2021/10/17

SF 黄金時代  安部公房と小松左京

 高度に発達した科学は魔法と区別がつかない     A C クラーク


 戦前からの科学小説(サイエンス フィクション)について「従来科学小説が生れながら、ついに文学上の伝統をこしらえ得なかったのは、全く悲劇と言えましょう。日本が明治時代の革命的進歩精神を徐々に固定化し、ついに世界の国際的文化から落伍した。そして科学小説が単なる少年読物に堕してしまった。」 

 その反省から、SF専門誌「星雲」が1954年(昭和29年)発行された。その中で米ソ科学小説傑作集にハインラインの「地球の山々は緑」やS アレフレイヨーフの「試射場の秘密」などが翻訳され、やがて宇宙旅行が行われ、人造人間は人類に奉仕する日がやってくる世界を小説で創造する、その近未来を描いた専門誌から戦後日本のSF小説はスタートした。 その後多くの海外SF小説が翻訳され、1957年(昭和32年)になると早川書房から、ジャック フィニィーの「盗まれた街」やカート シオドマクの「ドノヴァンの脳髄」が日本で出版された。



 1957年(昭和34年)世界で最初の人工衛星スプートニク1号がソ連で打ち上げられ、1961年(昭和36年)にはガガーリン少佐の乗った有人宇宙飛行が成功した。



 ちょうどその頃1959年(昭和34年)12月に日本で初の本格的SF雑誌、「SFマガジン」創刊号が出版された。ブラッドベリの「7年に一度の夏」やA Cクラーク「太陽系最後の日」の海外の翻訳小説とともに糸川英夫の「宇宙ロケット」が掲載された。多くの若い人々に今まで知らなかった新しい輝きに満ちた世界を描いた雑誌は熱気を持って支持され、古いタイプの怪奇小説や科学小説に飽き足りない小説家たちの興味を刺激した。

当時は翻訳ミステリーの全盛期でもあり、エラリークイーンズ ミステリーマガジンやヒチコックマガジンも出版されていた。


 糸川英夫は日本のロケットの父と呼ばれ、予算のない日本で、ペンシルロケットと呼ばれた超小型ロケットから、次第にカッパ型のロケットまで日本もロケット開発に参加し、性能は次第に進化していき世界の先進技術に追いついていった。



 1960年(昭和35年)11月号の「SFマガジン」に第一回SFコンテストの募集が掲載され、愛読者であった小松左京も応募した。「地には平和を」で本土決戦を戦ったかもしれない世界と戦後の平和な家族のピクニックの世界を対比させた物語が選外の努力賞であったが受賞し、選考委員であった安部公房氏が高く評価した。入選作はなく、「下級アイデアマン」で眉村卓が「時間砲」で豊田有恒が佳作となった。


 このSFコンテストの選者安部公房は、1951年(昭和26年)「壁 S カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞していた。主人公の男が、壁を吸収し、先に彼が吸収しておいた無人の荒野で新たな壁を成長させ、最後には彼の全身が一枚の壁そのものに変形する物語で、小説『壁」の第二部「バベルの塔の狸」では奇妙な動物が現れ僕の影をくわえて逃げ去る、そして透明人間になってこの奇妙な動物、とらぬ狸に連れられバベルの塔に向かう物語、そして第3部赤い繭に続く3部作を発表した。作品の中の人間は植物や無機物などの物自体に変形し、そのことで自由を得て、また変形するまったく自由なイメージの世界を小説にした。


 1959年(昭和34年)には長編SF作品「第4間氷期」を単行本として出版した。自ら判断するAI機械に死んだ平凡な男の記憶を再生させることから物語は始まる。やがて、胎児ブローカーの存在が明らかになり、氷河期が終わり世界の海面が急上昇し始める。やがて日本も沈没し、日本列島は山だらけの小島がポツンポツンと残るだけの世界になる。それに備えて、秘密裏に海底植民地開発を計画し、胎児を集め人工的に進化の過程を変更して、水中生活できる水棲人間を生産する世界を描く。AIによる未来予想、35億年の進化の過程を人間の手で恣意的に変えていいのかといった生命倫理の問題、地球環境の大変化を小説化した。


