2009/01/28

軍医森鴎外


 日本は,1868年の明治維新以降,富国強兵、殖産興業を合い言葉に教育,政治、経済、軍事の近代化を進め、ドイツにならった憲法のもと、地域での大国の道を邁進しました。1894年日清戦争で勝利し、1904年に、日露戦争でロシアを破り、この2つの戦争により、アジアの強国の地位を固め、侵略併合,植民地化をされる危険は当分なくなった時でした。

 

 日本ではこの時代の代表的作家は森鴎外です。この日清,日露戦争に森鴎外は軍医として従軍し多くの詩や日記を残しています。

 

 鴎外の家は代々、津和野藩亀井家の御典医で、1862年に生まれ、15歳で東京大学医学部本科生となり,19歳で卒業。1884年から4年間ドイツに留学し、帰国後、陸軍医学舎教官兼陸軍大学校教官となりました。そして明治23年(1880年)に初めての小説“舞姫”を発表しました。

 

 明治27年(1894年)日清戦争に従軍。明治37年(1904年)、42歳で第2軍軍医部長として日露戦争に出征。

多くの従軍記録や詩とともに第2軍軍歌を残しています。

 

 海の氷こごる北国も 

 春風今ぞ吹き渡る、

 三百年来跋扈せし 

 ロシアを討たん時は来ぬ。

 16世紀の末つかた ウラルを越えし昔より、 

 勇あり智なき すええでん 

 武運つたなき ぽおらんど 

 歯に立つものの なきままに 

 我慢は世世に つのり来ぬ

 

 

 帝政ロシアは海外に植民地を持たないものの、ヨーロッパではスエーデンを破り,ポーランドを併合し、極東ではしだいに南下政策をとるロシアを討つぞと歌った愛国の情あふれる軍歌でした。また、国木田独歩は戦時通信として国民新聞に愛国的記事を送り、田山花袋も日露戦争写真画報に前線レポートの記事を連載しました。

 

 明治45年(1912年)7月、鴎外五十歳の時、 明治天皇崩御。乃木将軍夫妻自刃。“興津弥五衛門の遺書”でこの事件を肯定的に描き、同年“かのように”を発表しました。

 

 その後“阿部一族”“山椒大夫”“大塩平八郎”などで、虐げられた弱きものの心情を描いた歴史小説を多く残しています。内容は,軍医として国家のもとの忠誠心からしだいにはなれ、歴史上の人物に仮託して個我の問題を取り上げ、それを主題として描くように変わっていきました。

 

 

2009/01/18

町医者爵位を得る

               アーサー コナン ドイルの叔父の画


 イギリスの19世紀はヴィクトリア時代と呼ばれ,イギリス一国が覇権を打ち立て世界の7つの海を支配し、世界中に植民地を持った時代でした。1837年にヴィクトリア女王が即位し。その後約60年間にわたり,国内は特に混乱も無く発展していきました。

 

 しかし,国内は1940年代、飢餓の時代とも呼ばれ,食料不足になやまされ、多くの貧民が都会に住んでいました。この時代の労働者階級の人達を描いたのが、チャールズ ディケンズで“オリバー ツイスト”、“デビット コバフィールド”,“大いなる遺産”,“クリスマス キャロル”などの有名な小説を残しています。

 

 対外的には,しだいに他の帝国が力をつけ、また1953年のロシアとのクリミア戦争、そして中国大陸では清朝とのアヘン戦争、アロー戦争、南アフリカでのボーア戦争など植民地拡大の局地戦争を起こしていました。この19世紀後半になると、アメリカやヨーロッパの大国が関税障壁をもうけ,一方、開かれたイギリス市場には,海外からの輸入品が津波のように押し寄せ,国内の工業に打撃を与え、しだいに覇権国の地位からすべり落ちていきました

 

 19世紀末の最も有名な作家はアーサー コナン ドイルです。こどもの頃読んだ不毛の荒野ダートムーアや恐ろしい沼地や魔犬のでてくる物語、“パスカビル家の犬”に興奮したことを今でも覚えています。

 ドイルは1859年に生まれ,1876年エジンバラ大学医学部に進学。20歳のとき,北洋捕鯨船で7ヶ月暮す。大学卒業後船医となり28歳のとき“緋色の研究”でホームズの小説を初出版しその後1890年に“四つの書名”を出版、翌年1891年に眼科をロンドンで開業。

 1900年南アフリカのボーア戦争に従軍。戦争擁護の“大ボーア戦争”と

“南アフリカでの戦争の原因と行動”を書きイギリスの戦争を擁護し,1902年にナイトの爵位をうける。

 

 ドイルはシャーロック ホームズシリーズをやめて自分の書きたい小説を書こうとした時期もありました。しかし、あまりの人気に、死んだホームズを再び、“パスカビル家の犬”でよみがえらせ、結局60の事件を解決し、世界中にシャーロキアンをつくり今なお人気が衰えていません。

 叔父は風刺雑誌パンチの有名な画家で、日本や中国の風刺画や妖精の絵を残しています。この影響か、晩年は“心霊術史”や“新しい啓示”の著作を書き心霊を信じ妖精と心霊の神秘主義に傾倒していきました。

 

 

