昔から戦争における死者は実際の戦闘によるものより、戦病死が圧倒的に多いのが通例でした。不衛生な環境で密集した生活の場では、感染は蔓延し多くの死者を出していました。
また、食事による低栄養も問題でした。日清戦争時、脚気による死者4000人に対し、戦闘ではわずか293人の死亡。日露戦争では約2万8700人の脚気による死者に対して、戦闘では4万7000人の死者をだしています。海軍においては麦飯採用によりビタミンB1の欠乏を補ったため脚気はまれなことになったものの、陸軍は白米供給を続け多くの脚気患者と死者がでました。
1914年に始まった第一次世界大戦では、スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザが世界中に蔓延し、老人よりむしろ壮健な若者が多く死亡した特異な新型のインフルエンザでした。
当時協商側に後から参戦したアメリカは、陸軍医療衛生部隊が活躍し良好な衛生状態を保ち兵士も良好な健康状態でした。
しかし、1918年8月になり、フランス戦線に送り出される兵士のキャンプで、はじめてインフルエンザが発生、急速に流行、たちまち兵士の20%から30%が活動不能になり、毎日100人近くが重症の肺炎にかかり死亡しはじめました。この軍事訓練のキャンプでは、結局兵士の3分の1にあたる1万7000人がインフルエンザにかかり、787人が死亡し、十分な訓練はできない状態においこまれていきました。
1918年秋から終戦までに船でヨーローッパに運ばれた12万9000人の兵士のうち2000人が船中で亡くなり、又上陸後9月10月11月の3ヶ月でアメリカ軍だけで約1万人の兵士がインフルエンザによる肺炎で死亡しています。これと同様の感染がイギリス、フランス、ドイツ兵にもおこっていました。
1918年9月から1919年6月にかけて、結果的にインフルエンザで死亡したアメリカの兵士は、戦闘で死亡した兵士とほぼ同数になり、そして、アメリカ市民の死亡者数はその10倍の67万人以上になりました。同じ時期日本でのスペイン風邪による死者は48万人に上り、世界中では、戦争での死者の2倍の3000万人から4000万人が死亡したと推定されています。
一般の風邪もインフルエンザもヴィールスによる呼吸器を中心とした感染症ですがそれぞれ全く症状も重症の程度も違っています。
インフルエンザは急に熱がでて、典型的な場合高熱で関節の痛みや全身の症状が強くでます。そして、まれに高齢者や子供で死亡することがあるもののそれほど致命率の高いものではありません。スペイン風邪のように20歳から30歳の壮健な人の肺をおかし、肺水腫状態から高い死亡率をもたらし,感染力の強い悪性のインフルエンザは非常にまれなことです。この新型の悪性インフルエンザがどのように発生したかは未だ不明です。
インフルエンザヴィールスは表面にHとNの突起をもっていて、これの型によって、Aソ連型などの名前がつけられています。人から人にこのヴィールスが感染していく過程で,突起が変異して、感染力の強い、しかも死亡率の高い悪性のインフルエンザに変化した可能性が考えられています。
現在、世界各地で散発的にみられる鳥インフルエンザが、もし人から人への感染力をもった新型インフルエンザになったら、一気に世界的な大流行をおこし、1918年のスペイン風邪と同様のパンデミックがおこるのではないかと恐れられています。
