鳥たちと自然と感情の歴史
憎しみ、悲しみ、喜び、恐れなどあらゆる感情の奥には愛があり、善なるものに導かれる感情全てが愛である。大切なものが奪われると恐れの感情がおこり、憎しみもまた愛するものを傷つけられた時おこる。
トーマス アキナスの感情論
キリスト神の世界に暮らした中世ヨーロッパの人々にとって、雄鶏は太陽の象徴であり、悪霊を追い払うものとして屋根の上に飾られた。また鳩は愛や平和のシンボルで、小鳥たちは聖フランチェスコの説法を聞く愛らしい存在であった。
中世の宗教画の世界を離れ、自然を詩にし、作曲をし、風景画を描き始められたのは18世紀になってからで、「田舎での生活の思い出、描写的絵画というよりは表現された感情」と副題のある田園交響曲の中で、ウズラやカッコウの声を模した音楽をベートーベンが作曲し、スイスやイタリアを旅行したリストは「私は、自分の感じた最も強烈な感覚や最も鮮明な知覚のいくつかを音楽で表現しようと試みた。」
18世紀の後半にヨーロッパの国々では、教育の最後にグランド ツアーという、大陸の巡遊旅行をするのが習わしとなり、風景に対する関心が高まり、 19世紀のフランスで山や海といった、自然が美的な評価の対象となった。1840年代になると鉄道旅行が多くの人々の間に広まっていった。19世紀に山は、ハイキングや登山のための自然となり、都会から離れ、自然の中に溶け込むために周りのものの一部となるために必要なものとなる。 バイロンは述べている、「高い山脈は一ひとつの感情となる」。こうして自然は18世紀と19世紀で全く別物になる。
新たな時代の先駆けをになったコローは神話や肖像画ではない風景のもたらす感情を描くことを試みた。そして、その風景を保存する運動が起こり、1837年、森林の伐採計画を中止し、風景の保護を求めたフォンテーヌブローの森の保全の動きが開始された。1861年フォンテーヌブローの森は芸術保護地区となり、フランスで初めて伐採と採石が禁止された。
この森の隣にバルビゾン村があり、この村を拠点に、周辺の自然を描く画家の集まりの一人にミレーがいる。ミレーはフランスのノルマディー地方の農家に生まれ、自然の中で働き、生活する人々や鶏小屋ななどのありふれた風景を詩情豊かな絵画にした。ミレーはアジアから輸入された愛玩用の家禽から農家で飼われるようになった鶏を絵の題材とした。
この時代ヨーロッパの国々は、世界に植民地をつくり帝国の領土を拡大していった。イギリスやフランスの人々の興味は原初の自然の残る植民地の東方やアフリカに向かった。アフリカの野生動物の狩を描いた「ソロモン王の洞窟」が人気になり、オリエンタリズムの画家が生まれ、フランスのウジェーヌ フロマンタンは「青鷺狩り」で異国アルジェリアの情景を描いて一躍有名になった。これらは18世紀末のエジプト遠征、1830年に始まるアルジェリアの征服による砂漠の魅力とオリエンタリズムがヨーロッパにもたらされた影響による。
19世紀の後半、印象派のルノワールは「鳥と少女」の中で東方風のターバンを巻いた少女が、小型の猛きん属の隼を手にした少女の肖像画を描いている。 ヨーロッパではサギや鷹は雀と同じように昔から馴染みの鳥であった。同じようにマネの肖像画の傍には、おうむ科の冠毛のないヨウムが描かれている。このヨウムはアフリカ西海岸の森林地帯に生息し、それがヨーロッパに運ばれて飼育された。一方おうむはほとんどオーストラリアからその近くに住んでいて、のちにペットとしてヨーロッパにやって来た。
鶏はヨーロッパでは古くから飼われていた、1830年代に中国からコーチン種が持ち込まれ多様化し、19世紀の末バルビゾン派の画家によって農村風景の題材となり、隼やオームの仲間も愛玩用に飼われるようになった。
