2023/03/24

診断するロボット医師 chatGPT


  AIの進歩は急速で、chatGPTでを使うと、患者の症状から、今でも研修医以上の診断ができる。このchatGPTは、昨年11月から使われ、検索の機能を備えて、言葉を理解してそれに対して、文章で答えを返してくれる。たとえば、コロナにかかって、1ヶ月経って、全身の関節が痛いが、食欲はあって、食べることは困らないし、熱や喉の痛みといった風邪の症状はない。何が疑われますかと打ち込むと、直ちに、普通の医師並みの返事が返ってくる。


 このchatGPTは大規模言語モデルといって、膨大なデータをコンピューターが学習して、人間の使う言葉を、単語を、使う確率の多いものを着目し特定することによって、文章として組み立てる。覚えて、正しく組み合わせることによって、言葉、文章を作り出す仕組みで、当然、時には事実ではない妄想(Hallucination)を作ることもある。しかし今までの対話型ロボットとの違いは、質問に対して、言葉の成り立ちと同様に、比喩を積み重ねることによって、事実を理解しやすくする機能が優れているために、単純な質問には凡庸な答えしかしないのに、多くの比喩や形容によって限定を加えることによって、返事はより正確により深くなるところにある。


 今までAIの進歩で、画像解析は急速に進化し、肺などのレントゲン、CT、MRIなどの診断補助には使えるまでなった。そして聴く能力は、アマゾンのアレクサなどで、実用化し年々進歩している。筋肉などの運動は人型ロボットが走ったり、宙がえりしたり、二本足で走り回ることまで可能となった。今度の会話型のAIは話し言葉や、書いた文章を投げかけると、その返答がかなりの正確性を持って返ってくる。人間の言葉を理解するAIで、これを話しができる人型ロボットが備えれば、ロボットが診断するロボット医師誕生となる。


 脳の進化が次第に解明されてきた。脳には新皮質と旧皮質に分かれ、何十億年の進化で古い脳はより原始的な行動を生み出し子孫を作り生存してきた。新皮質のない動物、爬虫類も子供を育て周囲の状況を見てエサを確保できる。 はちゅう類でも哺乳類でも人間の知能のうち、走ったり、飛んだり、木に登ったり、泳いだりする技能運動する能力、あるいはものを見てそれを捉えたに逃げたりする能力、姿を見て敵と味方を鑑別し、ものを判別する認識する能力がある。新皮質は筋肉を直接コントロールしてはいないし、意識すればかえって暴投したり、脚がもつれたりする。人間でも古い脳は感情を生み出し、生存のための行動を行う。


 一方人類は、200万年前から脳の外側にある新皮質が急速に大きくなり、3倍にもなった。そのことによって、言葉は誕生した。 アフリカの大地を離れ、ユーラシア大陸に人類が脚を踏み入れ、暗く、寒い環境に適応し、ジェスチャーだけではなく、呼びかけのの言葉が、意味を持つ言葉へと進化していった人類は生存でき、生き残った。 大きくなった新しい脳の性能を使って、あるものを見てその画像をつなぎ合わせ、例えば星を見て、それをつなげて星座とし、それを比喩によって物語化し、言葉とし、文字として記録するようになった。そして、データを集めそのモデルにあてはめる。言語とはモデルとデーターをつなぐ比喩とも言える。そうして人々は世界を宇宙を理解する。結局理解したとは自分にとって、わかりやすい比喩にたどり着くことでもある。人間が言葉を使えることになって、集団で生活し、そして音楽、数学、科学技術を生み出し文化を作り始めた。




 chatGPTの機能も、この言葉の機能をコンピューター化して使い、再現できるようになったもので、2017年に出されたAttention is all you need の論文によって、人の言語に近ずいた。以前の画像の解析は多くの画像を記憶させ、顔のパターンを鑑別する。一方 言葉は、比喩を使った、その場のものから次第に、抽象的な世界を比喩を使って、作り上げた。言葉とは休みなく変化しつ続ける比喩の海で、言葉の語彙は限られているため、次々と無限の比喩を使って、新しい環境、状況に対応する。それに近い言葉のつながりを機械で選択し、新たな文を創造することにもなる。


 言葉が生まれる前、個人の世界モデルは本人の直接行った場所や出会った事柄に限られていた。言葉から行ったことのない土地を想像し、抽象的な概念を生み出し、世界を理解し始めた。科学的真理もまた、ニュートンの万有引力の法則でも、原子核の構造もまたモデルを組み立てそれとデータを比喩的に適合させることによって理解するようになって、天動説から地動説になり、ニュートン力学も打ち立てられた。



 カプグラ症候群といって目の前の母親にあっても、本物ではないと感じる、病気がある。これは感情を伴った体験、情動を伴った記憶と目の前の母親の姿とが、一致して感じ取れない脳の障害による症状で、脳外傷の後などで認められる。 この感情と現実の姿の不一致が起こらないように人間は進化してきた。この古い脳は生命の基本的な行動、感情や、生き延びて子孫を残す、あるいは、生き延びるための活動をする。そして新しい脳、新皮質の複雑なモデルを使った行動はこの古い脳の感情と分かちがたく結びついている。 人間の歴史は、理性ではなく感情、情念によって作られた記録にあふれている。それは人間の行動の原動力は古い脳に支配され、新しい脳で築いた文化を破壊することもあることを示している。


