。しかし現実の人間にとって、世界は単純ではない。個人はつねに予測によって世界を創り出している。その構造は知覚の水準から社会制度にまで広がっている。

 イギリスの医学雑誌に報告された一例は、このことを象徴的に示している。足場から飛び降りた建築作業員が、着地の瞬間に15センチの釘が足を貫通したと目撃し、その強烈な痛みによって、動くことすらできなかった。強力な鎮痛剤が投与され、その後に靴を脱がせてみると、釘は実際には足の指の間を通過しており、組織には損傷がなかった。しかし彼の痛みは本物であった。

 彼が感じた激痛は、彼の脳が、見た証拠によって、重傷を負いそれによって引き起こされるはずの痛みを予想することで生み出された誤った知覚だった。脳は予想と感覚的証拠とを結びつけて、組み立てて経験とする。


 同様の構造は慢性疼痛にも見出される。慢性腰痛などでは、組織的損傷が消失した後も痛みが持続することがあり、世界人口の約10%がこの状態を経験している。実際に起きた傷や骨折、炎症などの組織が傷ついた痛みと、神経の痛みの情報を処理して、痛みを感じるシステムが働き過ぎて、慢性の痛みとなる神経障害性疼痛がある。そして誤った予想が定着すると、ますます変わりにくくなることがわかってきた。この予測はプラセボ効果や瞑想などによっても変容しうることが知られている。

 痛みは他の知覚と同じように、脳の予測と直接感じる知覚の相互作用によって形つくられる。そして人間の経験一般もまた、外界の刺激と、そこに先立つ予想や注意の置き方によってつくられる。したがって、私たちが「世界そのもの」をそのまま経験しているのではなく、無意識的な脳の予想と、注意する意識を通じて再構成された像なのである。

 この予測生成の仕組みは、ときに機能不全を起こす。自閉スペクトラム症において見られる感覚の過剰や統合の困難さは、その一例として理解できる。日常的には容易に統合されるはずの感覚情報がバラバラででお互いに関連なくされたまま、全体としての意味をつくることが出来ない。その結果、知覚によってもたらされる感覚的事柄と過去の経験から得られた知識のあいだに橋がかからず、世界が断片としてまとまりがつくりにくくなる。

 この「予測する力」は、個人の内側にはとどまらない。むしろそれは社会の構造そのものと重なり合っている。人間は共同体の中で言葉をつかい、相互にモデルを共有してきた。その過程で、本物と偽物を見分け、信頼する相手とイカサマ師を見破る方法を発達させた。信頼がなければ協力が成立せず、共同体そのものが維持できないからである。

 やがて集団が拡大し、民族や宗教、国家といった大規模な共同体へと発展すると、話し言葉だけではなく文字による情報伝達が必要となる。言語は世界をモデル化し、それを物語として固定する装置へと変わる。宗教は意味の体系を語り、国家は歴史を語り、イデオロギーは未来を語ることで、人々を結びつけてきた。しかしそれらの「物語」は決して単一ではなく、ある共同体における真実は、別の共同体においては虚偽として現れることもある。このような多くの物語の競合のなかで、民主主義が一定の地位を得たのは、それが誤りを修正しうる仕組みを持っていたからであった。


 そして最終的に、人間が陰謀論や単純な善悪の物語に引き寄せられるのもまた、この予測構造と無関係ではない。人は世界を理解するために仮説を立て、その仮説と一致する情報を「現実」として受け入れやすいようにできている。信じやすい脳はフェイクニュースもまた信じてしまう。

2026/04/09

文明の対立とAI戦争

  


2001年宇宙の旅は、干ばつに苦しむ類人猿の群れが、水や食料をめぐって他の群れに押され、絶滅寸前の状態にあった。そこにある日突然、正体不明のモノリスが現れ、類人猿はモノリスに触れ骨を武器として使うことを発見する。彼らは攻撃性を身につけ、やがて人類へと進化する。その獲物を捉え敵を攻撃する武器の骨が空中高く舞い上がり、2001年のコンピュータHAL9000に制御された、モノリス探査のために月に向かう宇宙船にシーンは変わる。


 人間は真実を見ているのではなく、納得できる物語を見ている。人間は物語を共有することで、困難を乗りこえ、生存してきた。 集団をまとめるために宗教が生まれ、カルトも生まれる。国家を作るためにイデオロギーが生まれ、セクトも生まれる。技術を開発し敵を倒して勝者が生存する。人々は宗教や言語、歴史価値観や制度などで自らを定義づける。そして我々の部族、宗教的共同社会、国家、我々の文明といった集団のアイデンティティーを確立する。


