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2009/02/15

スペイン風邪

昔から戦争における死者は実際の戦闘によるものより、戦病死が圧倒的に多いのが通例でした。不衛生な環境で密集した生活の場では、感染は蔓延し多くの死者を出していました。

 

 また、食事による低栄養も問題でした。日清戦争時、脚気による死者4000人に対し、戦闘ではわずか293人の死亡。日露戦争では約2万8700人の脚気による死者に対して、戦闘では4万7000人の死者をだしています。海軍においては麦飯採用によりビタミンB1の欠乏を補ったため脚気はまれなことになったものの、陸軍は白米供給を続け多くの脚気患者と死者がでました。

 

 1914年に始まった第一次世界大戦では、スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザが世界中に蔓延し、老人よりむしろ壮健な若者が多く死亡した特異な新型のインフルエンザでした。

 

 当時協商側に後から参戦したアメリカは、陸軍医療衛生部隊が活躍し良好な衛生状態を保ち兵士も良好な健康状態でした。

 しかし、1918年8月になり、フランス戦線に送り出される兵士のキャンプで、はじめてインフルエンザが発生、急速に流行、たちまち兵士の20%から30%が活動不能になり、毎日100人近くが重症の肺炎にかかり死亡しはじめました。この軍事訓練のキャンプでは、結局兵士の3分の1にあたる1万7000人がインフルエンザにかかり、787人が死亡し、十分な訓練はできない状態においこまれていきました。

 

 1918年秋から終戦までに船でヨーローッパに運ばれた12万9000人の兵士のうち2000人が船中で亡くなり、又上陸後9月10月11月の3ヶ月でアメリカ軍だけで約1万人の兵士がインフルエンザによる肺炎で死亡しています。これと同様の感染がイギリス、フランス、ドイツ兵にもおこっていました。

 

 1918年9月から1919年6月にかけて、結果的にインフルエンザで死亡したアメリカの兵士は、戦闘で死亡した兵士とほぼ同数になり、そして、アメリカ市民の死亡者数はその10倍の67万人以上になりました。同じ時期日本でのスペイン風邪による死者は48万人に上り、世界中では、戦争での死者の2倍の3000万人から4000万人が死亡したと推定されています。

 

 一般の風邪もインフルエンザもヴィールスによる呼吸器を中心とした感染症ですがそれぞれ全く症状も重症の程度も違っています。

 インフルエンザは急に熱がでて、典型的な場合高熱で関節の痛みや全身の症状が強くでます。そして、まれに高齢者や子供で死亡することがあるもののそれほど致命率の高いものではありません。スペイン風邪のように20歳から30歳の壮健な人の肺をおかし、肺水腫状態から高い死亡率をもたらし,感染力の強い悪性のインフルエンザは非常にまれなことです。この新型の悪性インフルエンザがどのように発生したかは未だ不明です。

 

 インフルエンザヴィールスは表面にHNの突起をもっていて、これの型によって、Aソ連型などの名前がつけられています。人から人にこのヴィールスが感染していく過程で,突起が変異して、感染力の強い、しかも死亡率の高い悪性のインフルエンザに変化した可能性が考えられています。

 

 現在、世界各地で散発的にみられる鳥インフルエンザが、もし人から人への感染力をもった新型インフルエンザになったら、一気に世界的な大流行をおこし、1918年のスペイン風邪と同様のパンデミックがおこるのではないかと恐れられています。

 

2009/01/28

軍医森鴎外


 日本は,1868年の明治維新以降,富国強兵、殖産興業を合い言葉に教育,政治、経済、軍事の近代化を進め、ドイツにならった憲法のもと、地域での大国の道を邁進しました。1894年日清戦争で勝利し、1904年に、日露戦争でロシアを破り、この2つの戦争により、アジアの強国の地位を固め、侵略併合,植民地化をされる危険は当分なくなった時でした。

 

 日本ではこの時代の代表的作家は森鴎外です。この日清,日露戦争に森鴎外は軍医として従軍し多くの詩や日記を残しています。

 

 鴎外の家は代々、津和野藩亀井家の御典医で、1862年に生まれ、15歳で東京大学医学部本科生となり,19歳で卒業。1884年から4年間ドイツに留学し、帰国後、陸軍医学舎教官兼陸軍大学校教官となりました。そして明治23年(1880年)に初めての小説“舞姫”を発表しました。

 

 明治27年(1894年)日清戦争に従軍。明治37年(1904年)、42歳で第2軍軍医部長として日露戦争に出征。

多くの従軍記録や詩とともに第2軍軍歌を残しています。

 

