日本の教育
明治政府は国立大学を設立にあたってアメリカやイギリスと異なり100%国の予算でまかなうシステムをつくり、学問の自由は、財政の制約のもとにおかれた。明治の初期にも、教育ファンドをつくる案や、文部省から独立した特別会計の案もだされた。しかしいずれの案も明治政府は取入れることなく文部省の権限のもとにおかれ、それが現在も続いている。
そして、日本の高等教育は、各省庁が帝国大学の法学部卒業生を中心に人材を養成し中央の官庁や地方に行政官を送り、省庁の中に科学技術を取り込む技官制度を作った。頂点には5つの帝国大学、台湾,朝鮮の台北帝国大学,京城帝国大学さらに昭和に入り、大阪、名古屋の合計9帝国大学を作り旧制高等学校からの入学生が日本のエリ−トとして養成された。この旧制高校の割合は国民の1%以下であった。その他のコースとして,専門学校があった。さらに、教師のための師範学校、女子高等師範学校があった。
そして、日本の高等教育は、各省庁が帝国大学の法学部卒業生を中心に人材を養成し中央の官庁や地方に行政官を送り、省庁の中に科学技術を取り込む技官制度を作った。頂点には5つの帝国大学、台湾,朝鮮の台北帝国大学,京城帝国大学さらに昭和に入り、大阪、名古屋の合計9帝国大学を作り旧制高等学校からの入学生が日本のエリ−トとして養成された。この旧制高校の割合は国民の1%以下であった。その他のコースとして,専門学校があった。さらに、教師のための師範学校、女子高等師範学校があった。
第二次大戦後は、すべての高等教育を大学として一本化した。旧制高校は廃止され、大学に再編された。
戦後初期は一部の人が大学進学し、多くの人は早くから職業につき、日本の高度経済成長を支えた。その後は昭和38年(1963年)大学入学12.1%に昭和40年(1965年)17%、昭和50年(1975年)には37.8%と増えさらに、その動きは加速し大学全入化の動きに乗って、現在50%以上の若者が大学に進学している。
国立大学は約100校、私立大学は約500校におよび、多くの定員に満たない大学や、日本の最高といわれる大学も世界的には何の変哲もない大学となりつつある。
日本の大学の特徴は、25才以上の割合が2%以下で,他の先進国とは大きくかけ離れていること。一斉入学,一斉就職が今でも大多数を占めていること。これは、戦後に一時期大学などの教育機関が不十分で,入社した若者を自前で教育し,終身雇用、年功序列が会社にとって合理的な時代があった。
企業が世界競争を強いられる中、人材の流動性が高まり、実際は1980年代には会社共同体に取り込み会社で0から教育するシステムはコストにあわなくなっている。現在実社会と大学の関係がミスマッチをおこしていることが誰の眼にも明らかになり大学で何を学ぶかが再び問い直されることとなった。
1980年以降、様々な教育改革が試みられた。大学における教養教育は形骸化しているとして,1991年には教養学部が解体された。専門教育も戦後の大学進学が例外的であった時代の研究者養成プログラムの延長で,研究もそれぞれの専門がたこ壷化していて何を学生に教えるのかがあいまいになり、勉強もきびしくなく、脱落することなく遊んで卒業できる。大学の教育の充実がいわれつつなかなか変革にはむすびついていない。そして,大学卒業だけでは国際的にはイニシアチブをとるのが不十分で大学院教育が必要とのかけ声で、多くの大学院がつくられ多くの博士が誕生した。2006年には博士過程卒業生の就職率が57%となり、就職難の時代となった。
2004年4月から国立大学の法人化がはじまる。これは目的として大学間の競争を促し,競争的起業的な文化を生む目的であったが、実情はあまり大きな変革はなされていない。さらには国際的に通用するトップ30校に資金の配分を多くする構想も実行されている。
一方入学試験についても、一点をあらそうセンター試験はよくないとして数年後に廃止され新たなアメリカ型の習熟度をはかる入試システムに変更される予定となった。しかし今の日本の中学,高校では受け身の受験のための勉強と長時間の部活という内向きのグループ活動に時間を費やされ,職業に就いて学んだり考えたりする時間はほとんどない。この高校卒業までの教育をどうするのか、大学入学後の教育をどうするのかはっきりとした目標がより重要だと思われる。
大学では、現在実学の学部は受験倍率が増えているのは、目的が明確で、卒業後試験の関門があるため勉強せざるを得ない環境であることがおおきい。戦後の総合大学指向から再度、実践的職業訓練を目的とした大学と研究やアカデミズムの大学を別々に充実させることも必要な時かもしれません。