 この人間のような感情を持つ機械の設計は非常に難しい。古い脳は扁桃体や視床下部などの多くの器官から成り立ち、生存を保証している。古い脳の多様な機能を機械で再現することは現在ほとんどできていない。コンピューターの機械的知能は生物学的機能のうち新皮質の知的機能を代替できるようにようやくなってきた。


 人間は知的好奇心がある。人間は知りたがる、宇宙はどう始まってどう終わるのか、地球外生物入るのか、神は存在するのか。これは新皮質の役割で機械もさらに進歩し自ら学習し知識を獲得するようになれば意識を獲得したことになる。

 人の心は記憶された物事を、過去に辿って追憶とし、脳の中のモデルを使って未来を予想する。心の中にわき起こる過去の感情を伴った記憶、追憶。喜びや悲しみ、歓喜や恐怖、幸福や絶望の感情は将来機械で再現できるのか。崇高なものを崇拝する宗教心や、行動の目的を決める集団への忠誠とか愛国心やそれらの組み合わさった信念の体系が機械にもに生まれるのかは今のところわかっていない。

 

 今、起こっていることは、AIをつかった自然な言葉を使えるコンピューターが医療の診断にも大きな影響をおよぼしつつあり、ロボット医師の出現はもうすぐそこまで来ていることです。

  



2023/03/07

政治の季節 石原慎太郎と大江健三郎

 岬の彼方には何もありはしなかった。ただ無限の、狂おしいほどの量感の水の連なりだけがあった。


それこそ、僕らの願い至ったもの、僕らの目的の水の大平原だった。

僕らは遂に来た。今、たった今、僕らはそれに向かってまっしぐらに進んでいる。

体の奥深く、慄え戦くものがあった。それは安らぎ、幸せ、満足、それらを超えた、僕らがようやくぼくら自身の運命に向い合え、それを捉えようとしているような戦きだった。


      星と舵                       石原慎太郎



 第二次世界大戦に敗北し日本の価値観は根底から覆された。人々は平和へ素早く適応した。雑誌も「戦時女性」は「婦人画報」「兵器技術」は「平和産業」「戦時医学」は「総合医学」に衣替えした。 新日本文学の1946年号で、戦争責任を負う文学者として25人の名が挙げられた。横光利一、菊池寛、高村光太郎、西條八十、斎藤茂吉、亀井勝一郎、小林秀雄、火野葦平、保田与重郎、武者小路実篤、吉川英治、などで、かつての花形国粋主義文学は没落し、夏目漱石や永井荷風が読まれ、河上肇も復活し、1947年には宮本百合子の「播州平野」もベストセラーに名を連ねている。


 戦前に活躍した作家、谷崎潤一郎や川端康成も復活しその耽美主義が支持された。、その中から坂口安吾、田村泰次郎、太宰治の若手の作家が頽廃や個人主義を世間の常識を紊乱する方法で主張した。

  坂口安吾は堕落論で、敗戦の表情はただの堕落に過ぎない。ここにこそ真実のはじまり、真の人間性への回帰のはじまりがある。

 田村泰次郎は、肉体の門で抽象的思想を否定して、肉体の持つ信頼性を称える小説を出して、当時の流行となり映画化された。

 太宰治は、戦後時代の気分、失望感や没落の中の美や、ほのかな希望を作品に託した。戦後民主主義にも否定的で、実際に物語と同じように多摩川で入水自殺。

 その頽廃的な、暴力的な、人間の浅ましさを強調する作品に対して、「敗戦以来、日本では独創性のあるものや、価値のあるものは何も書かれなかった。」評された。


 芥川賞は興行価値の高い、新進の作家に贈られる。そして新進の作家は時の勢いに乗ると才能は膨れ上がり、そうでなければ才能はしぼんでしまう。 石原慎太郎の太陽の季節は、暗い、日陰での陰鬱な作家には無い、日本の停滞した状況を打ち破る新しい文学として日本の文学界、社会に登場した。1956年(昭和31年)に「太陽の季節」は芥川賞を受賞し、映画化される。

 当時、戦争で、日本の支配者層は一掃され、占領下に民主主義は導入された、しかし日本社会の一般的人々には戦前からの儒教的徳目は残っていた。キャッチコピーは「背徳か、新しいモラルか芥川賞が世に投じた一大波紋」。こうしてスター石原慎太郎は登場した。映画の脚本の「狂った果実」「俺は待ってるぜ」などを書いて、映画にも主演している。


 我々の世代が時代に持つ意味は、我々が共通して抱く、既成価値に対する不信とある面では生理的な嫌悪。それこそ我々の世代の新しさであり若さであるはずではないか。1958年「価値紊乱者の光栄」で語っている。この年江藤淳の呼びかけで「若い日本の会」に参加する。同世代の開高健、羽仁進、などによって作られ、それに大江健三郎や永六輔そして石原慎太郎も加わる。同じ世代の若者たちの集まりでやがて、日本の政治や文化の担い手になる。