 海の氷こごる北国も 

 春風今ぞ吹き渡る、

 三百年来跋扈せし 

 ロシアを討たん時は来ぬ。

 16世紀の末つかた ウラルを越えし昔より、 

 勇あり智なき すええでん 

 武運つたなき ぽおらんど 

 歯に立つものの なきままに 

 我慢は世世に つのり来ぬ

 

 

 帝政ロシアは海外に植民地を持たないものの、ヨーロッパではスエーデンを破り,ポーランドを併合し、極東ではしだいに南下政策をとるロシアを討つぞと歌った愛国の情あふれる軍歌でした。また、国木田独歩は戦時通信として国民新聞に愛国的記事を送り、田山花袋も日露戦争写真画報に前線レポートの記事を連載しました。

 

 明治45年(1912年)7月、鴎外五十歳の時、 明治天皇崩御。乃木将軍夫妻自刃。“興津弥五衛門の遺書”でこの事件を肯定的に描き、同年“かのように”を発表しました。

 

 その後“阿部一族”“山椒大夫”“大塩平八郎”などで、虐げられた弱きものの心情を描いた歴史小説を多く残しています。内容は,軍医として国家のもとの忠誠心からしだいにはなれ、歴史上の人物に仮託して個我の問題を取り上げ、それを主題として描くように変わっていきました。

 

 

2008/12/07

感覚について


 どのようにして動物が世界をとらえ、宇宙を想像しているのか、どのように人類が夢をもち、物語をつくっているのか、脳の中の世界がかなりわかってきました。視覚、聴覚、臭覚 味覚、触覚の五感による外からの刺激を感じて、神経が脳に伝達し、それを脳がどのように扱うかがわかってきたからです。


 見ることは、電磁波をとらえて、日の網膜が反応し、これが神経を通って、脳まで届く、これを脳が反応し、何をみているかを理解します。たとえばカエルの目は外の景色のうち、動いているものだけとらえます。もし好物のハエでも動かなければ見えないし、カエルにとってこの世に存在もしません。ハエも動いてはじめてカエルの世界にあらわれます。


  爬虫類や恐竜も日の網膜で光を感じる能力はあるものの、遠くは見えず、夕ぐれ時には役のたたないものでした。ほ乳類になってはじめて2つの眼が物を立体的にキャッチし、3次元の空間で、きっちりとらえるようになりました。


 聴覚は気圧の変動を耳の細胞が知って、脳で理解します.ほ乳類が最初に生きていた頃、地上は昼間の明るい間、爬虫類に支配され、夜しか安全に活動出来ませんでした。そのため、敵を見つけるには匂いと音に頼っていました。この時期、とくに聞く能力が発達し、いままでバラバラの雑音であった音を頭のなかでくみたて、意味のあるメロディーや叫び声として捉える仕組み、時間の感覚が生まれました。


 耳は多くの空気の振動にまぎれている音をとらえます.この形や色、音をブロックのようなまとまりに分解し、頭のなかで処理をしして、空間と時間の枠の中でそのブロックを組み立てなおします。 そして、敵がうなり声をあげておそってくるかどうかを一瞬のうちに判断します。こうして細切れのシーンはひとつにつながり、世界が動く画像として理解され始めました。

 人間になると記憶が脳に貯えられ、心の中のイメージがさらに豊かになり、時間は空間と同じような感じで扱えるようになりました.そして、過去や未来がうまれ、空想することもできるようになりました。光る点から、星座をつくり、人や動物を想像し、文字を連ねて言葉が生まれ、それらをくみあわせて詩や物語をつくりました。

 

2008/12/06

コレステロール


 

  人と同じ雑食のチンパンジーは,タンパク質の節約効果をあげるためカロリーの豊かな炭水化物と肉類を組み合わせて食料としています。

 人類もまた雑食動物で,長い歴史にわたり常に食料不足が生活を脅かしていました。その歴史と風土から食文化が形成され、ヒンズー教の牛やイスラム教の豚など宗教によっては、禁忌の食べ物が出来ました。

 食べ物のうち,植物性食物は生命を維持させ,動物性食物は健康を増進する役割があるものの、食料として作物をつくることより,食料として動物を飼うことが、はるかにコストがかかります。そのため人口密集地域は穀物など植物性食物で餓えを凌ぐことになります。


