印象派は古典派の絵のように物語を表現するのではなく、色彩によって情動を伝えようとした。印象派以前の絵画は、絵の背後にある宗教的あるいは神話の世界の風景や衣服や人物を通して、描かれた世界を理解していくことが重要であった。画家はいかにして立体的に、正確に、カメラのように絵画で再現するかが求められた。印象派は、この立体的な三次元の絵、キリスト教の真実の物語、神話を描く絵画を否定して誕生した。
モネは自然の中の色彩とその配列と光の太陽光のもとに自然のきらめく様子、時間の経過とともに変化していく自然を描き出そうとした。1874年当時の主流の王立美術アカデミーに対抗して第一回印象派展に 印象 日の出を出品。そこには造形された構造はなく、外光による色の移り変わりをキャンパスに描いた。 第2回印象派展で、背景にうちわ、美しい赤の着物と日本的絵柄のモネの作品 ラ ジャポネーズが最も人気を呼んだ。
この印象派展はルノアール、ドガ、ピサロなどの現在有名な画家が参加して1886年まで続いた。その後、この新しい手法は世界中の絵画に影響を与えた。アメリカ人画家ジョン シンガー サージェントはやはり印象派の作品カーネーション リリー リリー ローズと言う花が乱れて咲く夏の宵、少女2人がちょうちんをつるす風景を描いている。このちょうちんは日本の提灯で当時のジャポニズムの作品の一つである。
絵や詩を見ることは感情をともなった作業である。風景や人物の絵を見てその色と形にボトムアップの脳内物質が放出され感情が生まれ、記憶と照らし合わせその絵を理解し評価する。絵画を観てボトムアップのシステムで見る人は最初に反応する。その後に前脳の働きで分析し解釈しようとする。印象派はこの最初の印象、ボトムアップを重視する。
モネはルーアン大聖堂、積み藁、睡蓮、などで同じ場所を、絶えず変化する光の中で何度も描いた。一般に脳は色彩を見て赤色は、陽光の下での赤いネクタイが、日陰の暗いところでもやはり赤く見えるように脳の中で調整する。こうして色の恒常性は保たれる。モネはこの調整の仕組みにより生まれた画像を凌駕して、見たときの感覚そのままに描く努力を重ねた。
印象派の色を使った情動の表現は、チューブ入りの絵の具により、戸外で絵を描くことができるようになったことで実現した。色や表情など情動の知覚が最初に、脳で処理され、そのあとに形態に関する情報の処理がなされている。印象派は明暗は強調せず、柔らかい線やぼんやりした輪郭を描いて、色彩に集中して見る人を引き付けるようにした。
クリムトは1862年金細工の彫刻師の息子としてウィーンに生まれる。ウィーン美術工芸学校に建築装飾家として入学し、最初は建築の装飾を描いた。
1894年32歳の時ウイーン大学の講堂の天井画を依頼される。モダニズムの始まりウイーン1900年と呼ばれる時代があった。当時ウイーンはハプスブルグ帝国、オーストリア ハンガリー帝国の首都として芸術文化の中心となり多くの建造物が次々と建てられた。1902年、ベートーベンを称える総合芸術建築、音楽、彫刻、絵画を組み合わせた新たな分離派ミュージアムが建てられ、その建物の部屋の壁にクリムトは絵を描いた。クリムトは当時この作品に対しての思いを、「幸福と愛を求めて苦悩する人類は、芸術が一つに統合されたときに最高の至福を得られる。」と語っている。
北欧のノルウエーで生まれたムンクは、1893年生命のフリーズの中の作品「叫び」を発表、不定形の形と色彩を使って無意識の世界、意識下の感情、心の奥の不安や恐怖を画面に表現した。クリムトもまた、ウイーン分離派を作り、無意識の不安や本能的衝動を表現するため、描写は平坦で、抽象的な装飾性を取り入れた作品を制作した。1907年に代表作The Kissを制作し、同じ年、肖像画アデーレ ブロッフォ バウワーを発表した。その表情の美しさ、斬新で複雑な模様は、新たな絵画、モダニズムの始まりであった。その後もダナエ、罌粟(ケシ)の野など次々と新たな作品を描き、1911年、画面左に孤独な死を右には命と愛を表す多くの人を、「死と生」を発表し、ヨーロッパ中で多くの芸術家に支持された。その3年後にサラエボ事件が勃発し、第一次大戦が始まり、オーストリア ハンガリー帝国は解体された。
ゴッホからムンク、クリムトにつながる画家は人々の意識的、無意識的な情動を引き起こす作品を生み出した。まず絵を見て色彩を最初に感じ、表情や姿、形が情動物質に働きかけ、意識的、無意識的な感情となり、やがてそれを脳が理解しようとする。
フロイトは無意識の世界を発見し、そしてそれに操られる情動は精神生活をゆたかにするだけでなく、情動と理性は分かち難く結びついていて、合理的行動に影響を与える。意識の下に埋もれている情動は形を変えて表面化する、そしてその情動の奥にはエロスとタナトス(死への欲動)が潜んでいる。その発見は、絵画の世界に絶大な影響を与えた。
クリムトは人間の心の奥にある生と死、エロスとタナトスの世界を絵として二次元の世界に描き出そうとした。アデーレを見て、肯定的情動だけでなく、鑑賞する人の脳内にドーパミンが出てニューロンを活性化させ、審美的依存症に似た感情が起こる。そして再びその絵を見たい気持ちが沸き起こる。ココシュカは語った。我々は皆フロイト主義者でありモダニストである。我々はみな、表面に現れたものの下の奥深くにあるものを理解したいと望んでいる。そして絵画を通して、美と醜の下の真実を描いた。
この色彩による情動の表現の進化は、マチスなどのフォービズム、野獣派の画家のデフォルメした形態に色彩を配置した絵につながり、色彩ではなく形態を変容させたのはセザンヌであった。彼は自然の形態は立方体と円すいと球によって成り立っているとした。これが自然をいかに見るかのカギになるとして、風景画をこの三者で再構築した。この考えをさらに進め、ピカソやブラックは自然は立方体の連なりであるとしてキュビズムを作り出した。それはガンジンスキーやモンドリアンの抽象絵画につながる。
脳の中では、自然を描いた印象派の絵を見るときと抽象的な絵を見るとき、脳で活性化される部分が異なり、脳内では違う経路で絵を見て理解しようとしている。宗教画と風景画、抽象画は絵を見た鑑賞者の頭の中では、それぞれ異なる神経経路を通って、異なる脳の部分が活性化され、異なる情動が引き起こされる。さらに、 シュールレアリズムのキリコやダリの絵画は、自然界の見慣れた風景や過去の規範的構図に反応する脳とは異なる、普通でない要素に反応する大脳の前頭葉が活性化される。



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