2018/02/18

松本清張 推理小説「小官僚の抹殺」


 時代の寵児、ヌーボー グループの前衛作曲家和賀英良は幼い頃、生まれ故郷を追われ、山陰海岸を父と2人で放浪し、島根県の小さな街カメダ(亀嵩)の親切な警察官三木健一に助けられる。彼の秘密であるハンセン病の父親との暗い過去を消し去るためにこの恩人を殺害する。事件の解明が幾度も壁にぶつかるのは狭い出雲の地域に残っている方言が東北の訛りに似ているためで、それが事件を混乱させ、物語の鍵となる。

  松本清張の「砂の器」は、日本の共同体から排除されたような生活を送った父親の生涯を思い浮かべながら親子の絆、人生の暗い過去と輝ける現在を連鎖させる事件を推理小説化した。
 回想的自叙伝「半生の記」の最初は「父は伯耆の山村に生まれた。中国山脈の脊梁に近い山奥である。7ヶ月の幼い時貧乏な百姓夫婦のところに里子に出され、そのまま実家に帰ることができなかった。」ではじまる。  


 そしてゼロの焦点では濃い海の色の日本海に面した金沢の海岸を、点と線では九州の日本の原風景を残した海岸を舞台にして、一見無関係な個々の事件の現場の点がしだいに予想外の線で結びつき、過去の世界を明らかにして事件の全容にせまる新しい推理小説を生み出した。 

 これらの物語は電話交換手の聴覚、 顔と記憶と、心の不安やおののき,犯罪者の動機となるこころの闇、深く隠しておきたい暗い過去を時代背景とともに描き出した。
 ハードボイルドタッチのアメリカ探偵小説やアガサクリスティーとは異なる日本の新たな推理小説で、殺人を犯すには動機がある、その動機はそれに翻弄される人の生きる時代にあるとして展開されるストーリーは社会派推理小説と呼ばれた。

 松本清張は1953年(昭和28年)森鴎外の日記にまつわる小説「或る小倉日記伝」で認められ、その後多くの歴史ものや現代短篇小説を描いた。
 1955年(昭和30年)には推理小説の「張り込み」を小説新潮に発表した。街には美空ひばりのリンゴ追分のメロディーが流れ、戦後は終わり、石原慎太郎の「太陽の季節」が発表された年でもあった。翌年には週刊新潮が発刊され大衆文化の時代が始まった。昭和32年短編の「顔」を描いて日本探偵作家クラブ賞を受賞し、その翌年には「点と線」と「目の壁」がベストセラーとなる。

 「点と線」や「ある小官僚の抹殺」では事件の全貌が明らかになる直前の不可思議な官僚の自殺、その裏の政と官の癒着、汚職、権力者の悪だくみを描いた。
 昭和30年代は高度経済成長時代の初期で、政治家と官僚が権力を握り、一方あらたな日本の中間層となるサラリーマンがうまれた。彼らが清張の読者になり、清張の小説は週刊誌に連載小説のかたちで連載され、やがて単行本にもなり、日本の推理小説家の第一人者となっていく。

 日本は戦後しばらくして政官財の世界が復活し始め、音楽や小説家の集団である文壇などの世界はギルド的になり権威を復活しつつあった。松本清張はそれら文壇に加わることはなく、独自の日本的情念を推理小説にした。その表現はわかりやすく、ストーリーは意外性に富み一級のエンターテイメント小説だった。推理小説以外にも鬼畜や無宿人別帳などその時代と社会に翻弄される日本社会の底辺に生きる人びとを描き、人間タイプライターとよばれるほど量産した。
 「ある小官僚の抹殺」は推理小説の手法で権力悪を小説化したもので、事実を知る実務者官僚の死によって事件は雲散霧消し上層部の人間は責任からのがれる。この作品が後の「日本の黒い霧」につながる。

 1958年(昭和33年)在日米軍の撤退が完了する。この時まで日本は駐留軍によるオキュパイド ジャパンであった。リーゼントスタイルやアロファシャツが流行し,ジャズが流行しアメリカの民主主義が日本におしよせた。このアメリカの占領、進駐軍の時代に、GHQが関与したといわれる帝銀事件、下山事件、三鷹事件など未解決の事件が次々おこり、真相は不明のままであった。
 これらの12の謎の事件をあつかっている「日本の黒い霧」が1959年(昭和35年)発表された。占領下日本の秘密の事件を、事実を丹念にあつめ、推理小説風のドキュメンタリーとして描き、占領軍アメリカと日本政府の真相隠蔽を暴露したものだった。

 1960年代小説界の最も大きな変化といえば推理小説の流行と言われ、松本清張はプロレタリア文学が昭和初年以来企てて果たせなかった資本主義社会の暗黒の描出に成功して、水上勉は小説的なムード小説と推理小説の結びつきに成功してしまったと当時評された。

 しかしそれら松本清張の客観的な事実をえがくドキュメンタリー小説、推理小説的ノンフィクションに対して批判も多かった。
 大岡昇平は「フィクションとしての真実を描く小説の形式をかりて、ノンフィクションとの混同を持ち込もうとしている。そして、松本の推理小説と実話ものの真相は、松本自身の感情によって歪められている。日本人の「古い質」のいっ出は、日本の大衆社会が西欧の大衆文化論では割り切れない二重構造を持っていることを示した。」
 また「怨念とか執念とか人間の感情を生のまま提示する」小説手法や歴史事件小説に対して「彼らのひがみ精神とその生み出した虚像である」と批判した。事実、朝鮮戦争の陰謀説の推理があたらなかったなど批判はあたっていた。

 しかし当時も、また今でも松本清張の人気があるのは、逆に否定的に語られた西欧化されない「古い質」の情念を人びとは支持しているからで、あたかも当時、低俗で前近代的歌謡曲であると美空ひばりの歌が文化人から批判されたのと似た構図がある。

 松本清張の作品は何度も映画化され,テレビドラマとなり,リメイクされた。1974年(昭和49年)公開された「砂の器」は山田洋次の脚本で、野村芳太郎監督が映画化した。交響曲「宿命」をテーマ曲として、和賀の幼い時代、消し去りたい過去、冬の吹雪の海岸、桜の咲く野山を放浪する父と子をセリフのない映像美で表現した。和賀英良役を加藤剛、今西警部補を丹波哲郎、吉村刑事を森田健作が演じ、昭和の名作として残っている。

 平成の終わり、昨年、2017年(平成29年)日本映画で観客を最も多く集めたのはアニメ映画「名探偵コナンから紅の恋歌」でした。やはり、 昭和は遠くなりにけりか。