 動脈硬化の原因は、喫煙、高血圧、糖尿病、高LDL(悪玉コレステロール)血症などが考えられています。

 そのうちの脂質(コレステロール等)については、はやくから総コレステロールが測定できるようになり、家族性の高コレステロールの人は300mg/dl以上の血中の値を示し、若くして心筋梗塞などで死亡していました。

 20年以上前に抗コレステロールの薬であるスタチン系の薬ができて、著明にコレステロール値を下げ、救命できるようになりました。

 その後脂質の詳しい研究から、コレステロールもLDL(悪玉コレステロール)とHDL(善玉コレステロール)など多くの種類があり、このうちHDLは善玉コレステロールと呼ばれるのは動脈硬化を防ぐ作用を持っていることがわかってきました。

 たとえば、HDL80mgであれば、たとえ、LDLが270から280mg/dlと非常に高い値でも動脈硬化になる人はそれほど多くありません。

 歴史的にみれば,コレステロールを多く含む食物をとるようになり、人々の寿命はのびてきました。しかし,食生活の改善が行き過ぎて動脈硬化もふえてきました。


 たとえば、高すぎるLDLコレステロールは特に狭心症などを発病した人には良くないことはわかっています。しかし、コレステロール と動脈硬化による病気の関係は以外と複雑で、その人にとっての最適なコレステロール値などの脂質レベルはどのくらいかはいまだ論争中です。

2008/10/23

変形性膝関節症

変形性膝関節症

 

 生物が大型になると、体重を支えるため脚は太くなってきました。そして,大地を自由に走り回るため曲げ伸ばしがスムースにいく機能が必要になり、膝にはクッションであるコラーゲン繊維でできた半月板と関節軟骨が備わっています。

 

 年齢とともに、この軟骨が摩耗し、変形するのが、変形性膝関節症です。高齢になると特に女性ではO脚の人が多くなり,膝の内側の軟骨がすり減り変形をおこします。

 初期には,痛み止めや湿布で,階段をさけ,重いものを持たず、減量をして治療できます。

 ある程度進行すると、ヒアルロン酸の関節内注射やリハビリテーション、大腿四頭筋訓練をします。

 さらに進行し、軟骨の傷みが強い場合,人工関節置換術を行います。

 

 膝の関節のクッションの役目をする半月板は,若い人でも運動による損傷が多く、プロ野球選手もこのために手術をすることもまれではありません。また,高齢の変形性関節症に合併することも多く、MRIで診断され,関節鏡で治療されます。

 

 膝にはその他、靱帯が7本あり,そのうち内側の側幅靭帯はけがで最もいためやすく、十字靭帯は膝をぐらつかないように安定にしている靭帯でスポーツなどの外傷でこれが断裂すると、手術治療が必要なこともしばしばあります。

2008/10/20

骨粗鬆症

高齢女性の寝たきりの原因で最も多いのは骨粗鬆症によるものです。

 

骨は、コラーゲンという支持組織にカルシウムとリンが結晶状にくっついたもので、この構造が重力のかかる地上の生活を可能にしました。海水のカルシウムを骨の中に取り込み、海から離れた地上での生活を可能にしたとも言えます。

 

 骨は破骨細胞で日々破壊され、骨芽細胞という細胞が骨を毎日つくって、この吸収と形成のバランスで骨の硬さ、構造が保たれています。

 

年をとっても、骨は十分つくられます。しかし、壊れることとつくることのバランスが悪くなると、骨はもろく、弱くなり、骨粗鬆症になります。

 

骨が弱くなると、日常生活のなかで、簡単に背骨はつぶれてしまい、次第に背中が曲がってきます。そして,転べばすぐに骨折を起こし,特に大腿の頚部にこれが起きると手術が必要になり、時には寝たきりの原因になります。

 

もし、この骨の弱くなる原因のカルシウムの流出が防げれば、骨密度は高く、丈夫な骨が保たれます。現在は、その作用のある薬として、女性ホルモンやビスフォスフォネートなどが使われています。  そして、成長ホルモンやさらに強力な薬剤が開発されもうすぐ実用化される段階にあります。

 

いずれにしても、最も重要なことは、毎日動いて、歩いて,散歩して骨に負荷をかけることです。歩くだけで,筋肉も骨も強化され、運動も巧みになり骨折の予防になります。

2008/10/12

動脈硬化

動脈硬化

 

 生物が大型になると、酸素が体の表面からは、直接全身には届きません、そこで中のほうにある細胞に酸素を配達するものとして血を流す管、血管ができました。 

 樹木の枝分かれに似た構造で、心臓から血液を全身に送りだします。まず心臓から直径2−3cmの大動脈がでて、それから枝分かれして動脈になり全身に行き渡ります。

 

