2012/09/16
社会保障
2012/08/16
8月15日 日本の戦争
2012/07/16
オーム真理教とカルト
2012/07/01
一方、農耕牧畜や砂漠地帯の宗教であるキリスト教は源流のユダヤ教とイスラム教ともに唯一の神をあがめる一神教であり、この思想のもとで都市文明を生み出しました。森の神であるフンババを殺害したギルガメッシュの伝説がこれを物語っています。砂漠の民であるかれらは攻撃性を持ち、自然と戦い、制服する環境から生まれた唯一の神を信じ巨大都市文明を創り出し世界にひろめていきました。
2012/02/20
三好達治の世界
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかのあし音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
三好達治は1900年(明治33年)生まれ。大阪陸軍地方幼年学校から、東京陸軍幼年学校にすすむ。当時、行動的日蓮主義者であり、西田 税らと幼年学校の二年のとき校内の軟派批判活動で、「文弱淫蕩の俗風己に台上をおかした。質実剛健の意気と正義と今や地に墜ちんとして居る。 休日にはカフェー浅草を彷徨して不純の気に我自ら浸り・・・国家の内外に思いを馳せよ、是くの如くんば大日本帝国滅亡の日思いの外に速く来らん。」と愛国の激文を書いた。
そして卒業後大陸雄飛の夢をいだいて、朝鮮半島の会寧で仕官候補生の生活を送った。この朝鮮半島生活の印象を「二つの異なる民族によって同時に一つの土地が占められことはできないかもしれない」記している。その後、1920年(大正9年)陸軍士官学校にすすむも、この士官学校を脱走し収監され退校処分となった。こうして軍人になる道は断たれた。
時代は日露戦争後の大正デモクラシーとよばれる一時期で、ロシア革命が起き、それに対して日本はシベリア出兵を行い、国内ではインフレから米騒動が全国に広がり、当時労働運動と社会主義運動が結びつき、共産党が結成された。一方国粋主義者たちは猶存社を結成し、安田財閥の安田善次郎暗殺事件がおこる。
軍人になることをやめた三好達治は、21才のとき第三高等学校に入学、そして、東大フランス文学科に進学。在学中の1930年(昭和5年)30才のとき測量船を刊行。 この中には、「春の岬」、「乳母車」、「雪」、「甃のうへ」などの有名な詩が含まれている。
その頃に、ヨーロッパの経済の破局とアメリカの恐慌の混乱の最中に満州事変がおこされる。国内では、資本家や政治家に対する暗殺が頻発し、1936年(昭和11年)陸軍皇道派の起こしたクーデター二 二六事件の煽動者として青春時代での同士であり盟友の西田 税が処刑される。
日中事変後は上海特派員として、「艸千里濱」「列外馬」などを収めた詩集「艸千里」を 1939年(昭和14年)に刊行。その後の日米開戦から敗戦まで、「一點鐘」、「花筐」などの詩とともに愛国的詩集「寒析」「干戈永言」「捷報いたる」などを発表し国民詩人としての地位を確立した。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
初期の静かな透明感有る叙情は萩原朔太郎のもとで学び、影響を受けさらに研ぎすまされていく。実生活ではその萩原朔太郎の妹と再婚し、三国でしばらく生活をおくった。しかし、美しく静かな詩の表現とは遠くかけ離れた激しさから、生活の破綻を来たした。
星冴え
山々か黝くたたずみ
聚落寂寞として
灯火暗く睡れるに
丁鼕とはるかに聲あり
今日の日の凛冽たる意志
「寒折」の中に初期の測量船の「雪」と同じ響きを感じる。フランス文学から得た西欧的知性と日本的叙情の融合した初期の作品から出発し、戦争中は愛国詩を描きそして大戦後の昭和21年には雑誌新潮の「なつかしい日本」で天皇の退位を主張した激文を発表した。
「私は先に陛下の御責任は身自ら陸海軍の大元帥陛下として、名ありてその実のなかりし疎粗慢の点にかかって存することを指摘したが、陛下の御責任は
・・・」
戦後「駱駝の瘤にまたがって」「百たびののち」でふたたび詩集を発表し文壇に復活した。