 そして安部公房は60年代SF文学について「現実というものは、本能的に追求すれば、怪談的となり、知的に探求すればSF的になるものであって、日常をそのままなぞったような自然主義、特に私小説的方法では現実の本質は捉えられない」と語り、SF小説は「古典文学の大胆で多様な空想を引き継いでおり、仮説を持ち込むことでむしろ日常から安定の仮面を剥ぎ取り現実に新たな光を当てるもの」と語った。

 1962年「砂の女」を発表、砂は不毛で絶えず流動し、一切を拒絶する、自分自身が砂になり、同化することによって男は脱出する必要もなく、まったく自由になることを発見する。この小説は映画化され、翻訳され世界で高い評価を受けた。その後も「他人の顔」「箱男」など次々と世に出した。



 1960年代はSF黄金時代で多くの小説家が、このSF的な小説を試みている。1962年に三島由紀夫も平凡な家庭の家族がある日突然それぞれ宇宙人であることを悟り、人類と地球を」救う物語「美しい星」を書いている。またテレビアニメの世界では、SF的ロボット「エイトマン」「鉄腕アトム」「鉄人28号」が放映されていた。



 1970年の大阪万博が開かれ、未来学ブームが起こった。アメリカ館ではアポロ計画の成果「月の石」が展示され、インド館では原子炉の模型が展示され、万博会場に関西電力の美浜原発から送電し原子力発電の未来がアピールされた。多くのSF作家も各企業の企画に参加し、ロボット館や、海底都市の構想を担った。この大阪万博に参加した小松左京の提案した「開け行く無限の未来に目をはせつつ  」の理念から「人類の進歩と調和」がテーマとなった。



 当時日本のSFを主導していたのが小松左京で、1964年(昭和39年)鉄を食べるアパッチ族が現れ、やがて日本を破滅させる物語「日本アパッチ族」を光文社のカッパ ノベルスから出版した。同じ年、南極だけに人類は生き残り、地球上の人物が滅亡する「復活の日」を刊行した。当時米ソ対立の時代を背景に、南極の越冬が話題になり、ワクチンの効かないインフルエンザの流行を素材にしたSF作品だった。1965年に「果てしなき流れの果てに」の連載を開始。大阪万博の少し前に未来学はブームになりつつあり、人間はなぜ未来を考えるかという未来感の起源を人間の歴史から仏教の「輪廻史観」ゾロアスター教、からユダヤ教キリスト教、イスラム教に見られる「終末史観」そしてダーウインの「進化史観」をさかのぼり未来観の未来を「未来の思想」で文明史としてまとめた。


 1973年には小松左京の「日本沈没」が映画化され、話題を呼び、お正月映画として空前の観客を動員しベストセラー作家の地位を確立した。 1978年アメリカ映画、未知との遭遇、そして1977年にはスターウオーズの第1作が始まった。スターウオーズシリーズは宇宙を舞台にした、時空を超えた世界の、大掛かりな活劇で世界中の人々を虜にした。SFはその後、家族で楽しめるSFファンタジーが主流となっていく。


 1960年代後半から1970年代にかけて文学は力を持ち、人生や社会の指標であった。しかし、1970年代政治の季節は終わり、文学の世界でも全体小説と呼ばれるような大きな物語は終りを迎えた。そして日本の若者の価値観も、変わりつつあった。日本のテレビの番組では努力、根性ものは漫画でも流行遅れとなり、若者世代ではまじめは美徳ではなくなり、小説や漫画の世界はオタク化の時代がはじまった。


 若者の世界は外へ向うより、排他的になり、内に向かう。皆がヒーローと認める共通の主人公の物語より、特殊な分野、ホラーやSF作品、怪奇小説、あらゆる分野のマイナーで特殊な世界に興味を持ち、それにのめり込み、全生活をかける若者「おたく族」が生まれた。SF小説は90年代にはかつての栄光は失い、氷河期を迎え、一部の愛好家の世界のみで生き残るマイナーなジャンルのマニア小説となっていった。

 

 現在科学は高度に発達し、気候変動、人工知能、人体改造などかつてのSF(サイエンス フィクション)物語は創作ではなく現実(ノンフィクション)となってきた。