 年齢ともにこの血管はもろく固くなりやすく、それを動脈硬化といいます。心臓に栄養を送る冠動脈は細くなれば、狭心症、つまれば心筋梗塞をおこします。脳の動脈にも塞栓症や血栓症、脳出血をおこします。

 

 時々マラソン大会の途中で心筋梗塞で死亡する人や,何の前触れも無く心筋梗塞はおこることがあります。急性冠症候群と呼ばれています。この病気をおこすもとが、動脈硬化です。

 動脈硬化は、喫煙、高血圧、糖尿病、高LDL(悪玉コレステロール)血症などがあり、今メタボリックシンドロームとして有名になっています。

 いままで総コレステロールが高いと大変だといって治療されていましたが、詳しい研究から、HDL(善玉コレステロール)は高い方がよい、女性は高齢になると悪玉コレステロールが高くなるが、心筋梗塞はそれほど多くない。ことなどがわかってきました。

 

 

 検査は症状や心電図の異常があれば、CTでも直接冠動脈をみることができます。そして、細い管(カテーテル)を心臓まで血管の中を通し、もし狭ければ風船状のバルーンで狭いところを広げます。さらにこれが塞がらないようにステントといって金属でできた管でトンネルを補強します。また風船で膨らまない時は、つまった部分を削ったりします。

 これからの寒い季節,中年になれば、マラソンもときには心筋梗塞をひきおこします。ご用心を。

痛みについて

痛みについて

 

 痛みを感じるのは神経系の重要な役割です。神経の原型は、クラゲではじめて出来、その後の進化で、魚類では中枢が頭部に移って、ほ乳類ではさらに脳は大きくなり痛みを感じたり、刺激を伝えるだけでなく夢や意識まで生み出すようになりました。

 手先や足先の神経は、背骨の中にある脊髄という神経の束になり、そして脳の中枢神経で痛みとして感じます。

 脚が痛くなる座骨神経痛は腰のところで神経が圧迫されておこり、手や肩の痛みは首の神経の圧迫でおこります。

 肩こりのひどい人は、この首で神経が圧迫されていることがよくあります。

 ファントム ペインという幻の痛みもあります.これは実際には無い場所の痛みを感じることをいいます。たとえば、足を切断し失った部分にあたかも足が残っているかのように痛みを感じるわけです。

 最近話題になっている痛みに繊維筋痛症があります。リウマチに似ているものの関節では無く、全身の筋肉の痛くなる病気です。全身の広範囲にわたる痛みで、体の圧迫で痛く感じる場所が18カ所のうち11カ所以上あるもの。これが,3ヶ月以上にわたって続くものをいいま今のところ原因は不明で、良い薬も日本では発売されていません。

不整脈

整脈

 

 ある小学生が、小さいころから、何度も意識を失って倒れ、てんかんとして治療されていました。ホルター心電図という検査で意識がなくなるのは、不整脈によるものとわかり、ペースメーカーの治療をしました。

 不整脈がおこり、血液が全身に送られず、当然、脳へも血液がながれず、意識を失ってしまったからで、てんかんはありませんでした。

 動物は、心臓のポンプを規則正しく拍動させ全身に血液を送り出しています。哺乳類の心臓は一生の間に、20億回拍動します。ゾウは人よりもゆっくりしたリズムで、動き、ねずみはやく拍動します。人では平均1分間に60回です。このように決められた回数を、規則正しいリズムで一生の間に20億回も拍動させるポンプが我々の心臓です。この驚異的な正確さと耐久性は心臓を動かす刺激伝導系のシステムうまく働くためです。

 不整脈というのは、これがおかしくなって、脈がつかえたり、かってに速くなったりするものをいいます。

不整脈の診断は心電図ができて、簡単に発見できるようになりました。その後、運動しているときの心電図を調べるマスター法やトレッドミル法、24時間心電図を記録するホルター心電図ができ、よりくわしく不整脈を分析できるようになりました。

最近ふえている不整脈に心房細動といって心臓の一部心房だけが規則的ではなく震えるように動く病気があります。長島監督や小渕首相もこの病気で,一番の問題はこの心房の中に血の固まり、血栓ができて脳に飛んで,血管が詰まる脳塞栓をおこすことです。

予防のために,血液をさらさらに保つ薬、ワーファリンが必要となります。 

もう一つ,怖いのは心室性不整脈で,心室細動は心臓の筋肉がけいれんしたようになり,血液が全身にながれなくなるもので、心臓マッッサージとAEDが必要になり,救命される人も増えてきました。

