「キューポラのある街」は1962年(昭和37年)早船ちよ原作の日活映画で吉永小百合を一躍有名にした。鋳物工場の建ち並ぶ戦後の街の労働者たちの生活や北朝鮮へ帰国する友達などとの交流、貧しいながらもけなげに生きる市井の人々を描いた。
工場での労働者たちと勉学をめざすジュンのひたむきな向上心、楽園である北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への帰国、それらすべてが戦後の民主主義的価値観を色濃く反映し画面に現れている作品でした。吉永小百合は共演した浜田光夫とその後も石坂洋次郎原作の「青い山脈」「草を刈る娘」「光る海」など多くの青春映画でコンビを組んでヒット作を残している。
当時の日活は戦後民主主義の代表的作家石坂洋次郎の作品を次々と映画化した。彼の作品は政治の背景に戦前の旧い家制度、家族関係や男女関係があり、戦後この家制度から開放され、個人は自由になった。個人は率直な発言をし、行動することで、社会の抑圧や、家族の重圧をたち切ることが民主主義であるとした。
「太陽の季節」や「狂った果実」の石原裕次郎もまた戦後新しい価値観を担ったヒーローで、どちらも石原慎太郎の脚本であった。裕次郎もまた石坂作品に数多く出演している。その主演作は以外と多く「乳母車」、石坂洋次郎が石原裕次郎をイメージして書いた「陽のあたる坂道」、「若い川の流れ」そして吉永小百合と共演した「若い人」などがあった。
「あいつと私」の中の60年安保闘争の場面で、「自分は政治オンチだが、しかし新安保の議会での通し方は癪にさわるからな。それだけのことでもデモ隊に参加する資格があるさ」といって、デモに加わるシーンはその時代の雰囲気をあらわしている。
この60年安保闘争を理論的に主導したのが丸山真男で、戦後民主主義の騎手、リーダーであった。1946年(昭和21年)『世界』に発表された「超国家主義の論理と心理」で昭和日本のファシズム体制を解体し分析した。
「天皇制は中心が中空で万民が中心から同心円状に支配される。自由な主体意識が欠如し、行動の基準がより上級の者によって規定される。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次移譲していくことによって全体のバランスが維持される体系である。
市民生活や軍隊生活において圧迫を移譲すべき場所を持たない大衆がひとたび優越的地位に立つとき、爆発的衝動に駆り立てられる。」と戦前の軍国主義下の心理を解明した。
その後、岩波新書から「日本の思想」を出版。日本思想における神道の役割について「神道はいわばたてにのっぺらぼうにのびた布筒のように、その時代時代に有力な宗教と「習合」してその教義内容を埋めて来た。この無限抱擁性、と思想的雑居性が特徴である。」とした。
明治憲法については、伊藤博文らはキリスト教に変わるものとしてその中に、国体という名の非宗教的宗教をつくりだした。
天皇制における無責任の体系では、「大権中心主義をとりながら、元老重臣など超憲法的存在の媒介によらないでは国家意志が一元化されないような、決断主体を明確化することを避け、もちつもたれつの曖昧な行為連関を好む行動様式がめいめいに作用している。「輔弼」とはつまるところ、統治の唯一の正当性の源泉である天皇の意志を推し量ると同時に天皇への助言を通じてその意志に内容を与えることにほかならない。さきにのべた無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいて巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。」
このように昭和日本の戦争にいたる国家のシステムを分析し、「敗戦は、日本軍国主義に終止符が打たれ、自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。」と宣言し、戦後、60年安保闘争までを日本を代表する知識人として主導した。
戦前の国体思想、家制度から解放され、個人の自由な考えや行動が至上の価値であった、希望に満ちた輝ける一時期が戦後民主主義の時代でした。