大正時代は、日本も大正デモクラシーと呼ばれ明治の戦争の時代から比較的平穏な世の中になってきました。
第一次大戦中に戦場とならず経済は急拡大し大戦景気といわれる熱狂的な好景気に日本中は沸き立ち,好調な経済のもといわゆる成金が多数生まれ,一方労働運動もさかんになっていました。反面この時期、明治以来の国家目標を見失い国家規範はしだいに喪失していきます。
政治では、政友会と民政党の2大政党制が定着し行われていました。しかし、国民生活とはかけはなれた政党間の利益誘導の競い合いとなり腐敗政治が蔓延する結果となり、世論の政党離れが広がっていった時代でした。
その後の日本の経済は1920年には戦後恐慌をおこし多くの失業者がうまれました。ようやく回復が始まった頃におきたのが1923年(大正12年)の関東大震災でした。
同年9月1日午前11時58分関東地方をマグニチュード7.8の直下型地震がおき、死者9万1344人上り行方不明者をあわせ14万人に達した大震災で、東京を中心には火災で多くの家屋は焼失し貴重な企業や人的資産を失い経済、政治は大打撃をうけ、戒厳令が施行されました。
その後、政府は金融面の救済措置をとりさらに多くの財政赤字をかかえることとなり、この救済措置に便乗し多くの企業は一時的に生き残るも、その後政府はインフレ的不況対策と為替相場の維持、介入というデフレ的対策とその場の応急対策におわれていき、しだいに日本経済は崩壊寸前にまで落ち込んでいきました。
次の1930年代はアメリカの金融恐慌から世界大恐慌を来たし、日本でも銀行の破綻や企業の倒産、大量失業それに農村の凶作が加わって、昭和恐慌は本格化しました。そして日本の政党内閣制と国際協調体制、国際金本位制ともに崩れ去っていきました。
その頃、永井 荷風は日記に、「日本の現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚無きことの三事なり」と書いています。この閉塞状況を打ち破るべく軍人のあいだに過激思想が力を持ち始め、1932年(昭和7年)に大アジア主義者大川周明の関与した5.15事件が帝国海軍将校を中心に起こされ、さらに1936年(昭和11年)には北一輝に触発された2 26の軍事クーデターがおこされました。その後国民の自由な言論や批判は消え、軍部の暴走を許容し大戦へと突き進んでいきます.
