秋きぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる
藤原 敏行 古今和歌集
「花に鳴くうぐいす、水に住むかわずの声をきけば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をもいれずして、天地を動かし、めに見えぬ鬼神をも、あはれと思わせ、男女のなかをも和らげ、猛きもののふの心をも、なぐさむるは歌なり」
古今和歌集は、紀 貫之らによって日本最初の勅撰和歌集として編纂された。 その紀貫之は「男もすなる日記というものを、女もしてみむとしてするなり。それの年の師走の二十日あまり一日の、戌のときに門出す。」で始まる「土佐日記」を書いた。今まで男が漢文で書いた記録書である日記を、女性が書いたことにした、日記文学である。 ある人が土佐から任期を終え、今日に帰ってくるという虚構の日記で、多くの言葉遊びと、多くの和歌が含まれている。その40年後には「蜻蛉日記」が道綱の母によって書かれた。
平安時代の文学は和歌や日記、歌物語、作り物語、私家集など多くの神話にも似た物語世界がしだいに貴族から多くの人々、庶民の間に広がっていった。その物語の底流には仏教の世界観が色濃く反映し、江戸文学に見られるような儒教の影響はなかった。
竹取物語は、現在原本は確認されていない散文の物語で、現代のSFと同じ、思考による空想の物語が平安の世界で展開する。かぐや姫は平安時代の人の世の世界に現れた月の都からの使者で、最後は地球を離れ故郷の月にかえる、時代を超えた、ストーリーであった。
「うつほ物語」、継子いじめの「落窪物語」、在原業平の「伊勢物語」などの多くの小説が書かれた。それらの小説の内容は、源氏物語と同様に、仏教的無常観や因果応報といった仏教的世界観が見られる。伊勢物語の中に「散ればこそ、いとど桜は愛でたけれ、うき世になにか久しかるべき」は無常観の中の美、はかなく散りゆく桜に美を見いだしている。
今昔物語は、漢字とかなの混じった文字で記載された物語で、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の仏教の物語と世俗の物語に分かれる。「今は昔」で始まり、「となむ語り伝えたるとや」で終わる。そしてその結語は面白し、微妙なり、奇異なり、と評価し結ばれる現代日本人と変わらない感情が現れている。内容は、物語の主人公の行いが、何をもたらすかといった仏教的因果の物語、極楽往生疑いなしで終わるものが多く、芥川龍之介の小説「鼻」のように僧侶の生活やお寺が舞台の物語と、平安時代の庶民の物語で、源氏物語の天皇とその間近の上流貴族の様や、それに、まつわる女房の物語とは全く違った、様々な階層の人々の貧困や、欲望や蓄財の仕方、その悪行や盗人、羅生門の世界が展開する。
当時の人々の物の見方の根底にある仏教の世界は、地獄と極楽で、それはインドの仏教経典の「起世経」や「正法念処経」をモデルにしたものと、中国の「馬頭羅刹仏名経」の経典から描いた地獄絵が生まれ、仏教の経典とともに日本にもたらされた。日本では、平安初期の「日本霊異記」の因果応報物語の中に、悪しき行いをしたものが地獄に落ちて行く話が描かれている。枕草子の中に、年末の仏名会の地獄絵を女房たちが、気味わるがって眺めている時、清少納言はそれを観るのを怖がり、部屋に閉じこもった、と書かれている。
地獄の思想は初に貴族たちが、仏教の経典からイメージをつかみ、言葉、絵や彫刻によってそれを表現し、一般の人々に広がっていった。 平安時代の人々にとって地獄とは、六道のうちの地獄、餓鬼、畜生の死後の世界をモチーフにした絵に描かれた世界であった。 仏教の六道輪廻の思想とは、死後に六道すなわち、地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人間道、天道、がありその世界を人間は転生して行く。悪行を重ねると地獄に行き、善行をすれば天道の幸福な世界、極楽に死後行ける。そして極楽の世界をこの世に生み出すため、仏堂を建て、その中に仏像をおさめ極楽浄土の空間をつくった。
源氏物語には、前の世のむくいといった、輪廻による因果応報の世界観が書かれている。また、葵の上に乗り移った生霊をよりまし(憑坐)役の体に写す、霊魂移動の場面もある。 当時、ものの霊が登場し、鬼が現れ、狐が人をばかすと信じられ、ものの霊や怪異に対してに対抗する陰陽師や法師も現れる。
朝廷でも、天災地変や物怪や雨乞いに、仏典読経、神社奉幣とともに五行思想にもとにした五色の龍を祀る行事が行われ、陰陽に詳しい陰陽師が祈祷を行った。これが、貴族社会に定着し、公家文化の一部になっていった。仏教と神道と、中国の陰陽五行思想が日本化した陰陽道さらには祟りを恐れる御霊信仰があった。これらを神仏の力を借り、あるいは加持祈祷により物の怪を鎮める儀式が当時の貴族社会では普通のことで、地獄極楽の仏教思想と物の怪、悪霊の思想両者が合体した仏事がとり行われていた。
平安時代、様々な時代背景で、様々な人々によって書かれ、記録された書物が書かれ、平安文化をつくりだした。それをどのように評価するかは、時代により、思想により異なってくる。 源氏物語の内容について、伊勢物語と同様に、江戸時代儒学者は、風俗を乱す元であると、批判していた。また国学者の春満も中世以来、風俗が乱れたのは、和歌の恋歌のためであると考え、それらは、退廃にも近い平安時代の皇室や公家社会の奢侈な生活の反映と解釈していた。林羅山は古今和歌集の序文を高く評価したもののその他の草子などはほとんど評価しなかった。
それに対して本居宣長は、源氏物語について「歌のいでくる本は物のあわれ也。その物のあわれをしるには、この物語を見るにまさる事なし。この物語は、紫式部がしる所の物のあわれよりいできて、今見るひとの物のあわれは、この物語よりいでくる也。されば、この物語は物のあわれをかきあつめて、よむ人にもののあわれをしらしむるより外の義なく、よむ人ももののあわれをしるより外の意なかるべし。是歌道の本意也。」
すべて外部の物事にふれて感動するのがもののあわれであるとし、「うれしきにも、おもしろきにも、たのしきにも、おかしきにも、すべてあわれとおもわるるは、みなあわれ也」また、儒教や仏教の善悪の基準は、書の評価とは別物で、人の自然な感情の流れを描いた物語をよむことで、世間のことがよくわかる。と考えた。
平安時代、貴族社会から仏教は取り入れられ、神社を排除することなく日本中に広まり、国、家、個人だれもが極楽浄土を希求し、病気や争い、悪霊、自然の猛威に対して、神に頼み、仏に祈り、加持祈祷が行なわれていた。
これらの宗教的世界で創られた平安文学に見られる人の心の表現、源氏物語の「もののあわれ」、清少納言の枕草子の「いとおかし」、あるいは今昔物語の「おもしろし」、「微妙なり」といった感性は今もあまり変わらない。
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
新古今和歌集 藤原定家
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