心筋症や心筋梗塞が無いのに、心室性不整脈を起こしやすいブルガダ症候群が最近注目されています。これらのうちで、再発性の心室性不整脈は突然死予防のために、埋め込み型の除細動器も開発されています。


2008/04/05

中皮腫

 
 戦後民主主義はアメリカのテレビドラマが教科書でした。ルーシーショウやパパ大好きなどのホームドラマからあこがれのアメリカの家庭を知り、西部劇からアメリかの開拓精神、歴史を学びました。

 その中に連続テレビドラマ拳銃無宿 Wannted Dead or Aliveが1958年から1961年まで放送され、賞金稼ぎのガンマン ジョッシュランダルをスティーブ マックイーンが演じ日本でも一躍有名になりました。

 彼はその後、1963年に大脱走 The great escape に出演。この映画は、第二次大戦のさなかドイツの捕虜収容所からの脱出を描いた映画で、監督はジョン スタージェス、音楽は
エルマーバーンスタインが担当しました。後に有名になる多くのハリウッドスターが共演しています。

トンネル堀のプロである,チャールズ ブロンソンやナポレオン ソロで活躍したデヴィットマッカラムなど懐かしい顔ぶれが出ています。

 最も印象的なシーンは、,アメリカ兵シュルツ役のスティーブ マックイーンが,ドイツの丘陵地帯をオートバイで駆け下り、駆け上り、スイスとの国境にある、2mの防御柵をジャンプして、飛び越え脱走をはかる場面です。

その当時から、ドイツ軍のバイクはBMW製で,性能には定評があり、
サイドカーつきや,多くの種類の車による、バイクのアクション シーンは大きな反響を呼び,その後のアクションスターとして不動の地位を獲得する第一歩となった作品です。

 スティーブ マックイーンはバイクや車の愛好家で,自分で車を解体し,整備して、レースにも出場していました。

 アクション スターとしての不敵な顏貌と憂いを含んだ瞳が魅力で、
ネバダ スミス、ブリット、パピヨン、タワーリングインフェルノ
など多くのヒット作品に主演しています。その絶頂期、1980年に50歳の若さで、アスベストによる胸膜中皮腫で亡くなりました。

 中皮腫は比較的まれな病気で、臓器を包む膜にできる悪性腫瘍です。
この腫瘍はお腹の腹膜,心臓の心膜、肺の胸膜などどこにでもできます。
スティーブ マックイーンはこのうち,胸膜にできた中皮腫で、
原因はバイクや車のブレーキのアスベストの被曝によるものでした。

 アスベストは天然に有る鉱石の一種で、繊維状に変形し、白石綿と
青石綿があります。

 耐熱性、耐久性にすぐれ、自動車のブレーキなどの部品、電化製品、
建築資材などに使われることが多く、一時期には、耐火性を高めるために,
建物の壁にわざわざアスベストを混ぜたり吹き付けて使っていました。

 この鉱物、アスベストは1970年代に最も多く輸入され使われましたアスベストが体内にはいると,20年から40年かかって、中皮腫という悪性腫瘍をおこしてきます。

 また,喫煙者は肺がんもおこします。中皮腫は肺から体内に吸い込んだ量よりも、体内の沈着期間が問題で、たとえ少量でもマックイーンのように若いときから,アスベストに暴露されていた人は発病の危険性が高く注意が必要です。

 
 

2008/02/24

日脚伸ぶ

 
 日脚伸ぶ どこかゆるみし こころあり

 今年の冬は,暖冬の予想がはずれ、久しぶりに冬らしいふゆになりました。
 気温にかかわらず、二月も終わりに近ずくと、日々、日照時間が長くなり、日脚も伸びてきます。
植物の中には、この日照時間に反応して,開花するものももみられます。外気温が高くても
低くても、一定の時期に開花するものです。トウモロコシはやはり生育に日照時間が影響し、年中暑いにも
かかわらず、日照時間の変わらない、赤道直下の地域ではうまく,生育しません。

 人の,睡眠も同様に,地球の自転と太陽が支配しています。REM睡眠とNONREM睡眠が交互に繰り返し、
もしREM睡眠の時に目覚めると、脳の中の記憶が再合成され、夢をみているときに起きることになります。
一方、体の中のホルモンは朝にむかって、おもにカテコールアミンが上昇し、目ざめの準備にはいります。
 睡眠の障害はこのリズムがうまく行かなくなり,こころも体も休息できない状態になります。

