2020/02/29

縄文の森


大空は永遠に青く、
大地は長く揺るがず、春に花を咲かせる
だが人間よ、お前はいつまで生きるのか

                            李白

 3億年前地球は、シダ植物に覆われていた。この時期、氷河は縮小し、高温多湿の環境で、シダ植物の大森林が地球上に現れた。それが次の氷河期に土の中に埋もれていた。
 1万年前、最後の氷河期が終わった後、 オーストラリアのクイーンズランドの熱帯雨林は、この時からできはじめ、成長してきた。この熱帯の原生林では50メートル近い巨木がそびえ、その樹冠の下の湿気の多い低木の層では、シダやハンノキ、そしてキノコ類が茂っている。この森の地上には多くの堆積物、朽ちた枝、落ちた葉、多くのキノコ類や地衣類、虫や微生物を養い、多様な生物の住処をつくっている。フンボルトは、同じような南米の熱帯雨林について、「海岸まで続く広大な森林が眼下に広がっていた。樹木には、つる植物が絡みつき、びっしりと花を付けた樹冠部が絨毯のように連なり、その深い緑が光を受けて輝いていた。これが熱帯の植生とのすばらしい出会いだった。」

 ユーラシ大陸ではやはり一万年前、樺の木やハンノキは南の温暖な地帯から、しだいに北半球を北進し広大な樹林をつくりはじめた。
 日本でも縄文時代の初期、9000年前くらいから、氷河期が終わるとともに、気候はしだいに温暖化し、日本列島の南部、九州や南西諸島の暖かい地方にのがれ、生息していた照葉樹林と冬でも葉の茂る常緑広葉樹林が、寒冷地の針葉樹林を北に押しやり、日本列島全土を覆うようになる。 このシイの木、タブノキ、樫の木が、縄文時代以後、日本に自生し、自然植生をつくっていた。
 照葉樹林帯は、九州からしだいに関東地方に、そして縄文の晩期には仙台や新潟の海岸地帯まで回復してくる。縄文人は日本の全土に広がったこの森林の中で木の実を拾い、草を食べ、魚や、貝や、小動物を食べて生活していた、現在と異なり主食の炭水化物は米も麦もなく、塩も作れず、当然砂糖もとに入れることはできなない食生活を送っていた。現在の日本の食生活では、塩分平均10g以上取っているのにくらべ、当時は2g以下で、炭水化物は現在の60%以上に比較してわずか5%であった。

 縄文時代から弥生時代にかけて、大陸から熱帯産の米が、日本列島にも渡って稲作が始まる。そして日本人の食生活もしだいに変化する。弥生時代の後期3世紀ごろの日本について、「魏志倭人伝」には、「倭の地は、温暖、冬夏生菜を食す。」そして木については、タブノキ、トチ、クスノキ、樫などの照葉樹林であったと日本の植生を記している。

 
 縄文の森は、照葉樹林であった、しかし人々の生活により、樫の木、椎の木などの原生林が、焼かれたりあるいは苅られて、人の手が加わり落葉広葉樹のクヌギ、コナラ、エゴノキや山桜などの里山の雑木林になる。杉もまた、人々が照葉樹林を切り倒した後に広がり、弥生時代に発掘された板材は杉が多く、また杉花粉もすでに多く見られる。

さらに、時代を経て日本の景観を代表する松林風景は、人間の活動によって消滅した照葉樹林の後の二次林であるマツ林になる。このアカマツに下に、ツツジ、秋の七草のキキョウ、ナデシコ、オミナエシなどが生い茂る。

  日本は、主に農業をを行う里と、都、それとは別世界の山に分けられていた。普通の人々が足を踏み入れることのない、その異界の山と農耕地の里の間、を里山という。
 里山とは集落に近い山の端で、農業や果樹、あるいは林業などの行われている場所。神聖で修験者の住む山と違い、里山にある森林が「里山林」で、里の人々が手を入れ、古くから利用してきた雑木林や竹林、人工林などがある。 
 この雑木林では、スギやヒノキなどの建築資材になる。そして、人々が薪をとったり、炭焼をしたり、農業の材料として木を使ったり、木を小物の工芸品である、小箱ちやそろばん玉、器など工芸品に加工したりして里山の雑木林で行われ、 森林のきれいな水を利用した渓流魚の養殖をしたり、飲み水として使い、や田んぼや畑を潅水し、小枝や落ち葉は肥料として利用され、いわゆる里山がこうしてつくり出された。この里山は、伐採して芽吹きさせることによって再生し、手入れしてできた森林で、利用が遠のいた時、管理されないとすぐに荒れ果てた場所になってしまう。

  森林を伐採して家畜の放牧に使うと、草地になる、そこにはススキやササがその草地に群生する。一方放牧による家畜が、草を食んで、踏みつけると芝型の草地になる。ユーラシア大陸のゴビ砂漠につながる、牧草地帯は、森林の伐採、過放牧による草原の砂漠化がおこって黄砂の原因となっている。
 温帯の雨量の多い日本の広葉樹林帯も鉄や木材の利用で、伐採され、そこにマツ科の植物が代わりに進出し、明治時代には、そのアカマツも枯れてしまった。これによって山は緑のないはげ山になってしまった。

 昭和になると燃料革命によって、里山の炭作りや、芝刈りに変わって石油石炭、あるいはガスに変わる。何億年か地下に埋まっていた生物を掘り出して産業革命が起こり、日本の庶民の生活も一変した。里山は利用価値がなくなり、放置されることになった。

 一方戦後に行われた山林の緑地政策は、本来の日本の植生と異なる、杉やヒノキを植え、山を埋め尽くした。これらの木は根が浅い針葉樹であり、山の斜面に植えられても、土砂崩れを防ぐことはできない。さらに、杉林は50年から60年で、過熟林となり、花を咲かせ、膨大な量の花粉を飛散させ、春になると毎年花粉症を引き起こすことになった。

 イギリスもまた、工業化と農業や放牧で、イギリス本来の植生は破壊された。そのイギリス南部のクネップ城の持ち主貴族が、その土地の元来生息していた、野生動物や近隣種を戻し、生態系が復活した。

 人口の減少と、都市への人々の移動により、日本各地の、山間で生活する人は激減している、生活は変わり燃料や、材料としての木材はあまり使われなくなてきた。再び、この地域を里山として利用するのか、あるいは本来の日本の植生、潜在自然植生である照葉樹林縄文時代の森の復活とその新たな利用を生み出すのか。あるいは農業と林業が融合した、ハイテク技術よるアグロフォレスオリーが進化するのか。
 植生を含めた、新たな日本列島改造論が必要な時代になりました。