2009/02/22

藤村と第一次世界大戦

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり

 

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり

 

     島崎 藤村   若菜集 1896年発表

 

その後“破戒”や“家”で自然主義作家として、有名になる。

1913年4月42歳のときフランスに留学。

 

 その時代のフランスは、1870年普仏戦争に敗北しその後,海外の植民地を巡ってイギリスと衝突をおこし、アフリカ、インドシナなどにイギリスに次ぐ広大な植民地を手に入れていました。その後、イギリスと和解しロシアとは同盟を結んでドイツに対抗していました。

 

 ヨーロッパは、20世紀初頭 ドイツの台頭があったものの、社会民主主義が主流で戦争は起こらないと思われていました。しかし、“チボー家の人々”に詳しく描かれているように、ジョレスが暗殺され、その後ドイツやオーストリアーハンガリー帝国との戦争第一次世界大戦に突入しました。

 

 1913年4月42歳のときフランスに留学した藤村は、第一次大戦中もフランスに残り,東京朝日にフランス便りを書いています。

 1914年8月3日ドイツがフランスに宣戦布告。このときの報告は“パリにみるべきものの少ない時は今です。あらゆるミューゼを始め、パンテオンの戸も閉ざされ,番人は去り,いっさいの美術庫に固く錠のおろしてある。”

 

 そして,篤志看護婦の題で、“アストリアのホテル、その石造の大建築物の屋上に高く旭日旗が翻って行来のひとのいきつつあるのは,フランスに派遣された わが日本赤十字社救護の働いている場所です。”パリのホテルアストリアを拠点に約1年半に亘り,日本赤十字社が負傷者の救護にあたったと報告しています。

 帰国後、父親をモデルにした歴史小説“夜明け前”を中央公論に連載。自然主義作家としての地位を確立し、1941年には、東條英樹陸軍大臣の戦陣訓の文案作成にも参画しています。

 

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