 睡眠の取り方にも、フクロウのような夜型の人と、朝早くから活動をし始める、ヒバリ型の人がいます。
”春眠暁を覚えず、”は夜型の作者であり、”春は曙は、”朝型の作者の感性です。

 睡眠時間についても、一日5時間で十分な人から。10時間は必要な人までさまざまですが、ビルクリントン
元大統領は,典型的な,短時間睡眠型で,アインシュタインは長時間型の典型です。

 いずれにしても、睡眠中には、活発な細胞の分裂活動、ホルモンの分泌、タンパクの合成が行われ、まさに、
寝る子は育つは医学的にも正しい認識です。

2008/01/04

時代と医療

 江戸時代は、漢医すなわち中国医学で、医師は幕府奥医師、大名お抱え医師、町医者にわけられていた。
疝気と疫病が、有名で、腹部に激しいいたみが襲う疝気は、主に,鍼灸治療がなされていた。
 疫病は定期的に流行し、漢方薬の治療がなされ、麻疹や痘瘡も流行した。
 小石川に40人収容の,養生所がつくられたくらいで入院施設はほとんどなく、各家庭に漢方薬が置き薬としてあった。
この時代の、精神は儒教で、幕府がその1つである朱子学を官学とした。儒学の慈仁を根本とする、儒者であり医師でもある
儒医も多く生まれた。

 一方、西洋医学は16世紀の南蛮医学に始まり、長崎の出島にオランダ人医師が常駐し徐々に
国内にも、広まって行った。1827年シーボルトが来日し、長崎に鳴滝塾を開き、西洋医学
教育を始めた。

 明治になると、政府は西欧医学による医療の近代化をめざし、東京大学にお雇い外国人医師のベルツを招き、その後、各地に
帝国大学の医学部をつくった。また、地方にも公立病院を建て医学校が併設され西洋医学の教育、普及がはかられ、私立
病院もつくられ、1882年頃全国に626の病院ができた。

 1874年に,文部省は医制を公布し、西洋医学基ずく医学教育と医師開業免許制度
、医薬分業や衛生行政制度の確立をはかった。そして、1875年文部省医務局は内務省衛生局に移管された。
これは、コレラなどの伝染病の蔓延と社会的混乱を防ぐためで、地方の公衆衛生委員制度も一度つくられたものの
全廃され、地方衛生は警察に移管された。その翌年、1893年日清戦争がはじまり、富国強兵のための衛生行政になった。

 そのころの、一般の人々は、売薬で病気の治療を行っていた。病院や医師とは無縁の生活を送っていた。
その後、上下水道はしだいに完備され、海港検疫体制も整備され、コレラ、ペストなどの防疫体制は海外でも高く評価され、
1926年日本では、コレラは完全に撃退したと、内務省衛生局の国際連盟主催各国衛生技術官交換視察会議報告に記されている。

 1930年の日中戦争までは、医療が漢方から、しだいに西欧医学に変換してきた時期といえる。すべての分野で西欧化
し、列強に追いつくことこそ目標になっていた。

 このころから、西欧化にむけて、走ってきた日本が西欧資本主義や社会主義に対抗する、東洋の理想を掲げ,超国家主義
が、力を持ち始めた。1931年、昭和6年に日中戦争がはじまり、1932年には、満州国が建国された。
医療は1938年に厚生省が出来て、国営医療を推進した。国民体力法で満20歳未満の国民すべてに、体力検査を行い、
この検査で、体力のないと認定されたものは、1週間の体力向上修練会に参加しなければならなかった。また同時期に
国民優生法も成立した。


 1945年、昭和20年、敗戦とともにアメリカをモデルとした、医療体制の改革がはじまり、戦後民主主義の時代となった。
しかし,医療もサムス准将の去った6年後、大学医局体制は残り、公的医療システムも完備せず、医薬分業は幻となり、
医師会主導の医療がはじまった。

 1970年代には、大衆化社会となり、高度経済成長で、経済の発展とともに医療器械、薬剤は急速に増え、病院も増えた。
医療システムはこの間、ほとんど変わることはなく,量的に日本全国に医療は充実していった。
 
 そして,1980年代より、医療費抑制の時代になり、パターナリズム医療から、インフォムド コンセントの必要なまたセカンドオピニオンを利用した医療。あるいは、エビデンスに基ずく、診療ガイドラインができ、医師の自由裁量の範囲は狭くなり、アメリカ型の
訴訟社会に似てきています。