一方、アメリカでは、大統領の紋章は米国の鷲、ハクトウワシが使われている。キリスト教では鷲はゼウスの聖なる鳥であり、この鷲はアメリカ先住民の頭にかぶる羽に使われた。
「頭を使った仕事にしろ、手の仕事にしろ、花開く現在の瞬間を仕事のために犠牲にしたくはないと、たびたび思ったものだ。私は生活に広い余白を残しておきたいのだ。夏の朝など、いつもの水浴を済ませるると、よく日当たりのいい戸口に座り、日の出から昼ごろまで、うっとりと無想にふけった。あれは私の生活から差し引かれた時間などではなく、むしろその分だけ普段よりも多く割り当てられた時間だった。」 ヘンリー D ソロー
ソローは 1845年 29歳のときウオールデン湖の辺りに自分で小屋を建て、周りの自然の中で小鳥、動物、魚を観察し一人きりで生活した。そこでホーホーとなくフクロウの声、ガーガーとなくガチョウの声を聞き、棟木のヨタカや窓の下で叫ぶ青カケスとともに眠り、瞑想した。
エセミテ渓谷が、1868年ジョン ミューアによって発見され、ヨセミテ渓谷の景色に魅せられ、まるで溶けるような、そして何かに吸い込まれ、興奮して見知らぬどこかに連れていかれてしまいそうな場所と表現し、エセミテの滝の全てを見るために、危険な断崖絶壁を登って、過ごした。この渓谷の空高く、鷲は飛んでいた。1890年にはイエローストーンに続くアメリカで二番目の国立公園になった。ここには20種類以上の野鳥が生息している。
かもめのジョナサンの小説が1970年に発売された。心はゆれる、そして時とともに変化していく。その心を一羽のかもめに託した物語が作られた。孤高のカモメが生きるため以上の何かを求め、仲間と出会い、師に出会い、さらなる高み、崇高なるものを求める。この空を飛ぶカモメを寓話の象徴として使い、ベトナム戦争で揺れるアメリカで人気となり、やがて世界の若者の心をつかんだ。
真っ白なカモメと逆に真っ黒な鴉はグリム童話にも題材となっている。1845年のエドガー アラン ポーの詩大鴉で、一躍不吉な鳥の象徴として世界中に知られるようになる。
レノーアを亡くし悲しみに暮れている12月の寒い夜、不気味な声がして、ドアをノックして不吉な古代のカラスがアテナ神の胸像に止まり、nevermore と喋った。 鴉は神話では預言者であり、この詩では人間の言葉を喋り、主人公を恐怖から狂気に向かわせる鳥となる。
鳥の恐怖はヒチコックの映画「鳥」で頂点に達する、鳥を扱うペットショップで、インコを手に入れ、それを届ける途中の港町で、カモメに襲われるところから始まる。やがてこの鳥たちが、大群となり次々と子供や人々を襲う。その街の人々はパニックに陥り、この鳥の凶暴化が次第に周りの土地にも広がっていく。
自然とその中に住む生き物、とりわけ鳥は人の感情を、人の心の世界を写す象徴として使われて来た。時代により、かわいらしい愛玩動物となり、鷲のように誇り高い国の紋章になった。鳥は自然の中に生活するときは、その生態系の一部として生存のための活動をしている。そこでは地上の動物が生存のための食物連鎖で繋がっているように、空にもまた鳥類や少しの哺乳類が生存の空間を求めて飛び交っている。やがて、人類が生存の空間を広げると、その営みが、鳥の生活と交錯し、一部はペットとなり、一部は家禽となる。そして益重と害鳥が生まれ、都市化した世界で、一部の鳥は人間生活にとって厄介者になった。
感情は人を行動に駆り立てる原因となり、人はその感情を鳥に託した。古くから鳥は神の信託を告げたり、平和や心の平静の象徴でもあった。この鳥を扱った多くの宗教的ファンタジーは物語となり時の人々の心を安らがせる役割を果たした、一方時代によって、鳥は悪魔の象徴になり、人の不安をかきたて、さらには人を襲う人類の敵となった。そして、絶滅した恐竜の子孫は鳥たちであることが明らかになった。