 1959年4月の皇太子の結婚の儀で投石した男にあった「あれをした男」を文春に掲載し、1960年安保の最中、政治に直接関わることはなく小説の世界で活躍した。「狼いきろ豚は死ね」の戯曲を書き、その後長編小説「亀裂」を書き、「行為と死」はベストセラーとなる。1965年起きた拳銃事件を題材にした「嫌悪の狙撃者」でその犯人のこころの中に抱く嫌悪の情を小説化した。 石原慎太郎は多くの小説を書きつつも情熱の注ぐ方向は決めかねていた。文学に賭けるか、ヨットやスポーツなどの冒険にかける活動家になるか、あるいは政治に関わるか。


 1967年美濃部都知事が誕生。日本には革新の風に乗って、多くの知事が生まれた。これに対抗して自民党から1968年参議院に出馬し、「日本という祖国は羅針盤を欠き、海図を読むことの出来ぬ船頭たちによって操られているのだ。彼らにはもはやこの歴史の転換期に真の革新を行い、未来に備える国づくり行う能力も資格もない。我々の手で青年の国をつくろう。青年の歴史をつくり出そう。そのために、君の力をかしてくれ。」と訴えて300万票を獲得して初当選。


 その後、石原慎太郎は、1970年代には青年政治家として政治的タブーを壊し、自らの情念から発した理想について語った。そのタブーとは、日本人の起こした全ての戦争が侵略戦争とは言えないこと。安全保障は必要であること。核は積極的に開発されるべきである。といったこと。それらを実現するべく1973年「青嵐会」と名ずけた超党派の政策集団を立ち上げた。 当時、江藤淳は「小説家としても、政治家としても資質は恵まれ過ぎる程めぐまれていた、しかし自己訓練をする必要性は感じず、その危機感もなくプロになろうとはしなかった。」と評論した。



僕らは、粘液質の厚い壁の中に、おとなしく暮らしていた。僕らの生活は、外部から完全に遮断されており、不思議な監禁状態にいたのに、決して僕らは、脱走を企てたり、外部の情報を聞きこむことに熱中したりしなかった。僕らには外部がなかったのだといっていい。壁の中で、充実して、陽気に暮らしていた。


               他人の足          大江健三郎


 大江健三郎は石原慎太郎より3年後1935年に四国で生まれ、1957年「奇妙な仕事」を書いた。これは大学病院の裏の囲いに収容されている実験用の野犬たちが夕暮れに吠えつずける話や戦中の国民学校で飼い犬を殺して外套を作る少年時代の経験をもとにして初期作品を書き上げた。この作品で学生時代に認められ、姉妹作「死者の奢り」を出版し、1958年には四国の土着的な世界の黒人兵の運命の物語「飼育」で芥川賞を受賞する。そして石原慎太郎と同じく新世代の作家の代表になる。


 一方政治的には若い日本の会に参加し、60年安保反対の陣営に加わる。1961年「セブン ティーン」、「政治少年死す」で浅沼稲次郎社会党党首を暗殺し、「天皇陛下万歳、七生報国」の遺書を書いて自殺した右翼青年をモデルに小説を発表した。その性と政治の物語の延長に「われらの時代」を世に出した。


 セブンティーンのヒーローは、自由で不安な内部に存在する国民主権よりも、もっと絶対的に確実に感じられる主権を外部に求めた。その意図は反牧歌的な現実世界の20世紀後半タイプの平穏なうわずみをかきたて、なめらかな表層をうちくずすために、性的なるものがもっとも有効な攪拌器、あるいはドリルだと信じるからであると「厳粛な綱渡り」で解説している。

 同じ年1961年には三島由紀夫は「憂国」を中央公論に載せる。やはりバタイユ的な死に至るまでの生の称揚をモチーフに政治とエロスと死を小説化した。この中で天皇制を、憂国では肯定的に描き、セブーンティーンでは批判的に描き、政治問題を引き起こした。


 1960年代にはヒロシマ ノートなど戦後民主主義擁護の作家として活躍した。「修身の時間のかわりの、新しい憲法の時間、という実感のとおりに、戦争から帰ってきたばかりの若い教師たちは、いわば敬虔にそれを教え、ぼくら生徒は緊張してそれを学んだ。ぼくはいま、「主権在民」という思想や「戦争放棄」、という約束が、自分の日常生活のもっとも基本的なモラルであることを感じているが、そのそもそもの端緒は、新制中学の新しい憲法の時間にあったのだ。」この戦後民主主義にかける姿勢は変わらなかった。戦後の時代の都会の人間を描き、その神話的世界、難解な小説は知的な人の必携の書となり、その後も小説家としての努力を続け世界で評価された。


 1960年代政治の季節に石原慎太郎は自由主義と愛国を訴え大衆の支持を集め、大江健三郎は戦後民主主義の旗手となり、高橋和巳は「悲の器」や「孤立無援の思想」で全共闘支持派の学生たちの高い評価を受け、開高健は行動する作家として活躍していた。三島由紀夫自刃と浅間山荘事件で日本の政治の季節は終わりを迎えた。