2008/01/01

厚生省の公衆衛生路線

 20世紀、急性の伝染病の制圧は,近代国家共通の課題で、第一次大戦後は、これに加えて民族衛生という考えが、アメリカやヨーロッパで広がり始めた。日本でも健康であることは国家のためであり、民族のためであると考えが強くなり、統制主義の強まるなかで、厚生省が設立され、予防局、衛生局での公衆衛生行政だけでなく、体力局をつくり、国民の体力の向上をめざした。そして1938年昭和13年に厚生省は内務省から独立した。体力局、衛生局、予防局、社会局、労働局と臨時軍事援護局、それに外局として保険院が設置された。
 
 厚生省にとって、公衆衛生のモデルは、内務省から受け継いだ、家父長的伝統にもとずく、戦前からの伝染病対策が、
主な目的でした。,この目的を達成したのが、戦争中で、当時の医師のほぼ大半は大日本医師会の統制下におかれ、
また,主だった病院も昭和17年1942に設立された、日本医療団に統合された。

 戦後も、この発想のもとで、治療よりも予防や検診に重点をおき、国や地方自治体の定めた医療計画にもとずいて,公的
病院や、保健所を中心に医療が提供される形態を理想と考えた。


 1945年占領軍の1員としてサムス准将が来日。1952年までの7年間の占領時代,アメリカをモデルに多くの医療改革を断行
している。
 アメリカ医学の導入、当時の日本医事新報の記事に、“ペニシリン,ストレプトマイシン等を尖兵として,
光輝燦然たるアメリカ医学が出現した。日本の医学者の新しい任務はアメリカ医学を分解し、
摂取することにある。”と記された。
 そして、医薬分業制度を導入し、薬価の差益にたよらない医療技術料を高く評価しようとした。
1940年代アメリカで行われた医療政策をならって,800から1000ベッドの病院を国や州が建設し、
病院の周りにクリニックを配置し、ドクターズ フィーとして医師技術料を評価するというものであった.
これに対して、国内の医師会を中心に反対が強く、一部修正され、法案は出来たものの当時ほとんど実行されなかった。

 さらに、警察や区役所がもっていた衛生行政を保険所に移し,機能を拡張した。当時の日本の公衆衛生は中世的であり、
世界から30年遅れている、として以前の衛生警察から、保健婦を中心にした新しいモデル保健所を作り全国にひろめた。
感染症には、DDTや発疹チフスのワクチンを取り寄せ,種痘をおこない、災害時には大量の消毒用クレゾールや
サルファチアゾール,抗生剤を本国から取り寄せ防疫を行った。そして、なつかしい脱脂粉乳を使った給食をはじめ、
子供の栄養失調を改善した。

 1981年昭和56年老人保健法案で老人医療費に一部負担をもうけ,それと同時に検診の対象を40歳以上の国民
全員に拡大する処置が盛り込まれた。がん検診もその一部として行われ、そして,平成20年2008年4月からは、
特定健康診査、特定保険指導がはじまります。
健康日本21とともに、厚生省的公衆衛生路線が実行にうつされます。

2007/12/31

ネパールの医療




ネパールのカトマンズ空港はヒマラヤ山脈の間の盆地にあり、着陸に技術のいる空港です。間じかにヒマラヤ山脈が迫る,ラテライトの岩肌に緑の木々と,段々畑。日差しは強くまぶしいものの、高地のためか風は涼しい。家々はレンガをつんで建てられている。
ネパールは教育、医療も問題が多く,上水道には穴があき、下水道はなくトイレもない。

 カトマンズーは人口35万人,車,自転車,人がごちゃごちゃに行き交い,女性はサリー姿,男の人は帽子。近代から現代の建物はほとんど見られず、パシュパナート護国寺、黄金の屋根をもつラマ教寺院、目だま寺、クマリ寺院など仏教寺院やヒンズーの寺院が多く建てられている。クマリ寺院に住んでいる生きた女神クマリは仏教徒の少女が選ばれ、ヒンズーの女神となり、一日に何度が窓から信者達に顔を見せる。そのために大おお宮の館には、レンガの高層住宅がみられ、木製の格子の窓という窓にはインド的装飾がほどこされ、レンガと木の組み合わせで建物は建てられている。中世がそのまま残ったような町並みが続いていた。


