2022/02/23

生態系、地理から地政学へ

 ユーラシア草原地帯の生態と騎馬民族

 

地形や植生が生物の生態系をつくる。人類の歴史もまた、地球環境によってつくられる。


 赤道付近では、太陽による蒸発が上昇気流を生み、大量の雨が降る。それが熱帯雨林をつくりだす。この空気が高い高度を移動して、北緯30度付近と南緯30度の位置で下降し、砂漠地帯を生み出す。ユーラシア大陸ではチベット高原とヒマラヤ山脈とパミール、崑崙、天山山脈などがインド洋からの水分の多い空気を遮る壁となり、 その結果ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠はさらに北にまでひろがる。

 この砂漠地帯と北の寒い針葉樹の森の間には広大な草原ステップ地帯がある。そこでは降水量が少なく、樹木が育つには乾燥しすぎ、植生は耐寒性のある草になる。西は黒海、カスピ海ステップで、現在のウクライナさらに西にはハンガリー大平原になる。中央にはカザフステップがありその北側にウラル山脈とアルタイ山脈その東にはモンゴルまでゴビ砂漠の北に草原が広がっている。


 砂漠の生態に適応した生物はラクダで、厚いクッションを足の裏に持ち、砂漠を歩き、水分を最小にして活動できる。一方ステップ地帯の草原では馬にとって最適の生息空間となる。牛は雪の下の草は喰まない、馬は雪や氷の下の草もヒズメで割って、食べる。この地域では夏は乾燥して気温が40度を超え、冬は零下20度まで下がり、地面は雪に覆われる。この環境でも馬は草を食べ生活する。

 ステップの地形は陸上は平らな平原で、山脈も湿地も大森林もなく移動の障害物は何もない。わずかにウラル山脈が南北に伸びカスピ海ステップとカザフステップの界を作っている。この乾燥した草原地帯に住む放牧の民は草原を馬で迅速に移動し、草原は数十万の馬の食糧を供給する。このステップ地帯の民族と周りの農耕地帯である東の中国、南のインド、中東、西のヨーロッパ、ロシアの民族は歴史上幾多の武力衝突の歴史を繰り返してきた。いったん草原地帯から侵入した騎馬民族は耕作地帯の土地では馬を養う牧草地が不足し、再び大陸のステップの草原地帯に帰っていく。


 この騎馬民族国家で周辺の国との戦争が歴史上何度も起こされ、最初に記録されているのが、スキタイで、ヘロドトスの「歴史」に残されている。紀元前7、8世紀カフカス、黒海の北側、現在のウクライナから起こり、紀元前1世紀までステップの大半を支配下に置き、遊牧国家を形成し、ギリシャやペルシャと対峙していた。ペルシャは100万の軍隊でスキタイに侵攻し敗北したと記録されている。

 紀元前3世紀の末になると、中央アジアの東に匈奴が勢力を増してきた。三国志の項羽と劉邦と匈奴の鼎立時代から、やがて劉邦の漢帝国ができ、匈奴と漢の間の50戦争がおこる。ここでも統一した遊牧国家と統一した農耕国家の衝突が起こった。


 ステップの匈奴の活躍と時を同じくして、ステップの西側では、気候変動で寒冷化した地球はステップに干ばつをもたらし、そのためフン族が4世紀の後半にローマ帝国の境界地帯にやってきた。フン族の移動によりギリシャやバルカン半島は荒廃し、フン族はその後解体したものの、西ローマ帝国も次第に弱体化し、移住した移民とステップからの遊牧民の大移動によって最終的に崩壊した。


 13世紀になると、モンゴルのチンギス カンが東の中国から黒海までのユーラシアの過半を支配下に置いた。何千年にもわたり、ステップ地帯の遊牧民は大軍を支える牧草地から周辺の農耕社会を打ち破り、支配した。その後ヨーロッパの国家とロシアと中国は中央集権体制を確立し、技術の進歩とその軍事力への利用によって力は逆転し、ユーラシア大陸の中央まで領土を広げランドパワーの中心となった。


