また見つかったよ
何がさ?永遠。
太陽に
とろける海さ。
ランボー
パレスチナのPFLP(パレスチナ解放人民戦線)は1968年、はじめてハイジャックをおこなった。彼らはその後も戦術として、航空機のハイジャックや空港襲撃事件を幾度かおこしていた。
1972年5月30日パリ発エール フランス機がテルアビブ空港(リッダ)空港に到着し、奥平 剛士、安田 安之、岡本 公三が作戦行動を開始した。当日深夜BBCが Three
gunmen attacked Tel Aviv Airportと放送し、はじめてテル アビブ空港襲撃事件が世界に知らされた。
銃撃戦の結果、空港内警備員や一般市民26名,アメリカ人17人、イスラエル人8人、カナダ人1人が死亡し負傷者は73名のぼった。奥平、安田の2名はその場で死亡し、岡本公三はイスラエルに囚われの身となり、軍事裁判で終身刑の判決をうけた。国内の日本赤軍派の事件に引き続きおこったこの衝撃的行動を契機に彼らの支持者は国内ではほとんどいなくなった。
銃撃戦の結果、空港内警備員や一般市民26名,アメリカ人17人、イスラエル人8人、カナダ人1人が死亡し負傷者は73名のぼった。奥平、安田の2名はその場で死亡し、岡本公三はイスラエルに囚われの身となり、軍事裁判で終身刑の判決をうけた。国内の日本赤軍派の事件に引き続きおこったこの衝撃的行動を契機に彼らの支持者は国内ではほとんどいなくなった。
彼らの行動を支える思想は様々な種類の共産主義であった。時代はカストロとゲバラの革命軍がバチスタ政権を倒し、1959年キューバの社会主義革命に成功し、チリにも社会主義政権がうまれ、アジアではベトナム戦争が闘われ、世界は2大陣営に分かれ対立していた。そしてパレスチナでは過激な政治集団PFLP(パレスチナ解放人民戦線)が結成された。
西欧諸国ではベトナムの反戦運動が盛り上がり、日本も反政府運動が全国で起っていた。しかし、1972年の日本の連合赤軍事件は、自由な表現がゆるされる場のある日本で、山にこもり孤立し武装しなければならない理由もなく、まして敵とした相手ではなく仲間を殺してしまう必要はどこにも見いだせない事件であった。又,PFLPの指揮のもとでのテルアビブ(リッダ)空港の民間人の殺害事件は、その後の世界的な政治的テロリズムのさきがけとなった。戦後、平和主義と人命尊重の世界観が主流の日本国内ではきびしい批判的見方がほとんどで、政治的に同情的であった人々の離反をまねいた。
彼ら3人の日本人がなぜ自爆テロにも似たこの空港襲撃事件を起こしたのか。チェ ゲバラの「世界のどこかで誰かが被っている不正を心の底から深く悲しむ事の出来る人間になりなさい。それこそが革命家としての,一番美しい資質なのだから」といった言葉を本当に信じたのか。人はなにかを思い込みたい本能があり、信じやすい心を持っている。ときには事実を思い込みに置き換えてしまう事がある。そして、ランボーの詩を愛誦し,天空に輝くオリオンの星になりたい心情をいだいて、現実社会で実行してしまったのか。
パレスチナ問題は,長い物語にたとえられる複雑な歴史の産物で,物語の最初は紀元前のパレスチナの地に山岳民族のヘブライ王国が建国された時代にさかのぼる。王国は滅び、ユダヤ民族はローマ軍にこの地を奪われ,世界に放浪することになる。その後この土地はアラブの人々の定住地となった。
パレスチナとは地中海とヨルダン川の間の狭い土地で,イスラエル、パレスチナ自治政府のヨルダン川西岸地区、ガザ地区を含む。アラブ人イスラエル人あわせて現在1200万人が住んでいる。
第一次世界大戦後はイギリスが委任統治し、ヨーロッパの第2次大戦中にホロコーストがおこり、ユダヤ人の国家建設がすすめられた。そして、パレスチナの地にイスラエルが建国された。
1948年イスラエル建国時、アラブ側とイスラエル側の土地の配分をめぐって第1次中東戦争が勃発する。アラブの占有する土地面積が少ないことに不満をもったアラブ側がイスラエルに攻撃をしかけるもイスラエル側の勝利に終わった。その後第2次中東戦争が勃発し、1967年には第3次中東戦争(6日間戦争)で3たびイスラエルが勝利し,アラブ諸国の大量の地域、シナイ半島、シリアのゴラン高原、ヨルダン川西岸地区を占領した。これに対する反撃の行動部隊として、過激なPFLPがうまれ、航空機ハイジャックなどのテロリズムを実行した。1973年には第4次中東戦争、その後1993年にヨルダン川西岸地区とガザ地区がパレスチナ人の治める自治区となった。
現在宗教を至上のものとするイスラム諸国と、世俗的経済を至上とし民主主義をかかげる西欧諸国との対立は続き,共産主義が消滅しても宗教的原理主義を掲げたテロ事件はおさまるどころか、より広い地域にひろがり、自爆テロも頻発している。