100年前の小説家たち


  19世紀は,イギリス一国が覇権を打ち立て,植民地を拡大し世界を支配していました。

 19世紀後半になると、アメリカやヨーロッパの大国がしだいに力をつけ、一国支配の覇権国の地位からすべり落ちていきました。

 1900年この時代の状況を、ギルバート マレーは“どの国もわれわれこそ国家の中の精神であり花である、そして,何よりも他を支配すべき資質を備えている”と表現しています。 こうして1885年以降、世界は多極的世界となり帝国主義列強の争いの場になりました。

 

 この時代 7つの大国がありました。各大国の工業力を1900年のイギリスを100として、比較すると、アメリカは 127.8とすでにイギリスを追い越し,ドイツ 71.2ロシア 47.8オーストリアーハンガリー帝国 25.6でイタリア 13.6日本が 13.0でした。その後、アメリカ、ドイツ、イギリス、ロシアの順に工業力は飛躍的に増大していきました。

 

 そして、とりわけドイツは第一次大戦直前には日本やイタリアの3−4倍の工業生産力で,ロシアを追い抜いて,イギリスに迫る勢いになり、覇権国として軍備も着々と増強していきました。

 日本は,1868年の明治維新以降,西欧の植民地化をさけるため,富国強兵、殖産興業を達成すべくドイツにならった憲法のもと、地域での大国の道に邁進しました。

 1894年日清戦争に勝利し、地域の覇権を確立したあと、1904年に、大国の間の政治の延長としての戦いである日露戦争に勝利しました。この2つの戦争により、日本はアジアの強国の地位を固め、侵略併合をされる危険は当分なくなった時でした。

  時代はその時の作家により記録され、時代精神もまた読み取ることができます。日本では日清,日露戦争に従軍した森鴎外が軍医として記録を残しています。

 

 同じ時代ロシア帝政時代末期で1904年にトルストイが非戦論、“なんじら、悔い改めよ”をロンドンタイムスに掲載されました。そして、ロシアマルクス主義が世紀末に結党されました。また,ドストエフスキーやチエホフもこの時代の作家です。

  

 一方、1902年に日本と同盟を結んだイギリスでは、19世紀中頃にディケンズが、19世紀末期にはアーサーコナンドイルが活躍しました。

  

 同時代フランス、オーストリアは世紀末のベルエポックの華やかな時代で、1900年のパリ万博でエッフェル塔が登場し、芸術、美術、流行の中心地としてもにぎわっていました。

 

 ドイツでは、アヴァンギャルドの潮流が時代精神を表し,美と様式に価値を見いだす世紀末芸術が流行し、トーマスマンやヘルマンヘッセの文学がうまれています。


  各帝国はそれぞれ国内の富を増大し、それとともに各国独自の文化芸術が栄えていきました。その様子を作家は描き、その時代精神も知ることができます。同時にこの富と権益確保のために,帝国間には武力行使が各地で起こっています。これらに作家も参戦したり従軍記者として多くの文章が残されています。

 そこには国家に対する義務と作家の世界観が反映され、 100年後の今読み返し、あらためて興味深い発見をして、驚くことが多くあります。

2009/01/01

ディズニー王国


マンガの魅力

 

 1920年代のアメリカはマイアミの土地バブルに引き続き、豊かな生活を謳歌していた。株価は上昇を続け,新たな投資信託が流行し、すべての職業の人、主婦もこぞって株を持ち、アメリカ人の生活は株式市場を中心にまわりはじめていた。

 

 この時代1928年に、ミッキーマウスは初めて蒸気船ウイリーでスクリーンにデビューした。そしてアメリカだけでなく瞬く間に世界中で有名になり、ヨーロッパやオーストラリア、ニュージーランドさらには日本や中国、インドでも上演された。

 

 1929年に株価暴落が起こり、1930年代は10年間にわたり世界が恐慌に陥った。アメリカではルーズベル大統領のもとにニューディール政策がとられ、ドイツやイタリアは国家社会主義の政権ができ、ロシアは社会主義政権が確立していった。

 

 この時代がミッキーの黄金時代で10年間に100以上の作品が生み出され,ミニー、プルート、ドナルドなどのキャラクターが生まれた。1935年ミッキーマウスとシリーシンフォニーが世界中で4億6千800万人の観客を動員した。

 フランスでは、国際連盟メダルを受賞し、日本ではミッキーマウスの人形が飛ぶ絵に売れ,ロシアではミッキー映画は資本主義に対する風刺とみなしモスクワ映画祭審査委員会よりの賞を受賞し,イタリアでは、ムッソリーニからサイン入りの肖像が送られた。

 

 ドイツでもまた国家社会主義政権になっても、ディズニーが受け入れられた。その理由は,内容がほとんど非政治的で、作品にドイツのメルヘンの伝統に対する愛着があり、何より彼の母親がドイツ系であったことが影響していた。

 

 1930年後半に長編アニメの白雪姫と続いてピノキオが封切られた。しかし、これらの作品は、1940年代、ヨーロッパの大戦から第二次世界大戦が始まり、世界中に広まることはなくなった。

 1950年戦後なってドイツの映画館に登場し翌年ミッキーマウスもカムバックした。

世界が大恐慌から世界大戦に至る時代にもかかわらずディズニーマンガは世界中のこども達に歓迎され、おとなにも受け入れられ喝采をあびました、そして戦後ディズニーは世界中に巨大なテーマパークも造り上げ、ディズニー王国の夢をあたえ続けています。