20世紀の都市はル コルビジェ、ミース ファンデルローエなどの都市構想から生み出されたものです。その思想は、住居は住むための機械であるとして、装飾を排し、合理的、機能的な高層建築を建て、広い空間をつくりそれらをハイウエーでつなぐものでした。
1926年にドイツのバウハウスの創始者グロビウスは近代建築による都市計画で、はじめて産学共同で、テルテン団地工場での生産のモデル開発をおこない、1932年には,ユンカース工業の2万人規模の労働者団地を創りました。その後、ドイツをはなれたグロビウスは第二次大戦後アメリカに渡り、ハーバード大学建築学部の教授になり、アメリカの大都市における近代建築の主導者として活躍します。
またミース ファンデルローエは、バウハウスの最後の校長を務めていました。1933年、社会主義的学校としてヒトラーのナチス政権によってドイツにおけるバウハウスの学校が閉鎖されると、アメリカのシカゴに渡り、建築家として活躍し、20世紀の時代の象徴である鉄とガラスを材料にきわめてシンプルな建築をめざしました。
さらに20世紀のモダニズム建築の代表であるワールド トレードセンターはこの時期 ル コルビジェの信奉者ミノル ヤマサキによって設計されたものでした。
ル コルビジェの「輝く都市」の中の近代都市構想は、1950年代にアメリカの大都市において実現されていきます。 ニューヨークにおいてこの近代都市の実行役にあったったのはロバート モーゼスで,1939年の万国博覧会に、ゼネラルモータースにハイウエーで網の目のように結ばれた20世紀の都市モデルを提示させ、その後これを次々と実行に移してニューヨークのインフラを整備していきました。
モダニズム建築思想に従って超過密のスラム化した都市の街並は撤去して、地域を整然とした区域ごとにまとめ、高層建築を建て、ニューヨーク市を空中に浮かぶ高速道路でつなぎ、ハドソン川には世界一高いアーチ式の橋梁ヘンリーハドソンブリッジをつくりその周辺には緑地帯の空間にプールや運動場、海岸に沿った公園や動物園もつくっていきました。
この計画が最初に反対に合ったのが、ワシントン スクエアパークを横断する道路の計画を進めた時でした。この公園はジョーンバエズ、ボブ デュラン ピーター ポールアンドマリーらがギターをならして反戦を訴えた公園として有名であり、芸術家や近くの子供たちの憩いの場所でもあり、ジェイコブスの生活の一部でもある公園でした。多くの市民の反対運動の結果、高速道路計画は中止に追い込まれモーゼスの近代都市化計画の最初の躓きになります。
1961年再びジェイコブスの住んでいたウエストビッレジ、グリニッジビッレジが荒廃地域に選定され、取り壊され都市再生の対象にされようとしました。この時ジェイコブスたちが中心となった住民の反対運動でこの再生計画は再び中止に追い込まれました。
近代都市化理論を打ち破ったのが、このジェイコブスによるまったく新しい都市機能に関する考えでした。有名な著作「アメリカ大都市の死と生」の中で描かれた都市は、生き生きとした人びとの生活の場にするための4つの基本的条件として、まず第一に街路や地域はいくつかの重要な機能を果たすこと、二つめはブロックは短くて歩行者が心地よく感じられること、第三に建物は多様であること、最後は人口が密集していること。
そして、理想の公園は、大人も子供も実際に使用できる庭園や施設が整っていて、都市の街路にかこまれたもの。といった20世紀型近代都市構想と真っ向から対立するもので、その後の都市計画のバイブルとなったものでした。
超高層の建物と広大な空間が高速道路で結ばれるモダン建築思想は20世紀後半には、変更を余儀なくされ、公共交通による利便性の高い、歩行者にとって楽しい、活気あふれる街になるように都市は建築され、大きく時代が変化していきました。現在、ジェイコブスの思想は都市構想の原点となっています。
参考 ジェイコブス対モーゼス 鹿島出版会