 パタン病院を訪問。ベッド数は150で、室内はかなり清潔。手術も一日10数例はあり、職員は世界各地のボランティアの医師や看護士で、経済的に医療器械を買うほど豊かではないため、新しい医療機器はほとんどなく、一部にネパール各地に公衆衛生活動を行うための部屋が備えられていました。
 衛生的とはいえない空気の風はほこりを含み太陽はじりじりと暑い。この風の為か眼の病気の人がおおく、暗い建物のためか肺結核も多い。そして,消化器の病気や交通外傷。これらの人々が遠くから訪れ,3−4日入院して、また家に帰って行く。


 
20年前におとずれたネパール、カトマンズーは今は少しは変わっているかもしれません。

 いずれにしても,その頃から、ネパールやバングラヂディシュ、パキスタンなどで、病気になったら,在留邦人はシンガポールかバンコクを目ざしました。最近では、それが加速され、バンコクは2004年には私立病院で治療を受けた外国人は110万人と倍増し、タイ最大のバムルンラート病院は2006年は40万人の国外患者を引き受け、53%が国外からの患者がしめ、そして日本人もタイ全体で年間25万人以上治療を受けています。
 最近では、インドも国外患者を多く診る政策を打ち出しています。

2007/12/30

カラチの腹痛

 パキスタンは乾燥地帯で、南の海に面して、カラチがあります。この地を基盤にした,ブット元首相が暗殺され、パキスタンは政治的に大きく揺れています。核を持ち、西はアフガニスタンとイランに接し、最もイスラム過激派の多い地域です。カシミール、や北部パンジャブ地方は肥沃で、西部は一年中雨の降らない,土の砂漠です。カラコルムの山岳地帯から北に行くと中国に繋がっています。

 パキスタンの医療は日本が援助して、首都のイスラマバードに小児病院があり、また、一部の病院は非常に近代的で整備されています。訪問したアガカーン病院は、すべての建物が大理石で創られ、設備も最新式の物がそろっています。医師はイギリス流の教育で多くの優秀な人財が集まっています。問題は看護士で社会的地位が低く、慢性的に不足しています。日本でも最近はみられるようになりましたが、イスラムの国は女性は、女性医師のみ診察しています。

 人口が多く,空港のまわりには物乞いも多く、政治的にも不安定なこの国は経済の成長はみられず、アフガニスタン、イランと西部は国境を接し、アルカイダの供給地となっています。アメリカは初等教育を充実させるべく多くの援助を行っています、軍事政権のムシャラフ大統領は選挙で選ばれている訳ではなく、新たに選挙をおこないアルカイダを生まない,安定した民主国家の方向にむかうことを期待していました。今回の暗殺事件により、今後ますますパキスタンは政治的に不安定になるとみられています。

  隣国のインドはBRICSの一国で、急速な経済成長と国の政策で、IT産業と医療の産業化に成功し,多くの国から患者が集まっています。一方、パキスタンは、外務省から派遣され、日本人の検診に行ったときの話では、社会的インフラは整備されず、多くの貧民をかかえ、感染症が多く、外国からの旅行者はほとんどの人が、一度は激しい腹痛下痢にかかります。おそらく水は貴重品で手に入りにくく、食べ物の油があわないのかロタヴィールスによるものかどちらかが原因とおもわれます。

2007/12/28

C型肝炎

いま問題になっているC型肝炎は、以前はC型肝炎は原因不明の肝炎で、その病名も
nonA,no nBの肝炎といわれていました。当然輸血時チェックは出来ないために、以前、輸血を受けた人は誰でも、
このC型肝炎にかかっている可能性があります。
1992年7月,献血にC型肝炎の検査法が導入されました。
C型肝炎のほとんどが血液から感染し、多くは輸血や注射によって、うつります。
そして、C型肝炎は80%以上が慢性肝炎になります、自然治る人は少なく、
肝硬変にむかって徐々に進んで、20年、30年の年月をかけて、肝がんになるひとがでてきます。
しかも肝臓全体の硬変部分ががん化するため、多発性におこります。
 治療法は年々進歩し、最近のインターフェロンの治療で70%以上の人有効なことが証明されました。
最近では飲み薬と併用してさらに有効な人が増えてきました。
 慢性肝炎のときはまったく症状がないので、もっとも重要なのは肝炎にかかっているかどうかのチェックです。
もし肝炎があれば、肝硬変や肝がんのチェックのために肝臓エコー検査やCTが頻回に必要で、
腫瘍マーカーというガンの危険を調べる血液検査も必要になります。治療も急速に進歩しています。
今、もっとも重要なのはかつて輸血をした人は、無症状のときに、感染しているか確かめ経過をきちんと検査し、
観察していくことです。