2019/09/01

芥川龍之介のアバター小説 Xと云う患者






   水洟や鼻の先だけ暮れ残る              
                               芥川龍之介


 散文は説明的で、文は外へ拡散する。そして、言葉をつらねて秩序だった物語を組み立てる。 絵画は様々な色彩の絵の具を使って額の中に世界を描く。詩は閉じた空間で、言葉がたがいに響きあう。
 この絵画的手法で短編の物語を彫んだのが芥川龍之介の小説で、  作品の額は西欧文学のアナトールフランスや、象徴詩人ボードレールなどで縁どられ、題材は平安時代の今昔物語、宇治拾遺物語、中国の古典、聖書など世界の古典で、これを使って、日本的タペストリーを近代的手法で織り上げた。そして多くの国で翻訳された。
 芥川小説を素材とした新しいコラージュ小説、英語で書かれた小説、「Xと云う患者」がデイヴィッド ピースによって作られ、黒沢敏行翻訳で日本語版が出された。


 「ある日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、その真ん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂いが、絶え間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度明方なのでございましょう。」で始まる、芥川文学の代表作「蜘蛛の糸」の文章を原文でほとんどそのまま使って構成した「糸の後 糸の前」。

 芥川龍之介の生い立ちを、芥川龍之介自身を物語の中で描いた「地獄変の屏風」。「2度語られた物語」では自我の分裂を「文章」などに登場する主人公の堀川保吉という第二の自我、分身をつくり、その中で彷徨する芥川龍之介を描いた。
 さらにはキリストを題材とした「黄色い基督」は斉藤茂吉と芥川龍之介と菊地寛の長崎旅行中の物語で始まる。「奉教人の死」「おぎん」など長崎の浦上での基督教徒の迫害を素材にした、キリスト教の少年信者の物語。日本のキリスト教信仰の歴史は誤解の連続ではないかと語るイギリス文化的日本の基督物語となった。
 さらに毎日新聞特派員で訪れた上海を舞台にした「戦争の後、戦争の前」。「キリストの幽霊たち」では歯車を素材にして新たな物語を生み出した。随所に芥川龍之介の文章をそのまま残し、物語の人物や実在の作家たちを小説に登場させ、現実と虚構を取り混ぜた世界を生みだした。



  作家のように考え作家のように話をする、そんなタイプのロボットができるのか。現在、生きていた時の記録を読み込ませ故人のチャット ロボで、その人の分身をつくることができる。 言葉は人格であり思想である。そのためには文章の表層ではなく、の文章を組み立てる発想や物の見方、いわゆる思想を機械に学習させる必要がある。

 この人格を持ったロボットを芥川龍之介のアバターを創り出す発想で、小説家芥川龍之介自身とその作品を組み合わせた、新しいタイプの小説がイギリス人作家デイヴィット ピースの小説「Xと云う患者」だった。

 難しいのは、人の心は単純ではなく、分類し難く、また時代によって変化することである。文芸作品についてもその様式、言葉とそれから生まれる隠喩や、諧謔、皮肉をどのように解釈するかが問われることになる。

 ヨーロッパでは19世紀末に自然主義と浪漫主義を産んだ。明治時代の小説家が、この西欧文化に出会い、ヨーロッパの文化に憧れ、それを至上のものとした。日本でも形式主義の小説に飽き足りなくなった人々は事実を、人間社会の真実を小説に描いた。やがてこの写実が日本では心境小説、私小説になってしまった。一方理想主義の白樺派もまた日本の現実から離れた理想の世界にこもってしまった。

 この時代、都市は近代化し、文化もより自由なモダーンな時代になった。明治の日本文学の後の大正時代を代表する作家芥川龍之介は新思潮、モダニズム文学の旗手として登場した。 

