アメリカは第二次世界大戦に勝利し、つかの間の平和に安堵していたものの、すぐに朝鮮戦争が勃発し冷戦体制に入った。アメリカはソ連に勝つために、だれもが豊かな生活を享受できる国のイメージを打ち出した。
近くの店には豊かな食料が手に入るスーパーマーケットやコンビーニエンス ストアが出来,日本でのダイエーやセブン イレブンのビジネスモデルとなった。 豊かな生活こそ民主主義国アメリカの理想であり武器であり、ソ連に勝つ戦略で、市民は豊かな生活の享受者となった。それらは、テレビのホームドラマをとおして世界中に発信された。
アメリカでも戦争直後は、一般には小さな住宅、うさぎ小屋であった。住宅の工業化が一部で製品化されはじめ、その後工場での部品生産がすすみ、ツーバイフォーによる大規模郊外住宅地が大量に供給され、その後、さまざまな工夫と改良により、建物の工業化,大型化が進められた。
1950年の後半になるとしだいに大量生産の、画一化された建物から、消費者の好みによって、様々なデザインの一戸建て住宅に変わっていった。この住居がその後の日本のお手本となったもので、郊外に庭つき一戸建ての住宅に住み、ここから都心の職場に通い、子供達は、野球やテニスを楽しみ、家の中は最新の家庭電化製品のある豊かな生活。この憧れの実現のために、人々は努力した。アメリカでは1960年代にこの「偉大な社会」は実現した。
日本では60年安保のあと、池田内閣が所得倍増計画を打ち出した。豊かな生活を求め、アメリカの後を追うことになった。その基盤となる住居、マイホームは家制度と無縁の自由な空間としての郊外住宅や都心のマンションが理想となり、全国に建てられることになった。
1970年代になると、日本列島改造が全国で始まり、日本にもこの工場製造方式の住宅も造られるようになり、鉄道や道路の沿線上に立てる田園都市構想がニュータウン構想へと発展してきた。戦後の機能主義的建築は、味気ない公団住宅風の画一化をもたらし、それに対してニュータウンは個性的な街造りが復活した時代でした。神戸においても西神ニュータウンの基本構想がこの時期につくられました。西神ニュータウンは1972年(昭和47年)から造成工事が始まり、1981年(昭和56年)には住宅建設が開始され、その中にタウンハウスの構想があり、これは実行されました。建物を長屋のように連棟にして、敷地の一部を共有の庭にしたものです。しかしその後一戸建ての希望が増え、一戸建てのタウンハウスに変わっていきます。
この頃のに本の家族構成は夫婦と子供たちの核家族で、親類との付き合いや隣近所とのつきあいは少なくして、より個人の自由になる空間が好まれた結果で、個人のプライバシーを重視するものが嗜好されてきました。
いずれにしても,従来の日本の都市や街にみられるごちゃごちゃした混乱は避けられ、豊かな緑と広告や自動販売機が見られない空間は住む人にとっては大いなる財産で、もし手本にしたアメリカの住宅のようにクモの巣ののような電柱や電線が地中に埋設されたならもっとよかったと今更ながら残念な気がします。
この頃のに本の家族構成は夫婦と子供たちの核家族で、親類との付き合いや隣近所とのつきあいは少なくして、より個人の自由になる空間が好まれた結果で、個人のプライバシーを重視するものが嗜好されてきました。
いずれにしても,従来の日本の都市や街にみられるごちゃごちゃした混乱は避けられ、豊かな緑と広告や自動販売機が見られない空間は住む人にとっては大いなる財産で、もし手本にしたアメリカの住宅のようにクモの巣ののような電柱や電線が地中に埋設されたならもっとよかったと今更ながら残念な気がします。
80年代、株と土地は投機の対象となり、土地神話が生まれ土地は必ず値上がりするものという熱狂にささえられ、高額となった土地は毎年値上がりし、人々は住居を求め郊外へ郊外へと向かっていくことになります。
戦後日本はアメリカン ウェイ オブ ライフを目ざし、経済もまたアメリカ型資本主義を目ざし経済大国になりました。このジャパニーズ ドリームは血縁と近隣の関係を少なくし、職場に帰属意識をもち、安定した修身雇用、年功賃金の社会が確立し経済成長をもたらした。しかし、21世紀にはいり規格されより大型でより大量でより高速の製造業はさらに安価な国々との競争に負け始めさらに高齢化し人口は減少し始めました。
日本は画一化された拡大成長社会から,多様な生産や省資源を実現する成熟社会に舵を切り替え、変化しなければならなくなりました。