東京オリンピックが開催されたのは,1964年、日本は高度経済成長期にはいる。この時代に青春期をおくった世代は人口の最も多い世代で、アメリカでもベビーブーマーと呼ばれ,第二次大戦後から、ケネディー政権のときに生まれた世代。中国では、文化大革命の時、教育機関は閉鎖され地方に下放された世代にあたる。
日本のこの世代は敗戦により、新しくできた日本国憲法のもと、戦後民主主義の教育をうけて育った。天皇の主権がおわり、象徴天皇となり、男女の平等と、人権尊重、平和主義の憲法のもとでうまれ育った初めての世代が青年になる頃が1960年代の後半、ちょうど日本の高度成長期がはじまる時だった。老人人口は少なく、若者の多い時代でもあった。
1960年代後半は、若者たちの叛乱、あるいはプロテストの波が世界中に波及しアメリカやヨーロッパそして日本でベトナム反戦運動や、学園紛争が起り,中国では国内を大混乱になる文化大革命が始まった時代の転換期であった。
日本では、1970年代になると理念や理想を掲げた政治の季節は収束にむかい、2年後の1972年7月に田中角栄首相となり、今太閤とよばれ、野人、電算機つきブルドーザーとよばれ、国民の圧倒的支持を得た。
田中内閣の日本列島改造は経済の発展が第一、新しい国の発展のため大都市集中から、日本全国に豊かさをいきわたらせるための大構造改革であった。
これは全国に25万人の都市を作ってそれを新幹線と高速道路網で結ぶと言う土木事業を中心にした国土開発計画であった。人々の考えも理想主義より現実主義になっていった。
当時の金日成の言葉
「この一年間に、日本人民の闘争もたいへん力強くくりひろげられました。日本人民の闘争が強まったために佐藤反動政府は追い出され、田中政府がこれにかわりました。これは日本人民の闘争の結果だといえます。われわれは日本人民の闘争を高く評価し、それを全面的に支持します。」
田中内閣もう一つの成果は同じ年の日中国交回復で、中国政府から2頭のジャイアントパンダ,カンカンとランランが日本に送られてきた、当時中国は,文化大革命のまっただ中、毛沢東と周恩来の時代。いまからみれば国内的には大混乱の時代だった。
近隣の国が、政治的生活を強いられている中,日本人の関心は世界の大きな枠を決める政治の世界とは離れた身の回りの豊かさを求める時代にかわった。
1970年代になると若者達にとって大きな物語より、傘がないことが重要となった。 そして,アメリカでも同じころ政治の季節が終わり、若者たちは,内向きの世界を求めた。それは、「私の時代」とよばれ、アメリカ人たちもまた純粋に個人的な関心に向けて後退した。
若者の文化は音楽文化ではプロテストソングがおわりをむかえ,「神田川」が流行し、吉田たくろうがかがやいた時代が始まる。 出版の世界では、ストーリーや内容で小説との差のなくなった漫画文化をささえた第一世代でもあった。 少年少女漫画やウオルト ディズニーとは違う漫画、大人の世代を対象とした劇画が登場した。カムイ外伝が話題となり、1968年には今でも続くゴルゴ13がはじまった。時代は漫画が,文化の一部として定着し、かつての詩人や小説家の予備軍,人材が自己の表現手段として、フォークソングや漫画に動きはじめた。
1972年3月2日号から漫画アクションに上村一夫の「同棲時代」の連載がはじまる。カムイ外伝は教条主義的すぎるし、ゴルゴ13はあまりに007のジェイムス ボンド的で、時代はそれらの借り物ではない日本の日常、ふるい情の世界を日本のその時代のありふれた日常生活を切り出した作品をもとめた。 やがて,その漫画はテレビドラマになり、映画になり、流行歌になり時代の象徴になった。上村一夫はその一瞬の輝きの後夭折した。日本文化の潮流が変わる最初の時代は終わり、その後ガロやゴルゴ13は30年以上も続き、ドラえもんやドラゴンボールは多くの国で読まれ、漫画は市民権を得て、日本文化の象徴にまでなった。