 海 貿易風と大航海時代


 ユーラシア大陸の陸地での民族の興亡とは別の海の航路が開かれる大航海時代がユーラシアの西の端イベリア半島のポルトガルとスペインから始まった。ユーラシア大陸の西の端イベリア半島から14世紀から15世紀にかけて大西洋に船で乗り出した冒険者たちがいた。大西洋の東に位置するカナリア諸島にはアフリカからすでに渡ってきた部族が住み着いていた。その先のアゾレス諸島は無人島であった。その島を経由して、ポルトガルの船乗りは、手漕ぎから風を受ける帆船に乗り、貿易風に乗って、しだいにアフリカ西岸を南下し、ついに最南端の喜望峰に達した。やがてユーロッパからアフリカ大陸の周りを回って、アジアに至る航路が出来上がった。一方、その頃スペインの宮廷の援助でコロンブスは1492年5週間の航海の後に、バハマ諸島に達し、四ヶ月間の探索ののち、北に進路を変え、中緯度まで来て偏西風に乗って、スペインまで帰還した。それによって新大陸アメリカは発見された。その30年後にはヨーロッパの船乗りたちは、世界一周の航海に成功した。 こうして始まった海洋航海術の発達によって、アフリカの沿岸に沿ってインドへの回路と大西洋を超えてアメリカへの航路が開かれた。この海洋の機動力によって、ヨーロッパの国々は最初はポルトガルとスペインその後オランダそしてイギリスが海外に植民地を作り、貿易を通して、海上権力(シーパワー)を握った。


 地政学の誕生


 1904年イギリスの地理学者ハルフォード マッキンダーはユーラシア大陸の中心には遊牧民が住み、沿岸地方の国家に対して強烈な軍事圧力をかけていた。これをハートランド(heart land)と呼び、周りの国を内側のみかずき型地形(innner crescent)と呼びさらに外側の島や大陸を外側の三日月地帯(outer  crescent)と呼んだ。そしてシーパワーとしてのイギリスとアメリカとランドパワーとしてのユーラシアを想定した。


 その後ドイツの地政学者ハウスホーファーが、ドイツでこのハートランドの地政学を打ち立てた。第一次世界大戦に敗れ、植民地と領土の一部を失ったドイツは敵対国に対する憎悪と失地回復の機運がドイツを覆い、ナショナリズムと地政学の勃興を促した。その時代、ハウスホッファーは1923年は「民族自決の地政学に向けて」を発刊。しだいに彼の地政学がナチス政権にも、影響力を持ちイタリア、日本にも影響力を持った。第二次大戦後アメリカの新聞によるとハウスホッファー教授と地政学協会がナチスドイツ(ハートランド)の世界支配の計画をたてそれを基にドイツ帝国の生存圏を広げていったと報道している。

 

 その後アメリカでも国家の独立と安全のための国家の力における地形や気候の持つ効果を考慮に入れる必要があり、国土のサイズや位置あるいは天然資源の存在、と言った地理的な面からの安全保障問題を考慮する地政学が採用されている。ドイツの領土拡大のための歴史哲学的な解釈とは違って、ある地理的な状況があった場合、どのような政策を採用すれば国家の安全が確保することができるのかを地理とパワーの視点から研究されてきた。


 第二次世界大戦前、1941年アメリカのスパイクマンによる地政学では、アメリカの2.5倍の広さと10倍の人口を持つユーラシア大陸、その中心にハートランドがあり、その周りにリムランドがありここには中国、インド、西ヨーロッパが含まれアメリカ、日本、イギリスなどはこれらの地域のさらに外縁を形成する。 その中で、リムランドを支配するものがユーラシアを制し、ユーラシアを支配するものが世界の運命を制すると述べている。

