和辻哲郎は世界秩序のゆらいだ混迷の時代に、アメリカ文化とは異質のドイツ哲学にであい、そこからヒントを得て古来からの日本文化を分析した。
「古寺巡礼」は30才の時、1919年(大正8年)奈良の近辺の古寺、仏像絵画を見学した印象記で、法隆寺、薬師寺や多くの仏像の中に、はるかギリシア文化の影響を見いだし、印度や大陸の文化を融合した日本古来の精神に触れ、感動した陶酔の気持ちを書き記し、多くの読者を引きつけた。
奈良時代は歴史上もっとも国際的な時代であった。天平、飛鳥の建築や仏像にヨーロッパ文明、ガンダーラやバラモン文化のインド、中国文明の影響を色濃く反映しているのを発見した。
その翌年、1920年(大正9年)には,仏教の影響をうける前の日本のすがたを研究した「日本古代文化」を出版した。人々は民本主義的で原始的な直さや子供らしさを持っていたとその当時を描いている。日本列島の島々では、同一の血族と言うより、さまざまな地域から渡来したさまざまな文化をもった温和な人の住む場所で、信仰や道徳が同一の人びとの集団であった。
1926年になると「日本精神史研究」で今までの多くの研究を寄せ集め、仏教文化の源流を描き発表した。1934年「続日本精神史研究」を、そして1934年有名な「風土」を発表した。
第一次世界大戦のあと、1927年ドイツのベルリンに国費で留学。日本から中国、印度、中東、地中海を旅行し、その風土気候の著しい変化を体験しながらその時期のドイツに到着した。敗戦国ドイツは1923年からおきたハイパーインフレによる社会混乱からようやく回復してきた復興の時代だった。
そこでドイツ哲学者ハイデッカーの名作「存在と時間」にであった。この考えに触発され、自然や気候、ひととひとの間柄などの社会環境をふくむ空間である風土を国民性にあてはめた文化論をくみたてた。こうしてアメリカ、ヨーロッパの個人主義と異なる日本文化の由来を説明した。
感情と風土をアジアのモンス−ン的風土と砂漠的風土およびヨーロッパの牧場的風土で3つの類型に分けた。モンスーン型の風土では、受容や忍耐が実存の構造をなし,自然のはかり知れない力を前に,仏教やヴェーダの神を生み出した。
モンスーン的風土の特殊形として中国(シナ)と日本を対比して、中国大陸は単調として空漠でボーボーたる海は我々に本当の海特有の生き生きとした生命感を与えない。その中に立つ者の視野に入るのはその平野のほんの1部分に過ぎずその中をいかに遠く歩いていってもただ同じような小さい部分の繰り返しがあるだけであるこの中にあって人々は受容的忍従的でそして感情は無感動的になる。
一方日本は、土地が海と平野と山岳地帯が隣接し、四季の変化が激しいため,激情と淡白が始めから混じり合っている。そして,気がかわりやすかったり、あきらめが早かったりする。単に熱帯的あきらめでもなく,単に寒冷的な、気の長い辛抱強さでもない。あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従である。
砂漠型の気候では,水や植物を手に入れるためには、自然と戦わなければならない。それゆえ戦闘的でかつ対抗的であり,自然との闘争に生きている一方部族の共同性においては服従的である。
ヨーロッパの風土ヨーロッパは牧場的で、夏は乾燥期で冬は雨期になる。地中海の沿岸のイタリアの半島で海沿いの山野ではほとんど岩山で、植物は育っていない。一方、夏の乾燥は日本やモンスーン地帯で見られる夏草のはんも雑草が見られない。ここでは自然は従順な存在にとどまっている。この全土が牧草のようになるような過度な湿潤や乾燥のない、この気候の下にギリシャローマ時代の合理的文化が生まれた。
さらにギリシアやローマの地中海地方とフランスからさらに北に位置するドイツの陰うつな長い冬の気候が精神主義的キリスト教文化を生み出した。
このようにしてドイツ哲学の方法を使って日本の独自性を学問的にくみたてる和辻風土学を生み出した。その後,和辻哲郎は生涯の研究「倫理学」3巻を1937年から1949年かかって書き上げ、また戦後、象徴天皇論の理論的支柱となった。
この文明理論の正当性に関して,今でも議論がある。梅棹忠夫の「文明の生態史観」ではユーラシア大陸の中央に遊牧民の勢力が跋扈しその周辺にロシア、中国、インドなどの強力な帝国でき,興亡をくり返した。さらにその周辺にヨーロッパ、東の周辺には日本が位置する。この地域で封建制から近代国家が生まれたとし、和辻哲郎の考えを否定した。
1996年にハッチントンは「文明の衝突」で,世界を西欧、イスラム、中国、東方正教会、仏教、日本、ラテンアメリカ、アフリカにわけ、それらの文明は同化しないと説いた。
またイマヌエール トッドは人口学的手法でソ連解体を予言した「最後の転落」で注目された。そして家族人類学の方法でヨーロッパの国と文化を分析した。
星占い的な荒唐無稽の文明論なのか根拠のある文明論なのかは今後実証が可能になり,ビッグデーターの解析による文明のモデルシステムが確立すれば、文明社会の未来は予想できる。





