2020/08/14

巨大建築の魅惑 ザハ ハディド


   鳥の羽毛の美しさはその生物の持っている生まれつきののもので、、孔雀は多彩色の羽根でそれを美しいと見る雌を誘惑し、種を永続させようとしている。鳥や昆虫にとって色彩は生存に必要なデザインであり、形や大きさも適応により決まってくる。30メートル越す巨大な恐竜にはそれに対応する植物や環境があり、様々な色彩をまとい、その大きさにあった構造の体を持っている。美しく、強ければ敵や競争相手の雄に勝ち子孫を多く残す。しかし、大き過ぎても華やか過ぎても、環境に適応できないと生物は滅ぶ。


 人はその美意識から美しい言葉をつづり、美しい音楽をつくり、美しい色彩の絵を描いた。人は言葉以前に未分化な神秘の感動を持っていた。人は古代から呪術を信じ、神を崇拝し、ユートピアを求めた。その精神を現実世界で形にした巨大な宗教的建造物をつくった。  建築は最初は環境から身を守るもの、そして神に祈り、祖先を葬う宗教的記念の意味合いの記念物として始まり、その後、キリスト教では教会や大聖堂が建てられ、イスラム教のモスク、仏教では大伽藍や仏像が建てられた。


 富が蓄積し権力が集中すると、貴族や権力者は、それを誇示するために多くの財を投じて無駄使い的消費を行うことで、自己の優越性を示した。そして足利義満は金閣寺建て、ルードヴィッヒ二世はバイエルン城を、ルイ14世はベルサイユ宮殿を建て、そこで生活した。建築の美は富に支えられ、権力の象徴となった。


 近代になり社会は、物を生産し保存することと、人間の命の再生産、維持の二つの主要な活動領域を持つ合理的で功利的社会を作り上げた。消費行動も、これに見あったもので、禁欲的で過剰であってはならない社会規範のもとにあった。


 20世紀になると、鉄やガラスコンクリートを素材とした建築が可能となった。この近代(モダーン)主義の建築は、今までの公共建築の古典的様式を否定したフランス人ル コルビジェの装飾を排した「家は住むための機械である」で始まる。バウハウス運動の中心のグロピウスは「あらゆる造形芸術が目指すべき目標は建築にある」としてワイマール時代の芸術運動の中心になり、やがてドイツを追われたミース ファンデルローエはアメリカに亡命し、単純で合理的で機能的なビルを建てた。この高層ビルはアメリカの都市から世界に広まっていった。その後継者ミノル ヤマサキの設計で、ニュヨークのワールドレイドセンタービルが1972年に建てられた。


 同じ年の7月、ミノル ヤマサキ設計のブルーイットアイーゴ住宅団地がダイナマイトで破壊された。セントルイスのこの住宅の治安悪化による破壊は、古い様式ではなく単純で機能的なモダニズム(近代)建築の終わりを象徴する出来事だった。

 その後はポストモダニズムと呼ばれる建築、芸術としての建築と商業建築の境はなくなり、ラスベガスの建築もまた立派な建築になり、そして装飾性も復活した。さらに、新しい技術(テクノロジー)によって純粋に新しい形態を実現する脱構築主義と呼ばれる建築が世界中にあらわれる。


 第二次世界大戦ののちソ連の社会主義陣営にアメリカの消費社会が主導する西側陣営が勝利をおさめたつつあった。 1960年代、アメリカでは生産や工業化を重視する時代からしだいに、脱工業化の消費社会に変わりつつあった。ソ連の社会主義計画経済による工業化に対して、アメリカの豊かさは消費生活の豊かさで、コカコーラを飲み、スーパーマーケットには商品があふれ、人々は消費する生活を楽しんだ。

 

 この消費社会が日本で始まるころ、1964年に東京オリンピックが開催され、1970年(昭和45年)に大阪万博が開かれた。このころの日本の新しい建物、住宅団地はモダニズム(近代)的日本建築で、都会のオフィスビルも終戦から復興に向かう60年代は、このモダン主義の流れを受け継いでいた。

 その代表が1964年の東京オリンピックの会場となった国立代々木競技場で、丹下健三氏設計の日本的モダニズムの先端建築であった。6年後の大阪万国博覧会では岡本太郎の芸術は爆発し、丹下健三設計の「お祭り広場」の近代的な大屋根を、縄文的モダーンでベラボーな70メートルの巨大な太陽の塔がその屋根をぶち抜いた。今は大屋根は消え、太陽の塔が残っている。日本の建築は、今でもモダニズムの建造物が、主に建てられている。いわゆる脱構築主義と言われる建物は少なく、フランク ゲーリーのかわいい鯉の像はあってもスペイン ビルバオのグッゲンハイム美術館のようなの巨大建物は見ることができない。



  この1970年代に始まった豊かさを求める大衆消費社会では、豪華な美術館や博物館そして新しい都市の建設、ブランドの商品あるいは絵画などに芸術的価値が求められ、過剰な消費を世界にもたらす。アメリカ、日本そしてヨーロッパやアジアの5ドラゴンと呼ばれる西側民主主義国では、人びとは旅行をし、車に乗り、化粧品、ブランド ファッションが飛ぶように売れ、新しい建築も流行の建築家のデザインで世界中に広まっていった。

 欲望には際限がなく、消費は、どこまでも拡大していった。その後、オイルマネーと呼ばれるお金を手に入れた産油国のお金もちは、砂漠の中に巨大な都市や、巨大な建築を流行の建築家に設計を依頼し建造した。ベルリンの壁がなくなり、中国がこの消費社会に参入し、豊かになった。中国やその他の国では、経済力と政治的権威が合わさって、その象徴として、斬新な建築が、膨大な資金を使って次々と建てられた。

 その中で最も突出した才能が時代に共鳴した建築家がザハ ハディドで、斬新で壮大な彼女の作品は、大衆消費社会の波に乗って、技術の進歩とあいまって、21世紀の代表建築になった。


 ザハ ハディドは1950年に、イラクのバグダットに生まれる。 1972年イギリスの建築専門大学に学び、1980年代からヨーロッパを中心に建築や都市設計を行い、初めはヨーロッパ、イギリスのトラファルガー広場の再開発、ベルリンの都市設計やヴィトラシ社消防署、そしてアメリカやアジアに活躍の場を広げ、1980年代香港の都市設計「ザ ピーク」で壮大な都市構想を設計した。

 20世紀末から21世紀にかけて、台中の美術館、カタールのドーハにイスラム美術館など、世界中の美術館から設計依頼が殺到し、潤沢なオイルマネーに支えられ、中東のサウジアラビアの地下鉄駅 EUAアブダビのシェイク ザイード橋、ドバイのオペラハウスなどが建てられた。その後、アゼルバイジャンのバクーにはヘイダル アリエフ文化センターがその魅惑的なデザインと機能の組み合わせで絶賛された。中国では上海や北京のビルだけでなく2019年9月に一億人の利用する、ハディド設計の新たな北京大興国際空港ができ、最新の情報機械を完備した空港として開港した。 

 一方、日本でもこのザハ ハディトの設計で2020年東京オリンピックの新国立競技場のデザインが、最初のコンペで選ばれ、実現の予定であった。しかし、財政的理由か、周りの環境を突破するデザインのためか、最終的には日本に作られることはなかった。実現したのは木の庇のより日本的建物だった。