 人類は歴史上様々な文明を創ってきた。古代シュメールのメソポタミアやエジプト文明、古代ギリシャやローマビザンチンそして中央アメリカのアンデス文明。これらは滅亡した。現在残っているのは西欧文明とロシア正教文明、そしてイスラム文明、中華文明と日本文明とインドのヒンズー文明さらにラテンアメリカ文明がある。

1500年以前には世界の文明は、切り離され独立して繁栄していた。大型の帆船はなく、ユーラシア大陸は、草原をかける馬や砂漠を旅するラクダによって情報や技術はゆっくりと伝播していった。

 

 1500年から1750年にかけて西欧が組織的な軍隊をつくり、規律、訓練に優れ、大型の帆船を作り、遠洋航海が可能となった。そして輸送の技術の急速な発達とともに武器としての銃と大砲が作られた。それを使ってユーラシア大陸の西の端のポルトガルとスペインが海洋帝国を築き、大航海時代の覇者となった。 その後、ポルトガル、スペイン、オランダに代わりイギリスが遠洋航海の力と工業の力を使って覇者の座を占めることになった。


 そして技術を手にして武器を作り他の文明を支配して帝国を創り上げた西欧諸国の間でも同じ文明圏の中での平和は例外で、戦いは日常的に行われていた。

1648年にウエストファリア条約が結ばれるまでの150年間西欧文明の中では宗教戦争が起こり、30年戦争と呼ばれるカトリック陣営とプロテスタント陣営の戦争でヨーロッパは破壊尽くされ、その後も王位継承戦争が続いていた。ウェストファリア条約で宗教に軍事は関与しない取り決めがなされた。

 その後は国王や立憲君主が支配する国民国家ができ、軍を強化し、経済力をつけ、領土の拡大を目指し、互いに覇権を争っていた。その状態が第一次大戦まで続いた。2度の世界大戦の後、西欧文明から生まれたイデオロギー対立は共産主義の敗北で終わり、西欧型資本主義、新自由主義とアメリカ文化が世界に広がり普遍化した。

 2020年代に入り、ロシアとウクライナの戦争とイスラエル、アメリカとイランの戦争が起こっている。ロシアのウクライナ侵攻はロシア正教の文明と西欧の対立の側面がある。大陸国家ロシアは周囲のフランスやドイツといった西欧を敵とみなしている。 プーチン大統領は聖なるルーシーとしてロシアとベラルーシとウクライナを宗教的文化的に一体と見なし、ギリシャ正教をロシアの伝統の象徴であり精神的支柱と位置付けている。今回のウクライナ侵攻は西欧文明のNATO諸国から、ロシアを防衛する戦いと位置付けている。


 MA GA派と、キリスト教福音派とテクノリバタリアンに支えられて当選したトランプ大統領は、キリスト教ナショナリズムを前面に押し出して選挙に勝利した。一期目にアメリカ大使館をエルサレムに移転した。福音派にとってイスラエル建国とその後の戦争の背景には神の働きがあり、1967年の第3次中東戦争以降、東エルサレムをイスラエルが占拠するのも神の意志の表れである。文明を守る宗教と、その手段としての軍事力の行使は密接不可分で何ら矛盾するものではないと考えている。そして今年の2月28日イスラエル、アメリカはイランを攻撃した。 かつてサムエル ハンチントンの唱えた文明の衝突、西欧とロシア正教文明、アメリカ イスラエル文明対イスラム文明の戦いが始まったのようにも見える。


 人は最新の武器を手にした時、それを使いたくなる誘惑に駆られる。そして国家の対立では、物語を作り出してでも紛争の解決に高度な最先端の武器を使う。ベネズエラの大統領拘束で AIは各部隊の情報を統合し、作戦全体を可視化し、支援情報、判断、計画を高速化する司令部の頭脳の役割を担った。そしてイランの攻撃にはアンソロビック社の生成AIを組み込んだパランティア社のメイブン スマートシステムを使って、同時に1000以上の標的を攻撃した。

 今年の3月、AIに核のボタンを握らせ、互いに敵の行動を読みながら領土を争うゲームを繰り返した戦争シミュレーションの研究結果が発表された。AIは表向き相手国に友好的態度を示しつつ、裏では攻撃準備を進めジギルとハイド的な行動や計算高い鷹、あるいはマッドマンと名付けられた作戦を立てた。多くの確率で核兵器の使われる戦争に至った。


 2001年宇宙への旅ではHAL9000が反乱を起こす。2001年宇宙の旅は人類の攻撃性、AI技術の進歩した世界を預言した作品になっている。