 「或る日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男の外に誰もいない。唯、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。」
 平安時代末期、ききんで都も餓死した死体に溢れていた。その間を盗賊や餓鬼が横行する代表的作品「羅生門」と「藪の中」そして、仁和寺の和尚の「鼻」や「芋粥」。
 そして中国を舞台にした「杜子春」あるいは江戸時代、あるいは長崎を舞台にしたキリシタン物語と時と時代を変えて、人間の心理を、善と悪を華麗な文体で、「芭蕉に及ばなかった、芭蕉に近いある詩人の慟哭」を俳句や和歌ではない短編の物語で小説化した。 その底流には、生きる本能、このエゴイズムのほかに真実を見いだせぬ厭世主義があった。


「茫然と桜の梢を見上げた。青い薄葉の翻った上には、もう風に吹かれた落花が点々と幾ひらもこぼれている。」

 文芸は文章に表現を託する芸術なりとした芥川龍之介の文章は緻密で細心であった。そして、文体はフランス文学の強い影響を受けたものの、西行や芭蕉の美意識の世界が底流にあった。その短編小説は、抒情詩や象徴詩に近いもので、その文体はむしろ日本の古典のしらべを近代化したとも言える。
 
「無数の眼はじっと瞬きもせず、三人の顔に注がれている。が、これは傷ましさの余り、息を呑んだのではない。見物はたいてい火のかかるのを、今か今かと待っていたのである。」その時おぎんのはっきりと意外な言葉を捉えた「わたしはおん教を捨てる事に致しました。」

 基督教のエキゾチックな側面にひかれていた芥川龍之介は、「奉教人の死」でイエスキリストの御血潮より赤い、火の光を一身に浴び、殉教したろおれんぞを描いた。「おぎん」では三人が棄教し、悪魔にさらわれ、堕落する情景、日本の殉教者の心の内と、民衆の心の酷薄さを浮き彫りにした。

  また「神々の微笑」で現実との激しい闘争から生まれた政治哲学の老子、や儒教の教えも、転生輪廻する世界と諦観の仏陀の教えも、また現実を拒否し永遠をめざすキリストの夢も、すべては二千年の歴史のうちに、美しい風景と温和な気候のうちに、静かにのみこまれてしまう宗教の日本化、土俗化の問題を取り上げている。

 ヨーロッパでは1920年代アヴァンギャルドが流行し、日本でもその影響が現れてきた。 芥川龍之介の作品は古典の換骨奪胎、コラージュの手法を用いた、新しいタイプの小説、モダニズム小説として受け入れられた。
 一方、プロレタリ文学が20世紀になって世界的流行となった。彼らは人生を、社会をそして生活し生産する立場の人々を描くことが文学であるとする潮流で、日本でもこれが文学作品で力を持ちはじめた。 

 しかしそれは脳の中の組み立てられた物語であり、一つの流行の商品であって、世界の現実や真実を、人間を描いたわけでは無かった。
 これは後の時代に、ようやくわかることであった。この重圧に対して、開き直ることをしないで、 芥川龍之介は、しだいに私小説の形を取り入れたフィクションを創作するようになる。大導寺信輔の半生、或阿呆の一生や歯車で、自分自身を題材とした物語を創作する。
 
 夏目漱石は「死ぬか、気が違うか、それでもなければ宗教に入るか。僕たちの前途にはこの三つのものしかない」と書いた。この文字通りの芥川龍之介の心の彷徨を「基督の幽霊たち」で物語にした。実の母親と同じ運命、狂気への恐れを、自らをキリストに重ね合わせ、天上への高みに向かう願いと、日常にある永遠に守ろうとするマリアの世界への憧れを、そして、書くことの価値を信じ、言葉の力を信じ、芸術を通じた救済を信じようとしたことを。


 最終章「事の後、事の前」は「高名な作家、芥川龍之介氏 田端の自宅で自殺す」で終わっている。一瞬の閃光を、紫色の火花を命と取り換えてもつかまえたかった芥川龍之介は、 或る阿呆の一生で「人生は一行のボードレールにも若かない。」と書き残し35歳で亡くなる。