1962年夏のカリフォルニアを舞台にした、反抗と変革の時代の始まる前の古き良き時代の若者の世界をロックンロールの音楽に乗せた映画、「アメリカングラフィティ」が1973年に上演された。その映画で4人が高校を卒業した翌年、1963年、J F ケネディー大統領は暗殺される。その後を継いだリンドン ジョンソン大統領は偉大な社会を目指し、1964年にはトンキン湾事件を受けて北ベトナム爆撃を開始し、ベトナム戦争を拡大していった。アメリカングラフィティ4人の若者の1人チャーリーマーチンスミスが演じたテリーは「1965年12月、ヴェトナム戦争におけるアン ロク付近の戦闘で行方不明と報告された」。
60年代後半のアメリカ映画の一大潮流となったニューシネマは、「卒業」でダスティホフマンを「俺たちにあすはない」でフェイダナウエーをスターにした。そして「イージーライダー」という時代そのものを象徴する作品を生み出した。デニスホッパーとピーターフォンダ、ジャックニコルソンの3人はワイルドで行こうと、カリフォルニアからバイクに乗って、南に向かう。「イージーライダー」はビリーザキットであり、ワイアット アープだった。「ならず者が裕福になるというアメリカン・ドリーム。だが実際は自分の国を破壊している。それがストーリーだ」と監督のデニス ホッパーは語っている。
そしてカンターカルチャーは世界を席捲し、ピーターフォンダとジェーン フォンダは反体制、反権威のトップスターになった。このニューシネマの流れは1977年の「ジュリア」まで続くことになる。この作品でジェーンフォンダは筋金入りの反ナチスの友達ジュリアを助けるヘルマン役を演じている。
1970年代のアメリカはベトナム戦争の泥沼化により社会は分断し、街は荒廃し、経済もインフレと若者の失業者の増加で、人々の間に夢と希望は消え去り、内向する私的な時代 「何もないアメリカ」の時代となってゆく。ベトナム戦争はアメリカ人の徳の衰退と偉大な国家の意識を衰退させた。そして暴力事件と人種暴動が各地で広がる。
フランシスコッポラ監督はゴッドファーザーで1940年代のアメリカやバチスタ政権下のキューバを舞台に、イタリア移民の暴力と争いの物語を製作する。ゴットファーザーパートI が1972年にパートII は1974年に上演された。
ドン コルレオーネ一家の結婚式のシーンでその物語は始まる。勤勉な移民でアメリカの夢を追求して成功したゴッドファーザーはアメリカの法制度を信じていた事の間違いに気づき「アメリカがパラダイスだとでも思っていたのか、本当の友達にだったら身構える必要なんてないはずなんだ」と語る。 建国以来の故郷を捨てアメリカへの同化した世代から、やがて民族としてのルーツを大切にするファミリー、シチリアの同族による世界を描きだす。この時代、マイノリティー文化が復活し、民族のルーツの探求がさかんになった。黒人世界にとどまらずイタリアやスラブやポーランドなど新移民の民族の主張も起こってくる。
70年代アメリカ経済は低迷し若者の夢は現実とはならない。この時代の若者の現実と夢を描いた映画が登場する。1976年シルヴェスタ スタローンが脚本を書き、主演した「ロッキー」が大ヒットする。何も誇ることのない30歳になった三流のイタリア出身のボクサーが、世界チャンピオンのアポロと闘い、打ちのめされても最後まで戦う姿を描いて時代をつかむ。
1977年には、イタリアの労働者階級出身ジョントラボルタがマンハッタンで働くステファニーと出会いダンスコンテストでの優勝を目指すディスコ映画、サタディーナイトフィーバーで主演し、ビージーズの曲に乗って踊って流行の先端となった。
フランシスコッポラ監督のベトナム戦争を描いた「地獄の黙示録」は1979年に上演された。諜報部員ウィラード大尉のマーチーン シンがマーロンブランド演じるカーツ大佐を探査、そしてジャングルの奥地に支配者の独立王国をみつける。政治的背景や正義は語らず、サーフィンやラスベガスの様なバニー、ワーグナーの音楽ワルキューレの騎行に乗って攻撃型戦闘ヘリコプターコブラが戦場に向かうシーンで根源的な人間の持つ暴力性と人間の狂気を描いた。
この映画のロケ地はフィリピンで、コンゴ川の奥地え原住民を支配する物語「闇の奥」をベトナム戦争に置き換えて撮影されられた。
1978年「ディアハンター」が上演される。アメリカ中西部の鹿狩りハンターがベトナムに行き解放戦線の捕虜になる。捕虜中のロシアンルーレットの恐怖、その後のアメリカでの生活、「タクシードライバー」に似たベトナム帰還兵をドラマ化した。その後の「プラトーン」や「ハローベトナム」、「7月4日に生まれて」など世界一の技術と、財力を持つ国の軍隊が、北ベトナムに敗戦しアメリカの価値観を揺るがしたこの戦争はなんであったか、第二次世界大戦の正義の戦争、大義ある戦争とは異質の戦争の現実をどの様にとらえ、人々をどう描くかで製作者は苦闘した。
1970年代ベトナム戦争は泥沼化し、1973年1月ニクソン大統領は12年間続いたベトナム戦争の停戦合意を発表する。1975年サイゴン陥落により北ベトナムによってベトナムは統一される。そして、ニクソン大統領はウオーターゲイト事件で退陣し、フォード大統領からやがてカーター政権に時代は移ってゆく。カーター大統領は1981年に退場し、ドナルド レーガン大統領になり強いアメリカ小さな政府を掲げ新自由主義の政策を進める。
70年代のアメリカはベトナム戦争を契機に生まれた反体制反政府、すべてのアンチであるニューシネマからロッキーのような困難にあっても負けない、人生肯定的な作品を生み出し、それが80年代の時代精神に乗ってジョージ ルーカスとスピルバーグの時代になる。ジョージルーカスの監督2作目になる「アメリカングラフィティー」は1973年に、1975年にはスピルバーグ監督27才の作品「ジョーズ」がヒットした。
1977年スターウオーズの歴史の始まり、最初の作、「新たなる希望」が上演された。ルーカス監督は「若者たちに、僕たちの世代が持っていたような、正直で健全なファンタジー ライフを与えたかった。」と語り、現代の神話、新しいファンタジー映画「スター・ウォーズ」で夢と正義の世界をつくった。この正直で単純な心温まる物語はアメリカ国民に支持され世界中に広まっていった。
1980年の選挙でレーガン大統領はアメリカ民主主義の道徳観と保守的政策で国民の支持を集めた。レーガン サッチャーの新しい資本主義路線はその後世界で共感を呼び新自由主義と呼ばれることになる。 レーガン政権のとき1983年にソヴィエトを悪の帝国と呼び、戦略防衛構想では衛星の軌道上に迎撃ミサイルを配置するシステムの軍事戦略を発表した。エドワードケネディーはこれをスターウォーズ計画と呼んでいた。