 その後、戦後のアメリカの対外戦略ケナンのソ連封じ込め政策や、ブレジンスキーの危機の弧や、現在のアメリカの対外戦略に大きな影響力を与えてきた。

 何より、その後イデオロギーや宗教ではないスパイクマン達の地理を中心とした地政学的分析の予想が現実化していった。現在もその理論の延長上に、ロシアの脅威が起こり、中国の支配国家への成長、リムランド内での紛争、そして世界の多極化が進んでいる。








2022/02/06

環境の世紀、生態系の保護 アマゾン セレゲンティー カラハリ

 

 アメリカ大陸、とりわけ南米のアマゾンには広大な熱帯雨林が広がり、多様な生命が複雑に絡み合った生態系が動物や植物に見られる。多くの鳥類、昆虫類が植物を食べ、多くの哺乳類は樹上の生活をし、植物、昆虫、動物を食べ、草食動物を餌にする肉食動物の頂点には巨大なへび、アナゴンダ以外は天敵はいないジャガーがいる。へびも多くの種類がすみ、イグアナやトカゲ類もまた多くの種類が生息し、爬虫類や両生類の王国と言える。


 生物の個体群の大きさは、天候などの環境に大きく依存している。熱帯雨林では植物は繁茂し、植物など生産者とその分解者はありあまるほど豊かに存在している。熱帯サバンナでは雨量が少なく、草食動物の数は植物の量に左右される。さらに雨量の少ない砂漠のような気候では、雨水と植生によって生物の生存はさらに大きな影響を受け、生物の種類は減る。


 この個体群の数をコントロールしている、地上の生態系の調節はどのようになされているのか、さまざまな動物や植物、あるいは人類社会の影響が研究され、生態系のコントロールシステムはかなり解明されてきた。環境のおよぼす影響、草食動物と植生、肉食動物など生物のコミュニティーで全ての動植物が同じように個体数の調節に関与しているわけではないっことがわかってきた。


 熱帯雨林とは異なるサバンナでは、また生物の生態は異なった様相を見せる。熱帯気候で定期的に乾期が訪れ、丈の高い草木と不連続な低木層からなる安定した生態をつくる地域で、大型哺乳類の像やキリン、ライオンの生息地で、東アフリカのセレゲンティ国立公園がその代表である。

 ボロゴンジャ川から、エメラルドのような緑色したなだらかな丘が、一定の間隔で生えた木々とともに広がっている。地平線まで一望できるが、いたるところに木々が小さな木立をなして点在している。草原はこれ以上ないほどに緑色に染まっている。動物たちはあらゆる丘を覆い、一頭で、あるいは群れをなして平原に立ち、木立を出たり入ったりし、低地ではエサを食べている。

 この地域は1951年にセレゲンティ国立公園として保護され、大型哺乳類が生態系を構成する地球上に残された特別な場所となった。1958年にこれらの動物の数が調べられた。ヌー9万9481頭、シマウマ5万9481頭、19万4854頭トムソンガゼルとグランドガゼル1717頭のインパラ1813頭の水牛、837頭のキリン、60頭の像を確認した。

 1966年にはセレゲンティで水牛の調査が始められた。1959年から1961年にかけて水牛が多く死亡した。これは捕食者や飢餓ではなく病気、牛の感染症のアウトブレークによるものであることがわかった。このウィルスが東アフリカの動物の生態系に大きな影響を与えた。このウィルスがなくなると1973年にはヌーの数が77万頭に激増した。その後ヌーは増え続け、140万頭にも達し、それを捕食するライオンとハイエナの頭数もやはり増えていた。さらにヌーが大量の草を食べ、乾期の火災が減りその結果草食のキリンの数もまた増加した。

 熱帯サバンナの生態調節の主役は捕食者ライオンではなく、ヌーで、草食動物、肉食動物、樹木の数に影響し生態系を調節していた。実際、1980年に比較して森林密度は30年間で急速に増加し、ヌーが草を食べ、草は豊かに茂り蝶は増え、バッタやイナゴは激減した。そして競合するトムソンガゼルは半減した。


