1966年(昭和41年)井伏鱒二の代表作「黒い雨」は連載小説として発表された。画期的戦争の記録小説として、日本でも評価され、海外にも翻訳され紹介され、映画化もされた。黒い雨は雑誌新潮に1967年(昭和40年)1月号から最初は「姪の結婚」と言う題名で連載が始められ、その後題名を「黒い雨」とかえ重松氏の日記に重点を置き広島の原爆惨禍を抑えた筆致で描き、翌年の9月号で連載を終わっている。野間文芸賞を受賞し大江健三郎、江藤純氏ら多くの人々も絶賛し文化勲章も受けた作品だった。
特に山本健吉氏は文化勲章にちなんだ記事で、「黒い雨は近来の傑作と思うが、この本を書いた動機は、あの毎年の原水爆反対集会のお祭騒ぎが悲しくて、あの作品を書いたという。あまりに政治の手に汚されすぎた。あまりに安易な符牒で呼ばれ過ぎた。井伏さんがこれを書いてくれなかったら、私は日本人として、何時までもやりきれない思いを消すことはできなかっただろう。」
最初は巨大なクラゲのやうな原爆雲が刻々と赤、紫、黄、緑などに色をかへながら、廃墟となった広島市街を上から舐めるやうにユックリと動いて行く。そして人々を焼き尽くした灼熱の環境で郊外の竹藪のそばの溝の流れには目高が群れて遊んでいるという描写、あるいは死亡した子供をおんぶした母親、そして原爆爆心地の近くで、植物の新芽が徒長する様相。 「正しい戦争より最も不正な平和を選ぶ」というローマの政治家キケロの言葉ををかみしめている。それら重松日記に記されている文を取り入れ小説化した。
この作品は全ページの約半分に重松日記や岩竹日記、他の資料とか報告書や資料を引用して小説に使った。重松静馬氏の日記は広島における原爆投下という過酷な力が加わった時、部外者ではなく、罹災者でしか感じられない生身の体験であり、その場の人々の様相であり自然の変容の目撃者である。その現実をそのまま記録し、みごとなドキュメンタリー小説になっている。
著者自身が黒い雨は小説ではなくルポルタージュであるとのちに語っているように、戦争と平和の物語を題材にして最初は姪の結婚を主題にした世間の人情ものにしようとして連載小説は始まった。その後、 事実の重みから日記の描写の記述がそのまま文章として はめ込まれ 物語は完成した。
井伏鱒二は1898年(明治31年)の生まれで、戦前より多くの作品を書いている。1929年(昭和4年)「山椒魚」「屋根の上のサワン」を発表。 1934年(昭和9年)「青ヶ島大概記」を書き上げた。この製作の過程を太宰治は打ち明けている。24歳の太宰治が早稲田大学近くの井伏鱒二宅で下宿しているときだった。江戸時代、近藤富蔵
という武士が八丈島に流された時記録された「八丈実記」のなかの八丈島持青ヶ島大概記のリメイク版であった。
井伏鱒二の小説は村の出来事や、民話を素材にしてそれの端々に井伏風の創作を、人情味を加えて書いた作品が多い。1939年(昭和14年)ジョン万次郎漂流記で直木賞を受賞した。これもまた、明治の少年読本シリーズで石井研堂作の中浜万次郎をテキストにしている。
井伏文学の特徴は、ありふれた日常生活を市民的日常を、観察して文章にする。そこに生の声ではない人間模様を描き出す方法とっている。描写技術がうまくないと古びた花鳥風月、凡庸な人情話になってしまう。
センセーショナルな作家太宰治ほど有名でなかった井伏鱒二は、戦後この作品は自分の創作でなく人から聞いたものであるとした「駅前旅館」で番頭の日常些事を書き、「本日休診」もまた当時の産婦人科医院の日常を面白おかしくして描いて読売文学賞を受賞した。
1966年(昭和41年)68才の時、それらとは異色の作品黒い雨で一躍国民的作家として文化勲章を受け、海外にも翻訳され反響をよんだ。「わしらは、国家のない国に生まれたかったのう」の一行に象徴される最も重要なものに注目し、この作品を書き上げた井伏氏の真実の姿勢を感じた。と船橋氏は評している。これは戦後まもなく書かれた「遥拝隊長」の戦争批判と同じ理念を表現していた。
翌1967年(昭和42年)野坂昭如が短編小説「火垂るの墓」を発表した。神戸大空襲の後孤児となった14歳と4歳の兄妹の物語。戦争による爆撃で焼け出され、幼い妹を餓死させた想いを小説化したもので、冒頭の、餓死した少年のドロップの缶、その中に入っていたのは妹の灰と骨のかけらだった。その缶は投げ捨てられ、空に向かった清太の魂は、4歳の妹節子の魂と再会する。スタジオジブリの高畑勲監督のアニメ映画化して世界的に評価される。
タレントであり作詞家であり歌手であった野坂昭如は「おもちゃのチャチャチャ」を作詞し、「黒の舟歌」を歌って人気を集め、あふれる反抗精神で世間の常識を突き崩す小説で、人の心模様を描き、ある時は江戸時代の戯作者になり、またある時は人の欲望心のやるせなさを描き出そうとした。
火垂るの墓は文字にしたとたんに嘘が混じる。と自らが語っているとおり自分の経験した事実を創作し物語にしたものだった。
そして、卑怯者の思想を持つ、焼跡闇市派を自称し、文を書き、政治家にもなった。「正しい戦争より最も不正な平和を選ぶ」というローマの政治家キケロの言葉を体現して実行しようとした。
小説はありふれた退屈な話とあまりに現実離れした突飛な物語その間にある。そして、小説は文章の技術だけではない、歴史に対する理解や人間の心の深層に迫る見方が反映される。そして、題材とする資料や日記の事実と創作との間の虚構と真実の兼ね合いでその作品の価値は決まる。
今コンピューターに小説が書けるかが話題になっている。多くの文章を簡単にコピーできる。そして災害や事件の記事や、そのほかのルポルタージュ記事はかなり機械でも描きやすいタイプの文章で、すでに人間の記者と区別できないレベルに達している。日本では、昨年星新一に応募したコンピューターのショートストーリーが一次選考を突破した。
今後、コンピューターを使い、資料を読み込ませ、それぞれの作家らしい文章を学習させて面白い小説にしたり、昔の物語を下敷きにして、機械による新たな小説が生まれる時代がすぐにやって来る気がします。しかし、心の叫びを表現した詩や小説はアンドロイド文学には無縁の世界です。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
・・・
峠三吉



