1987年(昭和62年)黒川紀章は東京2025年計画を発表した。その一つに東京湾に人工の島を作り、その人工の島にサラリーマン300万人のための住宅を建設するというものだった。さらに環境との共生をはかり東京湾の水をきれいにし、そこで船を運行し、武蔵野の森を復元するという構想だった。
現在、東京湾岸の島,豊洲や晴海地区にはタワーマンションが林立し多くの住民が住み、東京2025年計画とは形はちがうものの高層住宅はますます増えている。技術の進歩による耐震性や、眺めの良さ、周辺の緑地化やマンション内施設の充実でホテル暮しに近い暮らしができ、しかも職場や都心に近く利便性から憧れの住まいとなった。
タワーマンションとは高さが20階以上、60メートル以上で、共有の施設が緑地や空間を広くもうける建物を総称している。
そもそもマンションという日本語は鉄筋コンクリートつくりの集合住宅をいう。1960年頃に,業者がマンションと呼んで売り出したことからはじまる。
バブル期には呼び名がハウスやハイムにそして最近ではレジデンスに変わってきた。1970年代はじめてタワーマンションが建てられそれ以来超高層の住宅にはマンションの名前が残っている。首都圏には1976年から2016年までに695棟のタワーマンションが建てられ、特に東京では湾岸地域に6割が集中している。その他の都市大阪などの大都市を中心に高層のマンションは続々と建てられ、最近では地方都市にもみられるようになってきた。
黒川紀章は1960年代の日本で起こった近代化の後(ポスト モダニズム)に登場した運動であるメタボリズムを主導した。建築物は完成後に住民のライフスタイルに合わせて新陳代謝するように増築され成長し、成長とともに新しい街に姿を変えていくことを願って設計した。しかしこの構想のもとに建てられた中銀カプセルタワーはうまくいかなかった建物の代表となった。メタボリズム理論で構想した東京湾埋め立てと住宅群の構想も実現はちがう方向からの展開となった。
どんな偉大な構想のもとの都市計画でも、その街にひとが住まなければ破綻する。その代表が北京から500キロ西にいった内モンゴル自治区に2004年にはじまったカンバシ新区とよばれるオルドス市の100万人の住む都市計画がある。壮大な夢の跡、廃墟となって未完のメガロポリスとして世界的に有名になっている。
またアフリカの産油国アンゴラのキランバ新都市構想も50万人以上の住民が生活できる学校や商業用地も整備されたものの無人の都市、廃墟となっている。 さらに朝鮮民主主義人民共和国に1980年世界一の高さの超高層ホテル、柳京ホテルが建設開始した。現在も未完成で廃墟となった。
人間の想像力は無限であり、どんな荒唐無稽な計画もたて得る。 廃墟となった大都市は、ひとの生活の必然性からうまれたものではなく,構想は財政的な理由あるいは政治的あるいは指導者の権威のための建造物であった。
1970年頃に経済企画庁の委託で日本列島における人口分布の長期の分析が黒川紀章らの社会工学研究所で発表された。
平安時代500万人ぐらいの人口があった日本の人口は江戸の初期あたりまでまだ900万人ちょっとである。そして江戸の初期から吉宗の時代100年間で3倍に増え、その後ほとんど人口は変わっていない。明治に入ってから再び人口は3倍に増えた。日本では歴史上2度の人口爆発を起こしている。この研究をもとに日本の将来人口を予想した。その結果は2017年で人口はピークになりそれからまた人口が減少していくことになると推定した。
この予想どおり日本は人口減少社会になった、しかも長寿社会となり、今では世帯の数を大幅に上まわる数の住宅が供給され続け、住宅の10軒に1件はお年寄りのひとりすまいになった。そして2013年には820万以上の空き屋が全国にあり、今後さらに増えていく。いずれにしても今日本の街はいたるところでゆっくり静かにさびれつつある。
日本は第二次大戦後の急速な若者人口の増加、工業化に対応して、住宅団地をつくりニュータウンを造成したそしてタワーマンションがブームとなった。
今の日本人口の減少する時代になった日本にはメタボリズムの思想、人口増加時代とは逆の大胆で壮大な都市縮小プランが重要になる。