 気候によって、植物が減少すれば、草食動物の数は減り、肉食動物に多く捕食されればやはり数は減少する。 自然界では栄養カスケードに従って生物が階級をつくる。有機物を分解する菌類や蠕虫の仲間、気候などの環境、日光や雨量、土壌の栄養に依存する植物、それを食べる草食動物さらにそれを捕食する肉食動物で成り立っている。その捕食動物の中でも、食肉動物の食糧となる死骸を奪う力は、上からライオン、プチハイエナ、リカオン、褐色ハイエナ、ヒョウ、チーター、ジャッカルの順になる。

 それらに捕食される草食動物は体重150キログラムで明らかに様子が異なる。体重の軽い小型のレイヨウまたはアンテロープ(ウシ科の動物でヌーやオリックス、インパラ、トムソンガゼルなどが含まれる)は多くの捕食動物に食べられ数は調整される。小型草食獣の数が増えれば肉食獣も数が増える。

 しかし水牛やサイ、カバ、象の成獣は捕食されない。これらの大型になり捕食を免れた草食動物の個体数は、捕食者ではなく、生息地の仲間の密度に依存することがわかった。個体数が少なく、食べられる植物が多ければ、群は個体数を急速に増やす。そして必要な空間植物が草食動物の養うだけの量がなくなれば栄養不足で亡くなる成獣が増え、その群の数は減少し始め平衡状態になる。

 サバンナでは乾期、草食動物は移動することで捕食を免れる。セレゲンティには定住するヌーの群と 移動性の群がいる。定住性のヌーは死因の87%はライオンやハイエナの捕食のためで、移動性のヌーはこれが約20%に減り、死因はほとんどが飢え死にになる。比較的身体に小さいオグロヌーは草を求めて一斉に100万頭が移動する、それにシマウマが加わり、ヌーの蹴り上げる昆虫を狙いアマサギが後を追う。この大移動がヌーの生存を保証している。


 セレゲンティより乾燥しているボツワナのカラハリでは8か月も雨が一滴も降らない乾期と1か月から4月の雨季があり、高原地帯のため気温は寒い時には0度近くになる。砂漠とサバンナの中間の植生で、雨季には多くのライオンや草食動物が住み、乾期には移動する。相対湿度が最も低くなる暑い乾季になると野火が砂漠を焼き、木々の葉から最後の水分までも奪って干からびさせる。アンテローブ類は、アカシアの花や野生のメロン食べたり、砂地に深く潜った根を掘り起こし食べて生きている。しかし乾燥して植物が枯れ始めると、多くの草食動物は食物を求めて移動する。その草食動物の後を追って、捕食動物であるリカオンやハイエナ、ライオンもまた移動する。そして9月から翌年の乾期が終わり大粒の雨が大地を潤し、一斉に草が生え、水がたまるとライオンたちも戻り、集団生活を送る。


 熱帯とは逆に北極に近い島スピッツベルゲン島では生物の種類は極端に少ない。そのためあらゆる生き物の相互関係が網羅できる。1922年にオックスフォード大学の極地探検隊のエルトンによりこの食物連鎖が初めて明らかにされた。プランクトンや魚類は海鳥やアザラシに食べられ、海鳥は北極キツネにアザラシは北極クマに食べられる。こうして生態系の調整の研究が始まった。その後、農薬散布によりウンカの大発生は天敵のクモの死滅によることや、アフリカの猿の被害はライオンやヒョウの減少によること、様々な地域の様々な生物の数はいかに調節されているかが研究されてきた。


 今日、人がこの生態系に関与し、壊して予測不可能な副作用により、人の住む世界が急激に変化し劣化し、荒廃しつつある。20世紀は医療による生活向上の世紀であった。21世紀はこの生物の住む環境を守り緑の平原と豊饒の海を取り戻すことが最重要の課題になった。